2011.10.15
ゆいこに会いにいく。元気そうでよかったし、いっしょにビールなんか飲んでよい時間を過ごした。
「なんかさあ、名前はあって、依頼も感じよくって、大きな組織の看板もあって、いかにもよさげなんだけど実はまほちゃんに関係がなくって、一見バリューがつきそうだけど後々すごく面倒くさい仕事がありそうだけど、断った方がいいよ、それ」
って、それはどう考えても国連でしょう。
国連って言ってもらったほうが早いくらいに国連でしょう。
もうほんと、ひどい目にあった、国連なんてもう一生信じない。
夜は健ちゃんが寄ったので、がむしゃらに家にあるものを炒めたり煮て食べさせてみた。編集の人でなくなると会うにも気が楽だなあ!
お父さんを見ていると、元編集の人や今も編集の人でほんの数人、最後までだまって静かにつきあってくれている人がいる。とても静かに、会いにきてくれる。おじいさんだから汚いかもしれないし、ぼけているから急に怒るかもしれない。でも笑顔もあるし、知性もある。お父さんはお父さんだ。
そしてそうでない人ももちろん多い。最盛期にはくっついていて、ぼけちゃったりたいへんになったら離れたり(そりゃあたりまえだから全然責めないけど)する人。だれも医療費をカンパしてくれたり、退職金をくれたりしない(もちろんあたりまえだから、悪く思ったりしてない。ただ、感激したのは、糸井さんは配慮してくれたこと。糸井さんはすごくお金があるイメージがあるけど、個人の会社であり大企業じゃないんだから比べてはいけないくらいの額の動きだと思うのに、ありがたかった)。人生を評論に全てかけ、あんなにまじめに仕事をしてきたからって、なにひとつ保証されるっていうことはないお仕事なんだなあ。
いや、昭和の日本だったら、ちょっとありえたかもしれないなあ。温情みたいなもの。
私は、ずっと先、糸井さんのおじょうさんになにかあったら、全力で助けると思う。そういうことでしかお礼ができないから。
不況になったからだれも先を予測できないときこそ、地味に損に生きたい。
なんだか自分の人生に関してもすごくすごく勉強になった。
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