2010.03.11

ああびっくりした!
犬の散歩をしていたら、あれ、よしくんじゃない?という声がした。そう呼ぶ人は地元にしかいないはず。ふりむくと中学の同級生が三人立っていた。
これが根津ならわかるよ!でも世田谷だよ!
みんなもびっくりしていた。そのうちのひとり、久美子さんが越してきたそうだった。にしても久美子さんもさなえさんも信子さんも変わらず美人さんで、変わらなくて、しかもまだみんなで仲良しなんて、すばらしい。ほんとうはまったけとかながながとかいとこふたり組とかむちゃくちゃなあだ名で当時よびあっていたのだが、みんなもう大人なんだね。肌の感じで知り合ってるから、一瞬にして昔のまましゃべり合う。すばらしいできごとだった。
2010.03.10

華鼓ちゃんからすんごいかっこいいペイントされた椅子が送られてきた。
もったいなくて座れないと思いつつも、ふだんに使ってあげたい。家族の歴史をしみこませることにする。
こうしていろんな創作家の名前を出すのは宣伝のためでも、親しいからでも、頼まれているからでもない。自分の中をほりさげていったら、いろんな作品に出会う、でもそれは見つけようとしないと見つからない。きっかけになるといいな、という気持ちから。
2010.03.09

わけあって山本敏晴さんという国際協力をしているお医者さんの「世界で一番いのちの短い国」という本を読み、たいそう感心した。その国にはその国の文化があるから、それを尊重しながら人としてつきあっていかなくてはいけない、という考えも、病院を作ったら作りっぱなしで去っていくのではなく、現地の人に衛生観念とか、衛生観念がそこの文化と相反した場合の治療方法を教えて去っていく、それが大切だという考え、全くその通りだと思った。
一般的によしとされる考えに染まっていない分、彼の文章は生きている文章だった。
現地の人を決して見下していないところと、エロ本のところが最高で、最後に休暇をとるところなんてもう英断としか言いようがないと思った。いつもこのタイプの本を読むと、真実はみんなもや〜と美談の霧の中に隠れていてわからなかったが、この本は違った。医者とはなんぞやということが、しっかり書いてあった。
タムくんとウィーちゃんと健ちゃんが寄ってくれたので、みんなでピザを食べにロクサンへ行く。それからCCCに行って、音楽を聴きながらゆっくりと過ごす。寒いけれど幸せな夜だった。バンコクにいるみたい。
2010.03.08

寺田博さんが亡くなった。
しばらく前からあまり調子がよくないと聞いていたのだが。
お花をおくったときに書いたはがきに、気持ちはみんな書いたので悔いはない。でも、やはり淋しい。寺田さんからの電話で、私は作家になったのだ。そして寺田さんと根本さんに育てられた。へらへらして参加していたが、その恩を一生忘れはしない。島田さん、角田さん、竹野くん、小林さん、小川さん…その他たくさんの夢のように豪華な人たちと飲んだり、しゃべったりした思い出。中上先生や埴谷先生との交流もその時期だった。私は文壇を離れ、独自のポンチな道を歩んでいるが、土台はあの日々にある。
寺田さんは男の中の男で、言わないでぐっと時期を待つことを知っておられた。「海燕」があまりよくない終わり方をしたのに操をたてて、なんとなく文芸誌に書かなかった(なんだか裏切るように思えたのだ)私は、このあいだ「新潮」で小説を発表した。それは、「新潮」の人たちが、あの頃の「海燕」のように熱かったからだった。懐かしくなったのだ。
寺田さんは、五歳くらいのとき小さな私といつもおままごとをしてくれたのだ。そのことを思い出したら、泣けてきた。
2010.03.07

寝ぼけたチビがチンチンをこすりつけてきたのにも「もうそんな歳?」と驚いたけど、「あ、こりゃいかん!ママだった」という感じで無意識の中でぴたりとやめたのも驚いた。やっぱり人類は続いていくものだし、生善説?みたいな。
このところ上山さんと魂のやりとり(女子中学生編)をしているけど、さすが名テニスプレーヤー、うちかえしかたがすごい。力技なんだけど、理性を総動員、みたいな。きっといい仕事になるだろうと胸が震える。新しいことはいつも最高に楽しみ。いっぱいのすごいことが待ってる。
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