2009.12.11

仕事がたてこんで、幼稚園のパーティに大遅刻。
持っていった食品やおかしも、もう出番がないのでなんとなく先生たちにくばったりして、しかも通信簿を忘れて帰ったりして、すっごいダメ親。
私は、子どもを幼稚園や学校に入れる気がなかった。家庭が学校だ、それでいい、と思っていた。しかし誤算だったのは、少子化であまりまわりに子どもがいなかったこと。子どもに接しないとかわいそうだなと思い、子どもに会いにいかせるためだけに、今の幼稚園に通っている。
もともとその考えなので、勉強ができなくっても気にならないし、ママ友も勝手にこちらが慕っている久美子さまと、やめちゃった怜くんのママ以外ほぼいない(年齢も全然違うし、職業もあるし。でも悪い感じでもない。変わった人だなあと思いながら、みんなに微笑んでもらっている感じ)が、気にならない。
ここまで極端でなくてもいいけれど、みんな、七歳くらいの子どもごときに、そして学校に、期待しすぎなんじゃないかなあ。
その話とは関係ないが、確かに普通の犯罪者と違って市橋さんには理由がありそうな感じが漂ってはいる。他の犯罪者と同じで、もともとは悪い子どもではなかったのかもしれない。だが、ファンになるのはやはりおかしい。そう思っている自分の立ち位置がおかしいと思った方がいいような気がする。私が学生のとき、人肉大好きな佐川くんがライブをやっていた。日本人は「かっこいい」と踊り、外国の人たちは眉をひそめて、帰ってしまった。佐川くんや市橋さんの人権についてはもちろん大切だが、日本には、半端なマンガや映画を見すぎて、わからなくなってる人がたくさんいるのではないだろうか。映画の中のレクターさんと違う。その人たちは、実際に、いやがり、おびえるひとりの人間をその手で殺した人なんだ。ちょっと変わった妄想癖があるクラスメートとは違って、もう一線を越えているんだ。そう思う。
これらは読者をさとしたくて書いてるのではなく、自分の子どもが、ふつうっぽく見えるけど、市橋さんはほんとうに悪い人なの、と言っていたので、子どもに言ったことを、書きました。
大雨の中実家へ行き、姉作のもちろんたっぷりのかに鍋を食べる。母もがんばっておりてきて同席していた。
父がほとんど見えない目で、拡大の機械を駆使して、小説(王国4、もうすぐ出る新潮に載ります)を読んでくれていた。「昔の、人をひきつけるのびのびした感じが帰ってきていた」と言われた。それだけでもう泣けてくる。景色もTVも見えない父でも、小説の中のいろんな町の景色を見てもらえた。それも嬉しい。
2009.12.10

桜井先生と電話でお話しする。思った通りの声の質の方であった。どこかが冷たくこわい人は、もっと、声がかん高い。電話の後ろでお孫さんやおじょうさんのかわいい声がする。
人生の中で今ちょっと静かな時間を持っておられることがわかり、胸のうちがあたたかくなる。
人生にはいろんな時期がある、孤独だったり、恨みがましかったり、じめじめしたり、くよくよしたりする時期も。でもいつまででもそれが続くものではない。ある程度の年齢までいったら、豊かさが残っているといいと思う。甘くなるとか、だらけるのではなく。
心をまっすぐにするのは比較的簡単だけれど、体はだめだ、体のほうはうそをつかないから、みんなどうしても力んだり、社会でつけてしまったこれまでのくせのある動きをしてしまう、それを気をつけていくようなことを道場ではやっている、とおっしゃっていて、今の自分のテーマに重なっていたので、とても印象的だった。
夜は井沢くんと林さんと石原さんと極秘プロジェクトの会。
井沢くんがふぐをおごってくれるというので、ゆるいスカートにわざわざはきかえて出かけて行った。そのかいあって、おいしかった…。
「なんかぞうすいって、『一巻の終わり』って感じがしていやなんだよ…」と井沢くんが言ったとき、ほんとだよ!と心から思った自分の食いしん坊さがちょっと悲しい。
2009.12.09

今日は今日とて、根本さんとかほりさんと恒例の忘年会。くろがねで。
くろがねのごはんは幸せの味…みんなで一年の疲れを持ち寄り、しみじみ飲むいい会である。いつも小説のことで鋭いことをびしばし言われるのだが、今年は単行本がなかったので、ものすごく気楽でいっそうおいしくお酒をいただいた。
根本さんの絶対的応援には、身がひきしまる。デビューからずっと見ていてくれるので、道をはずさないように、必死になる。目上の人に見ていてもらうことのすごさを実感する。
夕方、お礼の電話をしようと思い、雀鬼会に電話をした。
電話に出た青年の、声のよく出ていること、親切なこと、状況を判断する的確なこと、すがすがしいことに感動した。久しぶりに人間と話した感じがした。少しも人格を作っていないし、気取っていないし、緊張もしていないし、なんでもこい、という大らかさがあるが、ボケているのではない感じ。人間としてまんべんなくいい力が入っている感じだった。桜井先生に見ていてもらえるというのは、そういうことなのだな、と察した。
私が根本さんやその他ほんとうに思ってくれる目上の人がいるのと同じだ。
「夜は、大会があるので会長もいらっしゃいますよ、こちらからお電話しましょうか?」という言い方の中に、いかにみながリラックスして桜井先生に接しているかがわかる。そして麻雀の大会なのにまるで「もちつき大会です!」みたいな生き生き感。みんなに会える、戦える、楽しいな、という感じが伝わってきた。いや、よく見かける、だらだらしてほんとうはぜんぜん仲良くない、早く終わって酒飲みたい、みたいなもちつき大会よりも、この麻雀の大会のほうがよほど健全だ。
2009.12.08

蝶々さんと「女子魂」単行本のための撮影、対談。どの写真を見ても私の大きさが二倍!だって蝶々ちゃん頭小さくて細いんだもん!
変わらずにサイキックで飛ばしていてゆかいでかわいくて色っぽく、目の保養になった。かなりヒントがいっぱいのいい本になる予感がする。私も、すごくためになった。表面的なテクニックではなく、これからの厳しい時代を生き残って行くためのツールがいっぱいで、女子必携です。
話がエロいポイントになるたびに担当の男子、平城さんが目を急にぱっちりとさせ、にっこりと笑顔になって身を乗り出すところも、目の保養になるくらいかわいかった。
2009.12.07

中年になってしみじみ思うのは、日本人は男女について深く考えすぎではないか?ということだ。私は仕事上やむなくよく夫以外の男子とふたりきりで行動するが、いちいちつきあったりはしない。でも、いっしょにいると、なんとなく性別の役割は強調される。夫婦とは対極の意味で、その中にこそもうひとつの男女の真実があるのではと思うくらいだ。なんとなくノイローゼ気味だったからひとりで行動せずに鈴やんとずっといっしょに行動していた頃なんて、鈴やんの世話をつい焼きたくなり、まるっきりカップルみたいな感じだった。でも、それはとてもいいことなのではないだろうか?
まあ、これも海外に行くようになってから、身についたことかもしれん。
毎日新聞の途中打ち上げと書籍の方々との顔合わせ…といっても永上さんとは前にもいっしょに飲んだことがあるけど、頼もしいおじょうさん柳さんも現れ、いっきょにやる気倍増。毎日新聞の人たちは、考えられないくらいいい人たちで、あたたかい雰囲気がある。永上さんと柳さんの部署には、今、病気から復帰してきたばかりの人がいて、その話をしていたら、ふたりが本気で「そういうことからフォローしていかないとだめだね」「うん、そこはよく考えなくちゃね」と言った。その顔の本気さを見て、この人たちは「自分の仕事が増えちゃう」とか「休まれるとこまる」とか「もし病気で死んじゃったらたいへんだから、関わらないようにしよう」みたいな感じがみじんもないのに、ものすごく感動した。
重里さんと米本さんと舞ちゃんが、私の書いた小説をじっくりと世話し、育ててくれて、花を咲かせて、それから世間に出している。もうそれはもともとの小説よりも大きくなっている。こんな幸福な連載ができてよかった、としみじみ思った。
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