2009.12.16

検査。鉄剤を飲むようになってから、生きてるのが楽しいくらい元気。あれほどの貧血で毎日を生きてたってことは、もはや大リーグボール養成ギブスをしていたようなものだというのがよくわかった。おかげで養成された。あとは生き延びたい。
帰り際にヤマニシくんとランチ。先について奥の携帯が通じない席になったので店の人に「いかにも絵を描きそうな暗い青年が来たらそれは連れです」と言った。そして帰り道にちょっと文化村に寄って、タイラミホコさんのお皿を買いに行く。いっぱい割れちゃったので、買えてやっと年が越せそう。タイラさんのお皿は「ごはんのことばかり100とちょっと」の表紙にもグラビアにもいっぱい出てくる。そして本文にも出てくる。タイラさんがどんなにすてきな人か、言葉につくせない。
チビはまだ隔離だ。やむなく看病して、今日もへとへと。
岩本ナオさんの「しだいに明るむ君の暁」というマンガがすばらしくて、もう絶対取り返せない昔のあの気持ちになって、胸がいっぱいになった。よくも悪くも、主人公の性格がいつも自分そっくりだと思う。特殊なタイプの内気さとか。のんきで、人がよくて、だまされやすくって、ぽわ〜んとしてて。でも変なところが大胆で、夢見がち。
2009.12.15

まだまだチビを外に出せないけど、平熱&ありあまっていて、家族へとへと。
でも私はうつらない。やはり私は6月あたりにもうとっくにかかっていたのだ。どこから来たのかわからない、あのインフルエンザに!
斎藤学さんと対談。あの事務所ではなぜかヒロチンコさんの中学の同級生が働いていたりして、ご縁を感じる。ヒロチンコさんがロルファーになるきっかけとなったたいへんな交通事故の話も、落ち着いた山中さんにかかると「ふりむいたら田畑くんが事故にあっててびっくりした、高林の交差点で」って、なんか、普通の感じ…(笑)。
担当の編集さん、大山さんがとても熱心な私の読者だったので、なんだか守られているような気楽な気持ちでのぞんだ。斎藤先生は、きりっと頼りがいがあり、これまでにほんとうにど〜しようもないたいへんなケースをたくさん見ていらしたんだな、と感じた。あと、儀式というものは、小さくてもとても大切なものなんだな、という感想を抱いた。
2009.12.14

私が目がろくに見えなかった闘病中の子どものときから、親や姉にも手伝ってもらって大事に大事にしてきたもの。だれにもゆずらずにふっくらと持っていたものを、二十四歳でデビューしたことにまつわるさまざまな事件が、じわじわっと奪っていった。もちろん自分も悪い。しかし並大抵でないおそろしい目にどれだけあったか、自伝でも書いたらみんなびっくりすると思う。書かないけど。カート・コバーンが死んだときも気持ちがわかりすぎてどうしようかと思った。象徴的には彼が代わりに死んでくれたみたいな気分だった。自分が自殺する、と思ったときのことだったから。
でも私にはいつもそのときどきに味方がいた。そして、なにがあっても、最後の最後にもっていた種みたいなものは、冷凍にしてでも取っておいた。よかったなあと今になって思う。
チビがインフルエンザ(二回目か、あるいは型がちょっと違うか)から回復してきたけど、寝る前にタミフルを飲ませたらすごく暴れだして、体温も下がり、びっくりした。
これは…「バタリアン」だ(わかる人にしかわからない比喩)!!!
こわい薬だ…効くけど。男子にはやばい。命がけだな。
夜は幻冬舎の打ち上げ。鈴木成一さんもたかこさんもミホさんも来て、うちのスタッフもいて、石原、壺井名コンビもいて、なぜかみんなにこにこして本の話なんかちっともしない。これこそが、いい本を創ったしるしなんだなと思った。
2009.12.13

チビがすごい熱だったが、急な感じではなさそうなので、お留守番を蓮沼さんに頼んで予定通り浅草へ。
おみやげを買って、てくてくと陽子さんの家に寄り、ご家族や大きくなった甥御さんやおばさまに会う。年の終わりにみなさんのお元気そうな顔を見て心もあたたまった。
餃子の王様に行ったり、奥深い東京蛍堂をひやかしたり、蛇酒をあおったりして帰宅すると、まるで独身男性しかいない暗い部屋みたいな、「神聖モテモテ王国」みたいな感じで、蓮沼さんとチビがただだら〜としていた。もしとんかつがあったら完璧だ。
そこにほんとに届いた「神聖モテモテ王国新装版」。すごい偶然だ、いや必然だ(笑)!
読んで腹が痛くなるまで笑った。これ以上の名作はこの世にないのではないかと思うくらい。しかもこのオタクな私をもってしても、パロディ全部の元ネタはわからぬ。笑いすぎてひとり泣いていたら、チビが「笑うのは体にいいんだよ」と優しくさとしにきた。
おかしいな、昨日まではロハスなのんびりやさんのめくるめく繊細な文体で日記を書いていたんだけどニャー。
2009.12.12

下北沢チャカティカもほんとうに終わり。ほとんど開店から通っていたから、長かったなあ。
悲しいけれど、田中さんが幸せに生きていけることを祈ろうと思いながら、挨拶してきた。あまりにも切なくて、感情を出せずに帰ってきてしまった感じ。こういうことってたまにある。なにかはわからないけどなにかの時期がずれているときだ。そういうとき、なんとなくぼんやりして別れてしまう。あとからほんとに悲しくなる。
お店に行く人って勝手だな、毎日行かないくせに、行かなくてもそこにあってほしいっていつも思っている。そこにあるからほっとする、と思っている。もしもりえちゃんがいなくなったら、てっちゃんとみゆきちゃんがいなくなったら、私は遠くに引っ越してしまうかもしれない。そのくらい大事に思ってるのに、毎日は行けない。勝手だけど、お店ってふるさとのようなものだ。
夕方久しぶりにゆっくり寝ていたら、となりからチビのクリスマス会で上級生がやっていた「アニー」の歌が流れてきた。いっちゃんとチビの楽しそうな声も。
大学生のときに自殺した友達の中沢くんは、この歌が大好きだった。この歌みたいに明日を信じられればよかったのになあ。中沢くんはもうこの世にいないし、なんの力にもなれなかったけど、この歌を聴くたびにこれからも中沢くんを思い出そう。中沢くんにうちのチビの学校の子たちの歌う元気いい「TOMORROW」を聞かせてあげたかったな。
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