2011.12.14

ハワイに夜旅立つときの一日って、いつも荷造りして大騒ぎしてばたばたして…でもすごく好きだ。
夜いっちゃんがやってきて、出発。
行きはあっというまに着いてしまうのでいつも寝不足。タッキーに命じられたとおりに「コンディージョン」を観ていたら、タイミングよくとなりの人がむちゃくちゃ咳をしてて、すごくブルーな気持ちに。この映画に関するちほと私の一致した意見「よくグウィネスはあの映画に出てくれたなあ…」
ちほちゃんに迎えにきてもらい、なぜか恵比寿にある小籠包の店に行ってランチを食べ、なんともいえないホテルリニュー(でもだんだん好きになってきた)にチェックインして、撮影へと向かう。ミコが写真を撮ってくれることになっていたから、みんなにこにこ。
いつものDUCSビストロでおいしいものをみんなでちょっとずつ食べて、幸せな時間を過ごす。
2011.12.13

毎回泣きながら「九尾狐」のドラマをいっしょうけんめい観ていた私。だって出てくる人たちがみんなかわいいんだもん。韓流にはまる日本の中年女性の立派な一員である。
韓流ドラマの良さは、いろいろな条件を超えて、私たちが子どもだった頃の日本がそこにあるからということと、韓国のみなさんの体型が今の日本人みたいに細くてみしみししてなくてぴしっとしているからだと思う。
ソウルに行くといつも感じる。まだ人間が人間として生き生きしている。
町は人のエネルギーを受け止めて輝いている。そのちゃんとした循環を失った私たち。
どうやったらとりもどせるのか、時間は戻らないけれど、きっとできるはず。
2011.12.12

「ナニワサリバンショー」を会社帰りののんちゃんと観に行く。
豪華ゲストのみなさんがあえて死をひとことも口にしないからこそ、ずっと心のどこかで「清志郎はもういないんだ」と感じ続けていた。そんな淋しさを感じることも、その淋しさを感じないで清志郎を思おう!ということもおりこみ済みの映画だった。それなのに、どうしてだろう、だんだんとほんとうに楽しくなってきた。清志郎の歌のすばらしさ、生き方のまっすぐさ、いちばん元気で輝いていたころの彼が発散するものは永遠だ。そして清志郎は死んだことさえ超えるものを現していた。それがすばらしい。
ものすごく淋しい気持ちとポジティブな気持ちとが入り交じっている、それは今の社会情勢と同じ。この中を生きていく、清志郎の歌といっしょに。
名店プレゴプレゴで軽くごはんを食べる。活気があっておいしくて屋台みたいなのにイタリアンで、大好き。もっと近所にあったらいいのに!
そのあと「三越の前で」とはっちゃんと待ち合わせをしたのに、丸井の前でものすごく堂々と待っていた私…、しかも「おっそいな〜、どうしたんだろう?」なんて裏まで走って回ってみたりして、まるで韓流ドラマのようにすれ違うふたり…でもやっと出会ってもチュウとかせずに「うっすらとそんなことだと思ってましたけど」と言われただけであった。
2011.12.11

マーコさんの猫ちゃんたちの保証人になるために、清水ミッちゃんといっしょに保護団体へ。
大きな猫ちゃんたち、不安そうで胸がきゅんとなった。彼らのためにあんな大きな重いケージをふたつも抱えてタクシーに乗り込んできたマーコさんにもきゅんとなった。なんて愛おしい人だ…。
犬がひざに乗ってきて「つれて帰って」というので切なくて切なくて、みんなつれて帰りたい気持ちになったが、今いる子たちのことを思うとそれもできない。今いる子たちを大切に、天寿を全うするまで世話を怠らないことをするしかない。
いろんな犬を膝に乗せているミチコさんを見て、ますますファンになった。
はっちゃんが動揺して歩道に乗り上げたりするたびに「大スターが乗ってるからね!」とミッちゃんが言ったのが最高におかしかった。
2011.12.10

たいへんな一日。
ある意味では、一生でいちばんたいへんだったかも!くらい。
足をくじいて受験に行った日くらいたいへんだったかも。
でも、なんとか乗り越える。自分でもすごいな〜と思った、自分を。
それとは関係なくほしさんにびしっとヒーリングしていただき、腰が回復に向かい、歩ける幸せ、息をしても痛くない幸せ、重いものを持ってもみしみしいわない幸せなども味わった。
チビはほしさんちに泊まりに行ってしまった。お兄ちゃんたちと一晩中マリオをやるんだって。すごいなあ!
きれいな月食も見たから、たいへんだったけどよしとしよう。
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