2011.12.20

今年最後の取材。
なにを言ってもうまく言えない、ほんとうにインタビューが苦手なまま、慣れることなく四十七歳になってしまった。結局このジャンルは得意にならないままだった。
三十五くらいから時間が止まっていて、動き出したと思ったらもう今の歳だったような感じだ。しかし、動き出してくれてほんとうによかった。
だんだんと表に出る仕事も引退して、これからの人生を考えはじめるときが訪れたなと感じる。年をとればとるほど、目立たず、地味になりたい。できれば服装もメイクも地味になっていきたい。それが美だと思う。まあ、私の場合地味すぎて「登山ですか?」と聞かれることがしばしば。遅れてきた山ガール!?
人は、自分のことを自分で考えられれば、一人で立てるようになる。一人で立てれば、他の人のことを考えられるようになる。甘えるべきとき素直に甘えられるようになる。しかしそれは毎分毎秒の闘いなので、楽になりたくて人は自分のくせのなかに入り込んでいつものできごとをくりかえし、いつもの苦しみを苦しむことをくりかえすようになる。
いずれにしても人生は大変だ。そして大変なことがわかった上で見る青空やあたたかい家やそばにいてくれる人たちはなんとありがたいものだろう。そんな人たちともいつかは別れていく。今このときがある幸せの大きさよ。
おめでたいわけではない。知り尽くした上でのこの感慨は深い。
2011.12.19

帰りの飛行機の中で見た「TOWN」、ものすごくよくできていて感心した。ベン・アフレックはさすがだ。白人の貧困層についてリアルに描いた映画は意外に少ない。強盗をしたり、人を殺したり、そんな人たちの中にももちろん人間関係や悲しみや友情がある。その生活を抜け出せる要素はだれもが持っている。でも、自分たちだけの代ではじまった悪循環ではないのでその重さを個人ではとても解決できない、そんなことが人々の肌の質感や服装や部屋の内装から実感できる、そういう映画だった。
2011.12.17

イオラニ宮殿へ。
思ったよりもずっと簡素で豊かで、ハワイ王朝の人々の品格をしみじみと感じた。
ああ、思った通りの人たちが住んでいたんだなあと。
大切にしていることがなにだったのか、キルトや、心静かな人がいた気配のある執務室が物語っていた。
あわてて新しくできたヴィクトリアズシークレットでパンツなど買って空港へ。
仕事で駆け足のハワイだったけど、コンブチャも毎日飲んだし、馬にも乗ったし、カニカレーも食べたし、河田さんともゆっくり過ごせたし、静かな海も見たし、子どもと夜中にポテトチップスも食べたし、とてもとても幸せだった。
2011.12.16

朝からクアロアランチへ。
いきなり予約が取れてなくて、まずはバスツアーへ。
なんで海外で働く日本人たちって、あんなにすさんでいるんだろう?
と思いつつ、いろいろな映画のロケ地を観て満足する。ロストのいろんな場面を思い出してきゅんとなった。でも「ここでこれが撮られました」と言われても全部芝と山…だいたい同じに見えるところばっかりだった…
そのあとはボートに乗ってばりばりと海や海亀を見て、乗馬。
乗馬の撮影、ちほちゃんがカメラをかまえながら馬に乗っていてどきどきしたけど、馬たちがとてもいい子だったので問題なかった。重い私を乗せて歩いてくれたナポレオン号よありがとう。馬に乗るって特別なことだと思う。なにかと力を合わせること、信頼して身をあずけること。
「スティール・ボール・ラン」を読んだばかりだったので、馬を好きな気持ちが爆発していたのもよかったかもしれない。
最後のディナーは12th ave へ。ここもいつも活気があってとてもあたたかいレストランだ。ここに来ると、アメリカ人の生活がどんな感じか実感できる。
2011.12.15

河田さん登場、ちほに運転してもらい、みなで北上。
途中ハレクリシュナの瞑想センターでヴェジタリアンブッフェを食べるけど、あまりにおいしくてもう肉なんてなくてもいいっていうくらいだった。こんなことはじめて経験した。いつもそういうレストランに行くと「おいしいけど、なにか欠けてる」と思うのだ。さすが、歴史あるハレクリシュナだ〜。
ちほ「ヴェジタリアンのごはんってすっごくおいしいけど、こ〜んなに野菜を買ってきて、それを刻んだりなんだりすご〜く小さくして、『もう食べればいいじゃん』っていうところからまたオーブンに入れたりするから、待ちきれない」
なんて露骨な気持ちを!
さらに北のクアロアランチ付近に向かい、撮影したり、明日の予約をする。
私は乗馬に、ちほはカニカレーに執着して、今晩はカニカレー。マイランに行って、親切なお店の人たちに感動しつつ、思う存分食べる。
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