2011.08.08

朝からチビの面接へ。
受かったので、ほっとする。新しい学校での生活が秋からはじまる。みんなどうなっていくんだろう、わくわく。
夜はトッズに寄ってありがたくもカプリ賞のプレゼントをいただく。
なんて太っ腹なよい会社でしょう…!
大きな美人、宅間さんもありがとうございます。
トッズの靴しか入らない幅広外人足の私にとってあのお店は命綱です。
石原さんと円さんと「ラ・ボンバンス」へ。
全体的に私には少しだけ油っぽかったけれど、男の人には最高のバランスだろう。
創っている人がお料理を楽しんでいるなという感じがすごくあたたかくてよかった。

2011.08.07

チビとちほちゃんとはっちゃんと雀鬼会の海へ!
いきなり顔から流血の今川さんがお迎えに来てくれてテンションが下がった…!
貧血なのであまり泳ぐ気がなかったんだけど、懐かしい伊豆の海に入ったら体が海を思い出して、会長といっしょに水中でいろんな生き物を探した。フィンをつけて泳いだことがないから慣れるまでは死ぬかと思ったけど、最後はやらせみたいにいちばん目立つところにあるサザエを採ったりして(すぐ戻しました)、楽しんだ。
すごく楽しくって、貧血も落ち込みもふきとんだ。
もぐりのプロであるちほちゃんはかっこよくがんがんもぐって「さざえ姉さん」と呼ばれていた…!
そしてチビは魚といっしょにボートに乗せられてきゃあきゃあ言っていた。弱!
みなさんにほんとうにお世話になって、なにからなにまで見守ってもらえて、よい一日をいただきました。みんな町田で会うときよりもきらきらしていて、自然の中はいいなと思った。つく時間に合わせて動いてくれたり、お店を予約しなおしたり、先にお風呂に入れてくれたり、とにかくあたたかい気遣いをなるべくこちらの負担にならないようにしてくれた。
連れて行っていただいた五味屋さんはあまりにも感じがよく、全てがおいしく、すばらしいお店だった。残さないために若い衆がやってくるのもすごい。雀鬼会すごい。
会長のおじょうさんが衝撃的なまでに美人だったのにも感動。
ちほちゃんがどんなところでも明るくきらきらしているのにも感動。
いい夏の思い出だった。
偉大なお父さんがいて、そのまわりの集団があって、そこんちの娘として海にいっしょに行く…その全てが、フォーマットは違えど懐かしい感じだった。
2011.08.06

クムとトークショー、たった20分なのに、あまりにもクムが美しすぎてきらきらしていて、光がゼリーみたいにふわふわこちらに漂ってきて、くらくらした。なんてすごい人なんだろう。言葉が音符みたいで、ぜんぶきれいな言葉ばっかり。
あまりにもきれいすぎるクムのお話を中断したくなくて、あまりしゃべらなかったけどよかったのかしら(よくないと思います)!
「ワン・ヴォイス」とてもいい映画だった。カメハメハスクールの合唱コンクールを記録したドキュメンタリーなんだけれど、学生たちがハワイ語の歌を歌い込むにつれ、どんどんいい顔になっていくのがすがすがしい。
みんなでお茶してから、旅のミーティング。のんちゃんが家に寄っていき、子犬にメロメロになっていた。
2011.08.05

ついに子犬ちゃんがやってきました。
先代のゼリちゃんにあやかって名前は「コーヒーゼリーちゃん」真っ黒にちょっとだけ白が乗っていて、ぬいぐるみみたいにかわいい。
ブリーダーさんのご夫婦がちょっと淋しそうで、切なくなった。犬のプロ、たくさんのチベタンテリアを育ててきた彼ら。ちょっとした変化も見逃さず、しっかり世話をして、べたべたしていない。立派な人たちだ。
だいじに育てなくては…。
帰りに近所の雅子さんの家に寄らせてもらう。
子犬はカゴでずっとすやすや寝ていて、涼しいお部屋の中、レディガガを観ながら、あまりにもおいしい、お店みたいに完璧な雅子さんの作ったエスニックランチをいただく。グリーンカレーも春巻きもスープもみんなおいしかった!その全体が、子犬が来る日という意味ばかりか、ゼリちゃんを失った悲しみを癒してくれた気がした。
雅子さんのおうち、お父さんとお母さんがまだ元気で歩いていて、それぞれのことをしているあのちょっとけだるいような雰囲気が今の私にはとても恋しくて、すごくよかった。
雅子さんのきれいな部屋でおしゃべりしていたら、この部屋の中で、彼女がいろんな気持ちを抱えながら仕事をしてくる中、私の本が彼女を支えてきた、その歴史を思ってありがたい気持ちになった。
家に帰ると、コーヒーゼリーちゃんはずっと私のあとをついてくる。台所でいつも視線を感じて、ふりむくとゼリちゃんがいた、同じように私を見上げている。
どんなに淋しかったのか、今ほんとうに気づいた。
淋しく思うことを家族の世話のために止めていたんだっていうことも。
2011.08.04

貧血でフラフラでなにを踊ってるのかさっぱりわからないフラ。
しかし、こういうときこそ、低い低いところから生きるコツをつかむチャンス。
調子のいいときには決してわからないこの感触。
それは「これさえこうなったら、元気になるのに、なんでこうなんだろう」
じつはそうなってしまうと案外簡単に大丈夫な状況に慣れてしまいありがたみを失う。それが人というものなのだ。歩くのもやっとな今、貧血でさえなければ、と思うのは当然なのだが、貧血でないときはそれがあたりまえになり、無茶をしてしまう。
かんじんなのは、今をほんとうにありがたく生きることだけだと思う。
目の前のことをすること、ただ生活することだ。
あまりにもふらふらなのでのんちゃんにかつがれるようにして送ってもらう。世話になりっぱなし!
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