2011.07.02
しだいに仕事モードに入ってきて、とりあえず記者会見。イタリア記者たちに混じって共同通信と読売と時事通信の方々がいらしたので、日本語をてきとうにできず冷や汗をかく。でもなんだか心強かった。ガラちゃんもやってきて、てきぱき訳してくれる。日本のしっかりしたかわいいおじょうさんに全てがそっくりで、あの人は日本人じゃないの?とチビも不思議そうだった。 ジョルジョとたくじ到着。みんなでランチを食べる。 せっかくだからとバスに乗ってとなり町のアナカプリに行き、アクセル・ムント邸だったヴィラ・サン・ミケーレを見に行く。三回目だが、何回見てもいい家だ。敷地は広いけど贅沢なものはなく、もともと遺跡だったために地中から発掘されてしまったものが壁に埋め込まれてさりげなく息づいている。こんな簡素で美しい暮らしがしたいと思う。いつのまにかカフェまでできていたので、のんびりお茶を飲んだ。イタリアを知り抜いたたくじがいるからこそ可能な移動の数々で、ほんとうにほっとする。 夜は授賞式。ホテルの屋上にすばらしい会場がセッティングされていた。カプリをぐるりと眺められて、夕方の光がとてもきれい。 私は女優のシルヴィアさんといっしょに「ばらの花」を朗読。 シルヴィアさんのおじいさんにとても美しいばらの花のエピソードがあり、それを教えてくれたりしていろいろおしゃべりしたので、意気投合していていい感じだった。 ディナーの間は、スポンサーのおひとり、80代なのにしゃきっとしているドロテアさんの数奇な人生の話を聞く。パパはイタリア人の大実業家で、彼女はたったひとりの跡継ぎ。日本人のママとはほとんどいっしょにいられなかった。一見こわそうな人だが、これまでになんでもかんでも見てきた人特有の懐深さがあって話しやすい。 日本も実はそうなんだけど、イタリアではもっとわかりやすく服と靴とジュエリーを見るだけで、その人がどの階層に属していてどういう人生観を持っているかはっきりとわかるシステムになっている。 ほんもののお金持ちはジュエリーのクラスが違うし、服の丈や素材も決まっているし、帽子も違う。TPOに関して徹底的なまでにしきたりがあり、どのブランドかわかるブランドものは基本的に持っていない。ちょっと背伸びしたくらいでは決して入れない世界だ。 わかりやすく言うとたとえば叶姉妹は「家のクラスはそんなに高くないが、実業を営んでいて、人脈はかなり広い。女を売っているが堂々としているのは、客のクラスが圧倒的に高いからである、だから軽んじてはいけない」という人の絶対的なドレスコードで動いていて、あの服装と行動パターンは彼女たちのリアルな生活に基づいたもの。全然大げさじゃない。 同じアーティストでも、何%くらいアート寄りか、どういう人付き合いか、お金があるアーティストなのかどうかも見ればわかる。私の場合は一目で「ヒッピーよりの小金持ち、場慣れはしてる、アートに関してはプロ」とわかってしまう。見た目でそこまで主張して初めて言葉を交わすことができるシステム。 そしてほんものの上流階級の人たちが集まるところには、ほんとうにハイエナみたいにただそこにいておこぼれをもらっている人がふらふらと集まってくる。 そんなヨーロッパ人から見たら、きっと一般の日本人ってわけがわからないんだろうな。
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