2011.07.26

クムのライブに行ったら、突然モスラに出てくるようなものすごい美人たちにさらわれ、舞台に出て、クムにカプリ賞とお誕生日おめでとうって言われてしまい、どきどきした…。
最近、マヘアラニさんとプナヘレさんが踊っているのを見ると、なにかが極まったことを感じる。これからどこへ行くのかではなく、今だけの、今日のステージを生きているあの人たちの天才ぶり。
それもみな、クムがあの日、フラを生きることを決心しなかったら産まれなかった光景なのだ。人の信じる力のすごさを思う。そして歌うクムはほんとうに輝いていて、歌うために生まれてきた人なんだと思わずにいられない。お客さんの中にだれがいても、いや、きっとだれもいなくても、音楽がクムをつかまえる、あの感じ。
いくつかのハラウを見学に行き、今もいろいろなハワイアンの名曲をいろんなバージョンで聴いているけれど、いつも気持ちはただひとつ「サンディーの歌で踊りたい」
これがあるかぎり、へたでもいていいっていうことにしよう。
2011.07.25

実家へ。コロッケの量が少し少ないのでは、ついに姉も…と思ったら、コロッケの中にぎっしりとチーズが入っていて、インパクトは量よりもすごかった。さすがだ。
お父さんの目がいよいよ見えなくて、悲しんでいて、とっても切ない。
でも、なんだかわかってきた。うちの父はいつもすばらしく賢くて、たくさんの仕事をして、それゆえにいろいろな人の相談に乗ったり、慕われたりしてきた。今のちょっとボケた父さんは、私の子どもの頃と同じ、ただいるだけでいい、単なる父さんだ。人生はここに戻ってくることにいちばんの価値があるのだ。業績は関係ない。人はただいるだけでいいのだということだ。このことがわかったのは最高によかったことだった。
2011.07.24

尋常ならざる量のお誕生日のお菓子とかお花が届いて、セレブな気持ち。
しかしその梱包を解く間もなく、走って恵比寿へ。うちのハラウがちょっとだけ舞台に出るので、のぞきに行ったのです。美人たちがてんこもりでチビも喜んでいた。
じゅんちゃんとちょっとお茶とフォーを食べてから、焼肉屋さんでお誕生日会。
ジョルジョとたくじとちほちゃんというすごい海外メンバーがめずらしく集う。千里では新しく冷たいもやしスープというのができていて、ものすごくおいしかった。
みんなでカラオケに行き、このメンバーでは一年ぶりの歌いまくり。懐かしい!
ちほちゃんとチビが店外にデートに出たので、どこに言ってたの?とちほに聞いたら、
「マンガの店に連れて行かれて、石ノ森章太郎って好き?って聞かれたから、サイボーグ009が好きだよって答えたら、ホテルといういい作品があるんだけれど、それは石ノ森の生涯最後のほうに書かれた作品なんだ、って言われたよ!八歳とのデートとは思えなかったよ〜」と言われた。
2011.07.23

ヒロチンコさんとお鮨。おごられる喜びでいっぱいいただく。
となりの席にはまだ小さいお嬢さんがいて、マグロとネギトロ巻しか食べられなくて、パパといっしょでもちょっと退屈そうだったけれど、私たちの食べっぷりや話を聞いて、ぷっと笑ってくれた。常に子どもより。大人になりきれない四十七歳のはじまり。
まみちゃんから「ばななさんハッピーハースデー!フットワークが軽くてユニークなばななさんが大好きです!」という感じの勢いあるメールが届いたので、「あしただよ」とお返事をした。はずさないな〜、恋のライバルよ、いい味出してるぞ!
今年のお正月いちばんにしゃべったのはのんちゃん、誕生日きっかりに電話でしゃべっていたのものんちゃん。これじゃあ、つきあっていると思われてもしかたない!
2011.07.22

チビの同窓会でイーヴォさんのお店に行く。イタリアつながりでイーヴォ夫妻とはなにかとご縁がある。
子どもたち久しぶりの再会で大はしゃぎして、他のお客さんから文句が来るほど…申し訳ないと思いつつ、喜びが止まらない彼らをなんとかなだめる。震災でばらばらになったのは、東北の子たちだけではない。チビもあの日から、ほとんどの同級生とお別れをした。今日本にいて影響がない人たちは実はいないのだと思う。人生が変わってしまった。
変わらぬおいしさに感激しつつ「今日は同窓会と父兄会、だいたいこういう組み方」というのをいっぺんに把握してこちらに負担をかけずにメニューを組みサーブする戸田さんがやはりすごい。
変わり者で遅刻ばっかりで協調性がない私たちを、ずっと優しく助けてくれた古谷家。久美子さんがいなかったら、きっと私たちはとっくに学校に通うことを挫折していたと思う。ありがとうございました。
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