2011.03.26

実家でふまれ大会。
体がかたくてびっくりする。まだ戦闘態勢にあるんですね、とたかさまが言った。
たかさまはたかさまのやりかたでいろんな形で震災にあった人たちを助けていて、頭の下がる思い。自分も自分の形でやっていこう、こつこつと。名前も出さず、自慢しないで。なによりもたかさまを見ただけでほっとした。
しかしボケてるってのはある意味強いなと両親を見てしみじみ。
お父さんが体の痛みを「もうほとんど卒業しましたけどね」と言ってるから、「まだ人生を卒業しないで〜」と言ってみた。
2011.03.25

ゆうじさんに髪の毛を切ってもらい、ストパーなどかけて、のんきにいっちゃんとビールを飲みに行った。街も店もがらがらで、なんだか七十年代みたい。ちょっといい感じさえする。
東京は消費も電気も人数も飽和状態だったんだなあ、とあらためてまた思う。
人と人のあいだの心地よい空間の大きさ、お店の数、電気の明るさ、お金の使いかた、一日に得る情報の量…肉体がある限り、基本的にそれってそんなに増えるものではないはず。そこをはずさない人生にしていこう、とますます思った。
不安になるのは簡単、こんなときは簡単でないけもの道をゆく!
2011.03.24

長年のフラ人生の中でも、もっともクラスがきらきらして、助け合って、いっぱい天使を生み出して、世の中に返した夜だった気がする。まるではじめてこのハラウに来たみたいな、生まれ変わったみたいな。みんながみんなを好きで、助け合って、大事に思っていて、いっしょうけんめいに踊っていたから、胸がきゅんとなった。
帰りはインドネシア料理に、ビールを際限なく飲めるメンツで行ったから、ビールを際限なく飲んだ。この店、もうどこをとっても、ナシチャンプルがないこと以外はみんなインドネシアで、なんでもいいからあったかいところに行きたい欲がもりもりわいてきた。
2011.03.23

陽子さんの結婚祝いの会で、浅草へ。
二十代のとき、いつも店のあと飲みにいっていた釜飯屋さん、あのすごいおいしさはほとんど油のおいしさだったことがわかる。若くないってそういうことなのね。わかっちゃうのよね。
久々にみんなの顔を見て、ほっとした。生き延びて、おいしいものを食べてっていうのは、ほんとうにいいことだなと思う。
2011.03.22

歯が痛い…と思って歯医者さんに行ったら、痛いのは鼻腔、花粉症のせいであった。
そしてつきそいできたチビが虫歯を発見され、がりがり治療されていておかしかった。
歯医者さんでは先生たちも助手さんもみなが歯のことばかり集中して考え、治療していて、地震の話題さえ出なかった。いいなあ、と思った。そういう地に足のついた、他にできることがないからできることをしている、人間の営みにはいつも心うたれる。
あまりにも仕事が多かったので、全部投げ出して家族でカラオケに行ってしまいました…!
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