2010.12.31

大晦日。大変な一年だったなあ…と思いながら、家族で小龍包など食べる。
どんな年だったかというと、死にかけた、むちゃくちゃ旅行をしたそして生き延びた、だ。
二日続けての小龍包だったけど、おいしいから全然オッケーだ。西武の下のあの店、実は担々麺がものすごくおいしい。辛いけど!
今日は実家にチビが泊まるので、荷造りをして送っていく。
2010.12.30

宮本輝先生の「骸骨ビルの庭」をやっと読める。年末にと取っておいたのだ!
人間を深く知っている著者の力わざで、こんな突飛な設定でも決してものごとが理想化されていないので、小説ではなく単なる実話ルポなのでは?と思うくらいのリアルさだった。でもそこはやっぱり輝先生の主人公。なんとなく上品で、ほのぼのしていて、やることをこつこつやって、ちょっと抜けてて、あやまるべきときは素直にあやまり、いつのまにかみんなが心を開いてしまう感じに、安心して入り込むことができた。
そしてもう一方の、亡くなっている影の主人公は昭和のおじさんならではの、なにがあってもやせ我慢をするしやると決めたことはやるという人で、その人の気配が作品全体を静かに覆っている。その面影の中で主人公は安心しておいしいコーヒーを飲み、オムレツを焼き、庭をたがやしている。それだけで会社勤めの男の人がどういう暮らしをしたいのか、痛いほど伝わってくる。別に逸脱したいわけではなく、世界を自由に見たいという気持ち。
いい人がいいだけではなく、悪い人は悪いままで、ずるい人でも死なないでほしいとみんなが思い、そうそうこのバランスが人間だなあと思いながらも、私もまた安心して輝先生の技の中で心を自由にした。
2010.12.29

大掃除してるけど、ちっとも片付かない。どうやったらこんなにいろんなものが出てくるんだ、という感じ。こまめなおそうじが大切ね…って毎年思うんだが。
まみちゃんのバイトしてるお店に遊びに行く。肉がおいしくて、みんなでいろいろなものを頼んでちょびちょび食べる。みんな年末でへとへとだけれど、なんていうことない会話をして、一年間ありがとうと思って帰っていくのがいちばん。
人間は、どんなところからでも、心を切り替えて、たったひとりではいあがるしかない。
その心構えがなかったら、なにもできない。たったひとりで、だれにも言わずに、楽しいことだけは人とシェアして、こつこつはっていくしかない。それができたら初めて、あれ?同じことを知ってる仲間がいたんだ、ってことがわかる。楽して幸せな人間がひとりもいないこともわかる。それがわからないで人をうらやんだり、孤独に苦しんでいる人を見ると、気の毒だなあと思う。気の毒だけどなにもできないし、しちゃだめ。だって、それぞれに人生が与えられていてそこで精一杯やるしかないんだもの、と思う。
2010.12.28

ものすご〜く濃く、めずらしい会に出る。
ものすご〜く面白い話をいっぱい聞くけど、ここではどれも書けない。実業家さん、議員さん、テレポーテーションさんなどすごい人満載。すばらしい人たちの目はみんな子犬のように澄んでいる。社会って平等だな、とあらためて思う。このような目をしていたら、望みは叶う。望みが叶えたくなかったら、望みを持たなくてもいい。自由で、厳密だ。
すごい偶然により、もしかしたら、チビは学校を変わるかもしれない。すごい展開にどきどきする。
夜は、外国人たちの会(?)。旅人さくらくん、ハワイのちほ、バリのみゆきちゃん、世界をまたにかけるなにかとふさふさの舞ちゃんと、家族で、ピザを食べる。みんな日本人とは言えない変わりっぷりで、面白い。ちほちゃんの関西人トークも年々円熟の域に!
2010.12.27

今年最後の鍼。ものすごく助けられたので、心から感謝の言葉を告げる。
予防が全てだとますます実感した。
夜は実家の忘年会で、ありとあらゆる肉を食べる。羊、鶏、レバー、牛。鼻血が出そう。母と父もなんとか参加できてよかった。親が生きているのを見るだけで、もう数えることをやめよう、と思う。体重計も、月も、日も、時間も、もうこの人生にはいらない。
そういう気分になる。よく知らないけど合気道ってきっとこれなんだなと思う。
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