2010.07.09

すごい一日!まずはえりちゃんのところへ行く。えりちゃんにいろいろ相談し、すごくすっきりする。いろいろあいまいにしていたことが一刀両断ですっきり。シンプルになっていけそうで、単純に元気になった。えりちゃんのように生きている人が少ないので、同じような生き方をしている自分としてはとてもほっとする。いっしょにごはんを食べに行く。
チビ「チビちゃんはシェフになれますか?」
えり「お料理はずっと好きだと思うけど、シェフよりももっと楽しいことが待ってるかもよ」
チビ「な〜んだ、シェフになれないのか〜」
私とヒロチンコさん「いるいる!こういう客!」
そのあと、白銀台のアダムエロペに行って、もうひとりのえりちゃんやその家族、仲間たちとお茶したり、ツリーハウスに登ったり、お買い物をしたりする。あんなお店近所にあったら、破産だ!特にスキンケア類がかなり厳選されていて、感動した。えりちゃんはここでずっとこつこつと働いてきたんだなあ、というのも、感動。
帰りに親くんと合流し、お友達が作っているといういい感じのインナーをもらい、iPadについて語らいあう。すごい雨が降ってきたので、雨宿りしながら、カフェミケランジェロの変な客たちを観察して過ごす。不況と喫煙率の関係にも思いをはせる。パリの路面店に似てて劇場型ではあるんだけど、パリのほうは、すごいおばあさんとかいて、基本的に放ったらかし。チップをかせぐすごい店員だけはてきぱき。そこが違うところかなあ。アジアだなあ。
イタリアは、もっとムードがない。美しいけど、ムードはない。各国の違いが面白い…。
2010.07.08

まだ腰が微妙なので、遅れてフラへ。ほとんどひざを使えない踊りだけれど、少しずつ、リハビリ参加をしてみる。ここにいるみんなの、どのくらいの人たちと、いつまでいられるんだろう、前はいつもそう思っていて別れがこわかった。でも、一回踊れなくなってみるとわかる。今、いっしょに一回でも踊れるだけで嬉しい。ジュディさんの声がきける、とかちゃんのかわいい足先を見ることができる、ゆうこちゃんのおくゆかしさに触れられる、のんちゃんがいつも温かく見ていてくれて、私が毎回同じところで間違ってると、三回目くらいにそっと教えてくれる、じゅんちゃんは他のクラスで教えていても、全然いばらない。まみちゃんはうまいけどうまいでしょ!という感じで踊らない。その他のたくさんの人のそういう面を毎回見ることができる。
ごはんを食べに行くも、後ろの席のお金持ちそうな若い人たちパーティのうるささがほとんど怒号!
目を閉じて聞いていると、気持ちのよい発声がひとつも含まれていない。若者もたいへんだなあ、と思う。
2010.07.07

英会話。
バリでがむしゃらにしゃべったり聞き取ったりしていたので、それほどなまってなかった。生徒さんが赤ちゃんを連れてきていて、抱っこさせてもらう。赤ちゃんにしかない、よさっていうのがある。あのあたたかさ、柔らかさ。人間ってすごい、みんなここからスタートしてるなんて。
2010.07.06

TVの収録。
とにかく、正直に言えば言うほど、とりたててなにもない我が人生。
なんといってもさかいが昔の写真をきちんととってあることに衝撃を受けた。
ふたりとも痩せてて、なんかかわいいの。
それから山登りでさかいが死にかけたことも生々しく思い出した。さかいの着てたダンガリーのシャツが、汗で真っ黒になって、肩で息をしていて、こわかった。子どものころ「熱中症で脱水」とか「山登りで遭難」とか、ニュースで聞いていただけだったけど、このときにはじめてほんとうにあることだと思った。
中学の卒業アルバムもあって、もう何人もが帰らぬ人になっているのも、悲しかった。このときは、こんなに若く、こんなに元気なのに。あと、目立たない人であったはずの初恋の子があまりにもかっこいいのにも衝撃を受ける。なんかこう…村上春樹のようなオーラ。この頃から、自分は、見た目以外のものを見ていたんだ、とあらためて確信した。
2010.07.05

ゲリーの「象がタンゴを踊るとき」読了。長く、面白く、スリルにあふれたすばらしい小説だった。読めば読むほど、ゲリーのことがどんどん好きになる。私は基本的に人を「こういう人だと思ってたのに、意外」ということは決して思わないのだが、ゲリーがここまで小説の才能がある人だとは、思っていなかったかもしれない。こういう誤算は、いくらでもあっていいと思う。
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