2009.05.09

ぎっくり腰かと思ってたけど、あれは水疱瘡が神経でうずうずしていたんだな、デビューを待って。
今日もいっちゃんと森田さんのフォローでなんとか家のことをできた。
本気で青山葬儀場に行きたかったけれど、水疱瘡をばらまいても…と思い、そしてまだ立っていられないので、自粛して、ふとフロルへ行った。
たまたま田神さんが担当してくれて、フロルの二階でのリフレは最後の二日間だったことを知った。一階でリニューアルするそうだ。
建物が呼んでくれたのかな。最後に挨拶できて、とても嬉しかった。足に血行が戻ってきたし、ズバリ「肝臓と腎臓が疲れてる」と言われたが、とても病み上がりとは思えない老廃物の少なさだ!と言われて、元気が出た。顔がものすごいけど。まるで面白い模様の人みたい。
2009.05.08

行きつけの内科がやっとあいて、しっかりした解熱剤を出してもらって、やっと意識不明になるのが治った。家の中でいつのまにか倒れているので、ほんとに困った。
ヒーリングをしてくださった…ジュディスさん、ウィリアム、ゆりちゃん、ちほちゃん、飴屋夫妻…それから姉、ふたりいる私の大事なヨッシーたち、お祈りしてくれた人たち、ほんとうにありがとう。ヒロチンコさんも、バイトに入ってくれたヤマニシくんやいっちゃんやエマちゃんも、ありがとう。この人たちがいてくれたら、医者、いらないのかもしんない。
2009.05.06

一日中39度。解熱剤を飲むと一瞬下がる熱。この中で読む「三国志」臨場感爆発!
でもたいていは読めずに寝込んでいる。顔がボコボコで面白いくらいだ。
家の中で急にバタンと倒れたので、救急車を呼んで、点滴でもしてもらおうと思ったら、日赤は「もうできることないからじっと辛抱しろ」と拒否。まあそりゃそうなんだけど。これはまだ、説明があっただけまし。
そして近所の有名な恐ろしい外科病院に運ばれた。入院しろというが、まずいきなりくそババーに「あなたこのくらいで救急車呼ばないでね!」と怒鳴られ、「子供じゃないんだから自分で熱はかって38度以上あったら座薬を入れなさい!」と怒られ、そいつの下手な点滴でおおアザができたので、むかついてきて、絶対帰る!と言い張って帰った。だって(多分換えるのが面倒だからっていっぺんに)2リットルの点滴を下げながらトイレに行けっていうんだけど、トイレが狭すぎて入らねえんだよ!点滴のスタンドが!しかたなく戸をあけてしました。廊下はものすごくタバコくさいし、ババーもタバコくさいし、喫煙所の隣にすっごい咳の人が入院してるし、長屋みたいな衛生状態だし、冷蔵庫には「他の人の食べ物を盗まないで!通報します」と書いてあるし、ベッドには得体の知れない血や膿がついたままだし、死ぬと思って。「帰るので、ごはんはけっこうです」と言ってるのに、「ごはんですか!おかゆですか!」しか言わない。それはまだいいとしても、ナースコールをしたら、がちゃっと切るんだよ!
くそババ〜、医療にたずさわるんじゃねえ!
他にもほんとうに顔が真っ赤で熱が高そうな青年に、大雨のなかお金をおろしに行かせていた。「そこ出て10分も歩けばセブンイレブンがあるから!」って。後日にしてやれよ!
…ああ、すっきりした。ゆるしのない、非スピリチュアルな私です。
でも院長先生は、休日でもとにかくケガは見てくれる、町の正しい外科医というか、野戦病院の先生というか、お医者さん的な切れがあったので、もし深夜に手や指や首がもげたら、行ってもいいかもしれない。その時間帯にあのババーがいなければ。
ガンの人だってたいてい手術後4日で帰宅だし、お産もそうだし、今の世の中、大けがか危篤でないと病院には入れてくれない。家で倒れたり、なんだかわからないけれど熱が下がらなかったり、ちょっと胸が苦しいとか、頭が割れるように痛いです、という場合は病気ですらないとされて断られる。受け入れてくれるのはくそババーのイライラの矛先を患者に向けられるような病院だけだ。
じゃあいったいだれが病院にいるんだろう?コネのある人?死にかけた人?けがの人?急な人?じゃあその人たちは、いちおうモノではなく人扱い?さっぱりわからん。
医療関係のだれに聞いても、忙しいから、こちらはこちらで精一杯だと言う。それはそうだろう。でも「水疱瘡とか高熱程度なら薬飲んで自分で寝てろ」というのは、おかしいと思う。患者が甘えてるの?
かといって死にそうな人がいる場所でも、いい雰囲気を見たことは神経科以外ではたまにしかない。みんなイライラしていて、話しかけにくいほどだ。いい雰囲気は、一般の人にはわからないところに秘められてるのか?長く入院すると仲良くなっていい感じになるのか?謎だ。
一目でわかると言っても、薬のあるなしを問わず、断られた病院5軒。水疱瘡のちゃんとした検査さえ受けていないよ、私。
日本では病気になったら、もう半分はモノである、その程度の病気で診てもらえただけよかったね、薬だけ出したらもうやることはないと、ぐあいの悪さはたいてい甘えだから気遣いはいらないと、そういうことだ。大きな薬局がいっぱいあるだけと言っても過言ではないし、死にそうになってやっと病院に入れてもらえてももう遅いことが多い。
なにもしてないからと言ってストーカーを取り締まってくれないけど、なにかあったときにはもう遅い、そんな警察と全くいっしょだ。
いやな国だな〜、なんとかしなくちゃ。
2009.05.04

きっとこれは帯状疱疹に違いない、と思い、あわててあいている戸倉眼科へ行く。すばらしい先生だ。今回命を救ってもらった。英断でとにかく5日分の薬を出してくれたのだが、それがなかったら、死んでたかも。あいてるってこともすごい。
夜、もうぜんと発疹が出始め、姉が「あんた水疱瘡はやってないわ」と言い出し、これは大人の水疱瘡だとわかる。しかしどの病院も絶対受け入れてくれない。やむなく日赤にかけこみ、薬を確認してもらう、ちゃんと診てくれた。この薬でいいとのことだった。
2009.05.03

腰痛い…。
まだ口唇ヘルペスが出ているだけで、余談をゆるさない状態である。
でもがんばって実家へ行く。あいかわらずポジティブな孝くんがスペインから来日しているからである。あまりのポジティブさにみんなあきれるのだが、実力のあるポジティブなので、納得するという不思議な人だ。
彼は人の話を聞くのが苦にならないので、これまでに何人ものものすごい鬱の人などを治しちゃっている。人は幸せになりたいし、愛されたい生き物なのだなあ…。どんなネガティブなものを受けても、体の中に変換装置がついていてどんどんエネルギーがわいてくるそうだ。すごい!
そういう話をいっぱいして孝くんが帰ってしまったら、うちの父さんが「いや〜、まほちゃんにはいろんな友達がいるね〜」と言って、ヒロチンが大爆笑。
それから石森さんが「おかあちゃんは、運動部のとき、やっぱりブルマの中にスカートをぎゅぎゅぎゅとつめていたの?」と聞いて、老いた我が母に「そんなこと聞いた人いないわよ!」と大ボリュームで言われていた。
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