2009.05.20

菊地さんのダブセクステッドのライブに久々にキネマ倶楽部へ。なにが気になるってこのライブハウスは、各階の壁に人工ツタが飾ってあるのがすごいといつも思う。あと、となりのダンスホールが中年たちで混んでるのもすごい。
前半はデヴィット・リンチの世界、後半は爆発する菊地節、いいライブだった〜。この先ゆきわからぬ時代にばっちり合っている!
私は厳密には菊地さん個人のラブラブファンではないのだと思うが、彼の音楽や文章でないと思い出せないある感覚というのがあって、喉乾いて水を飲みたいみたいにそれを求めるときがある。そして彼はハズレなくいつでも絶対にそれを表している。
宇多田ヒカルちゃんについて。会ったことないし年が違うし顔も違うし運動神経ないし歌も歌えないけど(笑)、この世の中で、私の苦しみがたったひとりわかる人がいたら、あの人だと私は思う。そしていつかチビもそう思うだろう、という予感がする。「点」を読んでますますそう思った。ある程度の人数が彼女の世界に自分を重ねていると思うが、そういう、創作の問題ではなく、このタイプの感性を持ち、家族にも恵まれているように見え、友達も多く、贅沢に見える人生なのに、現実界で同じくらい絶望したことがあるしかも女性というとあの人だろうと思う。いつまでも自分が自分にフィットせず、同じ逃げ方をし、同じごまかし方をし、それが自分にとって誠実だったとしても、同じようにずるいと責められただろうと思う。同じくらいひどい目に会い、なにくそと乗り越えたが、もう空しさからは逃げられない。一生分の苦悩と空しさを知り、死ぬことさえゆるされなかった仲間だ。私たちはなんのためにこの人生になったのか、いつかお互いが同じ、静かな答えにたどりつくといいと思う。
もしかしてこの気持ち、うちの親がビートたけしだけには自分のつらい気持ちがわかると思う、と言ってるのと同じか!?
2009.05.19

アルパカ牧場に行くも、ダチョウに威嚇され、アルパカにはつばをぺっぺっと吐きかけられる。なぜだ、こんなに動物好きなのに!
奈良くんの家に寄り、みんなでごはんを食べに行く。
前からよく行くお店にかなり似ているが違う店。イタリアンで、ものすごくおいしかった。
チビ「チビちゃんは似てるなんて思ったって言ってないよ、でもさ、きっとこっちのお店のほうがあとからできたんじゃない?あのお店をみてからつくったのかもよ」
そんなこと大声で言うのはやめて!!
親を含めみんなが「チンチンやケツを触るのはやめろ!」と怒る昨今、奈良くんたちがあまりにも「もっとやって〜」と喜んだりやりかえしてくるので、チビがものすごく動揺していたが、嬉しそうだった。よかったね。
ラスコーの時代から、余白があれば理屈抜きで絵を描くのが画家、その時代からずっと飲めば脱ぐのが男子、法律のことはわからない。善し悪しも個人的にはコメントできない。
でもシートベルトをしてないとか、路駐とか、落書きとか、道路で演奏とか、なんかそういうことよりももっとずっと問題のあることがこの世にはいっぱいあふれてないか?
と思う。
みんながまじめで息苦しくてはみだしてなくて鬱積して身内を殺すようなのがいいのか?
自由に生きてる人は目障りだからねたまれて吸い取られて早く殺されちゃうのがほんとにいいのか?
子供たちは道を安心して歩けず、みんな見て見ぬふりで、病気になったら病院はろくに相手にしてくれないのが気にならないのか?
心の中は自由だからこそ、ネットの匿名書き込みとか幼児ポルノとか若いおじょうさんたちの売春はありなのか?
年取ったり体が不自由だったら、早く消えたほうがいいのか?
それで100円ショップやアウトレットに行ってなんか買ったり、安くておいしいもの食べてる瞬間がいちばん楽しいのか?
マジで!?
私ははじっこで生きていたいし、変人なのはわかってるから、社会のことは全然わからない。でも私は、そんなのはいやだから、自分たちのまわりだけでも、派手にではなく地味に愛する人たちとあたたかく暮らして生きて死んでいこうと思う。もし私や家族が変な死に方したりたとえ殺されちゃっても、この気持ちは永遠にだれにもいじらせない。
2009.05.18

那須へ。まだ全然回復してなくて、車には酔う、すぐブラックアウトして寝てしまうなどなどよれよれで温泉についた。チビと入っていたら、立ちくらみで何回もおぼれそうになる。しかしチビは「こうしてママとふたりでお風呂に入るのがいつも夢だったんだよ」とか言って嬉しそう。そのわりには窓の外の露天風呂にパパが入ってるのを見つけると「もうママとは入ったし、パパと入りたい、連れてって」とか言う。君、自由だな〜!
しかたないから、男湯にどんどん入っていって、連れて行った。
ヒロチンコパパに、微妙な交通事故の話をいっぱい聞く。シートベルトをしてないとポリ公が追いかけてきてつかまった、汚いやり方だ、という話や、追突してきたのに目撃した妻は寝たふりをし、運転してた男は一万円札をちらつかせた、そんなくだらない奴らを大田原まで追いかけていって説教した話など、最高だった。
2009.05.17

踏まれたい会、ギャル部門(30代以降)開催。
みんなへろへろだけれど、なんとかがんばっていますという感じだった。たかさまのすばらしさを賞賛してみなうさを晴らす(?)。よいうさの晴らし方だ。
たかさまの頼もしさに関連して思うのだけれど、このあいだ弱っていたとき、ホメオパスのせはたさんが真剣にレメディを選んでメールしてくれた。あまりにも熱がありすぎてほとんど効果がわからなかったが、レメディをとるたびに、なによりもせはたさんのメールの頼もしさがぐっと胸によみがえってきて、活気がわくのがわかった。
こういうことこそが、人を治療するということのいちばんの肝ではないだろうか?
たかさまに「敏感だからこそ、細かい心のひだも書けるんだもんね」と言われたので、「心のひだなんてどうでもいいっすよ!健康がほしいっス」と答えた。
ごはんを食べようと店に行ったら、店の人に「予約でいっぱいだから」ではなく「今から30人のすごくうるさい人が来るから」と言われ、入るのをやめた。新しい断り方だな〜、と思ったら、あとでたかさまが通りかかったとき、店の外の道まで男ばかりのものすごいうるさい咆哮が聞こえてきたそうだ。ほんとだったのね!
2009.05.16

タイフェスティバルに行くも、混みすぎていて人しか見えなかった。なにか買うにもむちゃくちゃ並ぶし、なにがなんだかわからん。
夕方カズさんとヨッシーとウィリアムといつものおいしいタイ料理屋さんに行ったが、むしろそのほうがよほどタイだった。
ウィリアムが「ばあちゃんはすごくスピリチュアルな人だったが、イモのウォッカを作って朝からずっと飲んでいたし、肉もがんがん食べた。右脳と左脳両方を使う人は、生きにくいので、酒やドラッグや肉や、そういうものがどうしても必要なのだ。しかし中毒することはないのだ。おばあちゃんは自分が死ぬ日がわかっていて、みんなを呼んでさよならディナーをして、みんなでモンゴルの服を着て、楽しくごはんを食べて、おばあちゃんはさようなら、とベッドに入り、朝死んでいた、完璧だった」と言っていた。そういう生き方、そして死に方がしたいなあと思った。
  2009年5月 ページ: 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6