2009.03.09

母のお見舞いに言ったら、奇跡的にしっかりしていた。一週間前まで私は「これはかなりまずいかもしれない」と思いながら、暗澹として帰ってきて夜中に泣いたりしていたのに。
両親ふたりともがたまに発揮する不死鳥のような気力!底力!を見せてもらったこと、そして遺伝的にももらったことは姉と私の一番の宝物だと思う。
もちろんこれからもまただめなときもあるだろうし、そのときはまた悲しくもなるだろう。でも、どちらの状態がいいとか悪いとかではない、この過程を見ていく全てが大事なのだと思うのだ。そして人がひとり大丈夫だったりだめだったりするだけで、まるで波紋のようにまわりの人々の人生が揺れる、この模様のすごさも、見つめる価値がある。
少しよくなってよかった、と石森さんと姉とピザを食べながら乾杯したことや、実家に寄ったら父がそのことでほんとうに嬉しそうに笑ったことなど全てがいい映像だった。
2009.03.08

夜11時くらいに仕事をしていたら、突然にハモニカを持ったチビが私の部屋に入ってきて、
「あなたに捧げる音楽をもってまいりました〜」と言ったので、
「どんな曲を捧げてくれるの?ママが決めるの?チビが?」と聞いたら、
「はじめは私、次はあなた、しましまに決めてまいりましょう」と言ってる。交互のことを「しましま」ってすごいな!6歳ならではの表現だな!
なので「いえ、そちらからどうぞ」と言ったら、
「では『ばななさんはじめまして』という曲を吹きます」と大音量でてきとうにハモニカを吹き鳴らしていた。うるさいし、仕事にならないが、なにもかもがおもろいな〜…。
2009.03.07

ゲリー・ボーネルくんの自伝第2弾のゲラをひたすら読む。序文を書くためだ。
彼ほど珍しい人生を送った人はいないという意味以上に文学的にかなり優れていて、もういちど彼と知り合いなおし、思い出を作りなおした感じがした。親に暴力をふるわれて体から出てしまったり人格が分裂した人は、言っちゃ悪いがたくさんいるだろう。しかし、そこから知性と愛を武器に真にスピリチュアルな世界に踏み込んでいった人は少ないのではないだろうか。
花粉症だし、寝不足だったので、ベッドに座って少年ゲリーの切ない日々を読んでいた。心の中が柔らかく優しい光にずっと照らされているみたいな感じがした。隣の部屋ではパパと子供が遊んでいる。遠くの病院では母の意識が静かに過去の中をさまよっている。人生って不思議だし、今は無限だなと思った。そして悟った人みなが言う「起こる出来事は100パーセント決まっているが、人は果てしなく自由だ」という意味が体でわかった気がした。もうその実感は消えたけど、感触がリアルに残っている。
2009.03.05

大内さんのお誕生日前日なので「龍天門」で飲茶の会をする。大内さんは裏表がないを超えて、もはや変人の域に入っている(いい意味で)。社会の中に身の置き所がないままにちゃんと仕事をして大人になってしまった、そういう仲間なので安心する。
しかし、いざチネイザン(内臓マッサージ)のセッションとなると違う。腹に触ったとたんに、べたっとしていない人類愛が彼に宿り、神々しいような優しさになる。これまでこつこつと人を救ってきた人特有の高いレベルを感じる。私も小説を書くときそういう変身ができているといいが、と思う。
セッションを受けてから、三人で恵比寿の町をてくてく歩き、子供のように分けっこしてアイスを食べた。お天気は久々によくて春っぽく、夕方の光はきれいで、体はすっきりして湯上がりみたいな気分で、人生はほんとうはいつでもこういうふうなものなんだな、と思った。
2009.03.03

私にとって、地獄と言えば「人形地獄」、万博と言えば「パビリオン地獄」に決まっている。関係ないが甲子園は「地獄甲子園」だ!
最後のだけ著者が違うが、これほど自分がムロタニツネ象の影響を受けているなんて、30年代ブームがこなかったら決して気づかなかったことだ!手塚水木赤塚藤子大先生たちを超えて、あまりにもこわかったので、心に焼き付いてしまったのだろう。
母のお見舞いに行って、病室でチビと大げんか。母がチビを気の毒に思ってゼリーを与えていた。もめごとがあると人はしっかりするのかも…!平和でいい雰囲気だとかえってだめかも!
にしても、このタイプの「意に沿わない場所に来なくてはいけないし、病人がいてなんだかつらいし切ない、うまくふるまうこともできない、だからやつあたりしたくなる」気持ち、私は中学生までなかったなあ…チビは大人だなあと内心感動する。
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