2008.10.31

朝早くからチビの幼稚園のハロウィンで、仮面ライダーキバのかっこうになってもらい、パレードに参加。眠い!しかし子供たちのかっこうが面白すぎて、目が覚めた。忍者率が異様に高いのはなぜ?
午後まで、久々にゆっくりと過ごす。ハワイでもこんな時間はなかったというくらいのゆっくりぶり。
夜はベイリーくんと啓子さんに沖縄のためのミーティングで会う。新大久保の、地元の人が次々やってくるおいしい中華。この人たちに会うと「こんな大人になりたいな〜」と本気で思う。こんな人たちいるわけがないと思うようなすてきな人たちだからだ。でも、ちゃんといる。もちろん人間だからいろいろあるだろう。でも、人生を愛して本気で取り組んでいる人たちなので、隠している感とかいやみ感がない。そしてなにより、現場での仕事をがんばっていないとこの人たちといつのまにかいっしょにいられなくなる、そんな緊張感もある。ふたりとも笑顔がきれいなのも大好きだ。
2008.10.30

森先生と初対談。
とても信じられないことだが、実はそうなのだった。
ものすご〜く面白い話を、瀧さんといっしょにたくさん聞いた。
瀧さんは、元事務所員のハルタさんにものすごく似たところがあり、私にはなじみやすいが、とにかく変わった人だ。でも変わっていても優秀なところもハルタさん似。同じく優秀な稲子さんも交え、優秀なりさっぴも同行してもらい、無事終了、みんなでカレーをごちそうになった。
タンドリーの食べ過ぎでめまいがするくらい、タンドリーものを食べた。
森先生の食べっぷりは、私の知っているほとんどの男の人の中でもかなり上位に入るすごさで毎回ほれぼれする。今、食べっぷりのいい人の小説を書いているので、人の食べっぷりをものすごくよく観察している私だ。
それにしても森先生は今のところトップのすばらしさ。静かに食べながらも確実、上品、かつ量を食べているのがまたすてき。一日一食の力か、あるいは元々持っている才能なのか。
カレーの力か、スバルさんにいただいた女優ミラーの力か、帰宅したら鏡の中の自分のお肌がつやつや!でびっくりした。
2008.10.29

チビちゃんの病院へ、くちばしをけずりに行く。だいたいこんなにくちばしが伸びていること自体、紫外線が足りなかったとのこと。チビちゃんはカメにしてはオープンな性格なので、案外ショックをひきずらなかった。多分死んだホシちゃんだったらこんなことしたら、三日はハンストしただろうと思う。先生がカメに話しかけてくれるタイプの人で、ほんとうに助かる。かなり濃厚にくせのある先生だけれど、私はこういう人が好き。
夜は、クムであるところのサンディーさんのライブへ行く。
うちの近所にいた内山さんがアムリタ食堂でがんがん働いていて、その仕事ぶりが懐かしかった。
歌っているときのクムはほんとうに美しい。でも放っておくと(?)クム魂が炸裂してすぐサポートに回ってしまう。ほんとうにすてきな性格しかし歌手はもっともっと「俺様」でいてほしい、そう願ってやまない。あなたの声は、神様がたったひとつ、あなたにさずけたものすごい兵器そして宝、世界を変えることのできる声なのです、もっともっともっと前に出て!と思う。でも人格があれほどまでに優しいとむつかしいことなのかもしれないです。
ハワイでたくさんのフラに触れたけれど、あゆちゃんとくりちゃんの踊りを見たら、ああ、帰ってきたと思った。ここが私の場所でよかった、ハワイでもみんなほんとうにすばらしかったけれど、私の場所はここしかない、そう思った。
そして、そのあとスペシャルゲストとして伝説のダンサー、パトリシアさんが出ていらした。座っている時の印象は「うわああああ、こわそうな、フラの先生だ」であった。しかし、彼女が右足を前に出してスタンバイしたら、空気がぞうっとするような研ぎすまされたものに変わり、頭がかき〜んと冴えた。そして「プアリリレフア」を踊りだしたら、悲しみでも喜びでも情緒でもない、知らないタイプの涙が出てきた。ヒロチンコさんも「すごいね、これはすごい」と言っていた。正直に言って、プアリリレフアは素敵な曲だし歌詞だが、そんなに珍しい曲ではない。多分初心者でもおぼえられる振りだろうと思う。しかし、彼女が踊ると全く違う。違う世界の扉がいきなり開くのだが、その先にはハワイさえ見えない。なにかすごい神の域みたいな世界が開けているのだった。
いろいろフラを見て、知った気になっていた自分が恥ずかしかった。
13歳のときからさまざまな人を魅了してきた天才ダンサーが、衰えなくますますすごくなっているということが、よくわかった。ヒロチンコさんに聞いてきたら、あんなにアイハア(低く)踊って、なおかつ膝を痛めないのは、背骨が体の中で柔軟に動いていて、柔軟に動いているから上半身は固定されているように見えるが、実はそうではないからだと言っていた。つまり、上半身を固定するから膝を痛めるのだと。
あまりの感動にその場にいたみんながくぎづけになってしまった。
となりにいたまゆみさんに「すごい!すごいです!」と言ったら、まゆみさんが「そうだよ、すっごいよね〜!ばななちゃん、ハナホウ(もう一回、の意)!って言ってよ!ほらほら!」と言われた。そんな畏れ多いこと言えません〜!
2008.10.28

ヨッシーのおまねきで、ヨッシーのところの岡本美和子さんと明日香天翔さんのヒーリングとリーディングを受ける。なんというか、あまりにも、スタイルが違いすぎてまるで外国に行ったよう、ぽかんとしたまま終わってしまったが、実力はすごかった。あと、ふたりともすっごいいい人。こんないい人たちはなかなかいないといういい人。きっといい人ゆえにこれまでたくさんのたいへんなことがあったんだろうな〜という感じ。美和子さんに至っては「おばちゃ〜ん」と相談したくなる感あり。優しい目をしていた。
久しぶりに行ったちほちゃんの家(会場として貸し出していた)、とにかくいろいろな思い出があり、ああ、もうあの人はここにいないんだなあと思った。あの人の家は、ワイメアなんだなあって。三鷹の駅まで行く道がものすごく関西に似ているのも切ない。
思わず切なくてハルピンで小龍包を食べてしまった…
残された亀のチビちゃんが、突然しゃきんと後ろ足をたてて歩き出した。今までずるずるっとひきずっていたのだ。ということは、やはり日光不足であったか、となくしたホシちゃんのことをいっそう悔やむ。リクガメを飼っている人は、紫外線蛍光灯だけではなく、もちろんバスキングライトだけでもなく、効果絶大なメタハラを取り入れてほしい!
2008.10.27

久々の幼稚園、チビはお弁当に入れたスパムむすびを二個食べたのでびっくりした。ハワイ帰りって感じ〜!
しかも時差ぼけの力で朝起きて着替えてちゃんと登園している。すごい(これがあたりまえなのか…)!
夜は、父のほぼ日の講演。
車いすでなく自宅からの中継なので、父がリラックスしていてよかった。
話の内容をむちゃくちゃ簡単にかいつまむと、
・詩の起源は古事記あたりで、問答歌である
・そのあと問答歌の形式を残した俳句、和歌に発展していく
・それはだんだん間延びしてただの詩になっていくが、西行、芭蕉などの強者はちゃんとその中に問答歌のニュアンスを残しつつ、主観性と客観性をひとつの句の中におりこんでいく方法を編み出す
・日本の詩は三木露風の路線、日本人にしか通じない優れた叙情の感覚だけで成り立っていたが、それを西欧にも通じさせようとはじめて試みたのが朔太郎である
・岡井隆や辻井喬は近年「長老詩」、「自伝詩」(自己劇化)とでもいうべき新しいジャンルで優れたものを創作しているのでびっくりした、辻井喬に至ってはかつて街まで創造していたぞ
・行動や声や姿で世界共通の普遍性を表すというのが本筋だが、自分は全く逆に言葉というものから、それを表したい。まず言葉だけがあるという考えを示したい、人は実は肉体ではなく頭の中で寄り集まっている抽象的存在であるという考え方は、近年少し理解されてきたように思う。人間の内面の言語が、世界のどこでも通用し共有できる、限りなく固有性を持ちながらも開かれたものになるという期待、希望、それについて的確に、しゃべりでなく書くことができるところまでは、自分の人生でやっていきたい
かいつまみすぎたか…。
この合間に次々説得力のあるエピソードや実例が入っているので、飽きることはなかった。
しかし「しゃべるよりも書きたい、書けばもう少しうまく表せる」と父が言っていたのには、感動した。
あと、糸井さんの気配りが、どこをとってもお金めあてでなく愛情から全部出ているのが、すばらしかった。いやな匂いのしない空間であった。いやな匂いのしないイベント空間を作るのがどんなにシンプルで、どんなに大変なことかと思うと、ほぼ日の人たちの行動力と志の正しさにまたも涙した。
しゃべるよりも書きたいと言っている人にしゃべらせるのはどうなんだ、という意見もあるだろうが、だれだって霞を食べて生きてるわけではない。存在を人に知られなければ、だれも読んでくれない。そして糸井さんは父としゃべっていて「この角度からなら、俺も理解以上に理解できるし、俺のサイトを見ている人たちにも伝わる」というあるポイントを見つけたのだと思う。その発見の力、それを世に知らしめてお金に変えるノウハウこそが糸井さんの最大の才能なのだ。これまで副業にしてきた講演、それで収入を得られたなら、父の老後がどんなに安定し、たくさんかかる医療費に対する安心がどれだけ増すか、考えてみてほしい。
「娘さんが稼いでるじゃないですか」というやっかみほど、私にも収入はない。
前にも書いたが、私は、糸井さんとかなり長くつきあっているので、と〜んでもないところをたくさん知っている。でも、その触れ幅が大きいことが彼の体当たり的人生の深みそしてたいていの男の人が「やってみたい」と思うことを思う存分やったから、今のシンプルな彼があるのだろうと思う。そして、なによりも、今やっていること、今目指しているもの、今見つけているものがすばらしい、そこがすごい。大人なのに、子供みたいにばんばんいろいろなことにぶつかって、成長し続けているのが、すごい。
そして父には静かで地道な人たちと安定して難解な本を出せる土台がしっかりあるのだから、それは専門としてやっていけるといいと思う。
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