2008.04.09

でも怒ったりクレームというのではなくって、もう笑っちゃった。
きっと「なんとなく最近のいい宿っていうのはこうだよな」って、自分たちの気持ちではなく、どうしたいというのでもなく、てきとうになにもかもが増えていってる感じがわかりすぎた。部屋に露天風呂があるといいよな、と思って作ってみたけど、温泉はひけずふつうのお湯。いちおう露天にしてみたが、これまた今度は正面玄関の真ん前の駐車場からも部屋の中からも丸見え。十人も泊まれる部屋なので、一般的には絶対その中に家族以外の他人がいるはず。だれかがとなりの大きな部屋でTVを見ているだけで、風呂に入ってる人が丸見えなはず。でもそんなこと考えないで作っちゃったはず。きっとゆめやさんのおかみさんがここに来たら卒倒しちゃうな…。
冷凍庫にはアイスが二十個以上入っていて食べ放題だったが、どんな人がそれを喜ぶのだろうか。いや、いるとしよう。問題は、それなのに晩ご飯のあとのデザートもお皿に盛られてきたそのアイスなことである!
そんな特殊な宿なのに、陽子さんが「なんか、わたし、前にここに来たことある気がするわ」となんと二度目だったこの衝撃!きっとあのエロい岩が陽子さんを呼び寄せたんだ、とヒロチンコさんとこそこそ言い合った。
帰りは高崎に寄って、おおしまさんに電話したらたまたま連絡がとれたので、観音様まで連れて行ってもらった。桜がまだ咲いていて嬉しかった。帰りにはみんなでおいしいイタリアンのランチを食べて、おおしまさんの思い出がたくさんつまった街の中を案内してもらった。全部がずいぶん様変わりしたのだと思うけれど、当時の様子を説明してくれる、その気持ちがとても嬉しかった。私もきっと千駄木あたりにお友達が来たら案内をするけれど、街の様子は全く変わっていていろいろな思いがこみあげてくる、そんな気持ちになるのだろうな、と思う。ちょうど春樹さんが震災後のふるさと神戸を歩いたエッセイを読んだ直後だったので、ますますしみてきた。
2008.04.08

朝ご飯も、泣けるほどおいしい…。ゆめやさん、きっといろいろな部分でたいへんな努力をして質を落とさないようにしているんだろうな。なにかがだめになりそうなら、別のことでおぎなったり、とにかくおもてなしとはなにか、品性とはなにか、気楽さ、くつろぎとはなにかをおかみさんが考え抜いている。その志が随所ににじみでている。すばらしい芸術作品みたいなお宿である。
ほんとうは二泊したかったのだが、混み合っていて離れがとれず、本館はチビが泊まれないので泣く泣く旅立つ。新潟の取材なのだから新潟に泊まれ、と自分に突っ込みつつ、流れで違う県のとあるお宿へ。
これがまたマンガのおちみたいなおもろい宿で、とにかくでたらめに増築しているので建物が迷路状になっていて、むちゃくちゃ。謎の扉が続出。外にぽつんとむりやり建っている露天風呂に入っていたら、川で作業しているおやじと目があった。手を振ったら目を伏せて去っていった。おじさん悪くないですよ、だってこの風呂塀がないんだもん!そりゃ、見えるし、見るよ。
そして女風呂の、湯が出てくるところが、あまりにも、あまりにもエロい形をしていたが、自然が長い時間をかけて偶然に作ったようだった。神様っているのかもしれないわ(?)。陽子さんと「いや〜ん!いやだ〜ん」と言いながら入る。
夕食にほとんどひとつも調理したものが出てこないのもすごかった。ほとんどのものが売店で大袋で売ってるレトルトのものそのまま。梅干しもおつけものもきのこも山菜も煮魚も!そこにはきっぱりと「中国産、国内加工」と書いてある。メインの釜飯さえもなんとレトルトだ!
あとは肉を切っただけ、鍋の材料切っただけ、調理は夜も朝もみんな客がする!鍋の肉一人前平均六切れ!
「この鍋の残りのだしで明日の朝のぞうすいをつくります」と自慢げに微笑んでいたが、今日の鍋の残りで明日の朝食を作るっていうのを誇ってる宿は珍しい!
2008.04.07

久々の休暇&新潟の取材で、宿泊はゆめやさんへ。ごはんおいしすぎ。分量も理想的すぎ。働いている人たちの感じもよすぎ。おかみさんのセンスはよすぎ。
ゆめやさんの離れは私の理想の家である。こんなところに住みたいな〜、と思いつつ、いつもぼけっとして過ごす。陽子さんとチビがいっしょに笑ってるだけですごく不思議な感じがする。しばらく見ることができなかった光景なだけに、そのありがたみや幸せがぐんぐん胸にせまってくる。楽しむことだけが、目に見えない敵との戦いであるというのは後半の私の人生のテーマとして定着してきた。
へとへとになり倒れるまでお風呂に入った。チビはどうしても陽子さんと寝るっていうので、人生で三回目のママと離れ寝。こういうのが増えていくんだねえ、と思うけれど、淋しいというよりもなんだか頼もしくて嬉しい感じがする。くっつくべきときにうんとくっついておいたからかな。
それでも、平松洋子さんがおじょうさんの留学のときに落ち込んだエッセイとか、春菊さんがご長男が泊まりがけで出たときにスーパーで彼の好物ばかりに目が行くというマンガとか、痛いほどわかるようになった。
2008.04.06

昼間は近所のタイ料理やさんで、タムくん、木村くん、遠藤さん、そのおじょうさんとごはんを食べた。遠藤さんは、音楽にも関係ある、あの、有名な遠藤さんだったのでちょっとどきどきした。そしてみんなタイ人以上にタイ人らしい人ばかりで、注文も慣れすぎていてなんだかおかしかった。遠藤さんのおじょうさんがたまたまDSを持っていて、しかもどうぶつの森のソフトも持っていたので、チビは大喜びで通信していろいろ教わっていた。ゲームは年齢も言語も超えるのがいいところだ。
そのあとチャカティカに顔を出して、おいしくお茶して、てくてくと歩いて帰った。晴れた春の日曜日、海外の友達も子供もみな笑顔、なんて幸せなのだろう。
ここに時事ネタはともかく政治のことは書かないことにしているのだが、今回は自分が大きく関わっているので書こう。
確かにオリンピックは大切だ。スポーツはすばらしい世界共通の言葉だ。北京のために四年間を捧げた人たちにとって、この不穏な空気はうとましいだけかもしれない。
でも、私はチベットにこれまでに数人の里子がいて、その子たちは、ほとんど親が拷問にあって働けなくなって教育を受けられなくなった子たちなのだ。なにもしていないのに、突然に暴力によって故郷を奪われた人たちが確かにいるのだ。もちろん死んだ人もたくさんいる。その事実を放っておいて、今の時期にデモをやったほうが悪い、だれのせいだからどうだ、これはこれだ、と見ないことにしてオリンピックをただ楽しもうというのは、やはり、無理があると思う。全てはつながっているのだし、オリンピックと政治は昔から密接に関係がある。みなが情報を収集して考えるべきだろう。
実際に起きてしまったことを、人々はもうネットで、そして私のような、知人がそういう目に実際にあった人たちからの手紙で、知ってしまえる時代なのだ。チベットの人たちは五輪を利用したのではない。知らせたかったのだし、変えたかったのだ。そんな大それたことを望んでいるように見えるだろうか。親が殺されて警察に行ったら「今日は本気で開催される行事の日だからそういう話は明日にしてくれ」なんて言われることがありうるだろうか。となりの家でそういうことが起きていても、「自分たちは行事のほうしか興味ないから」という世界で生きていくのは空しくないだろうか。
個人がなにをできるかというところまで掘り下げる権利は私にはない。社会的な活動をする人もいるだろうが、私は知っている里子たちへの地道な援助だけを個人として続けていくと思う。
ただ、このような事態において、自分の国の民を心から愛し、平和的な解決を望み、真に知的な対応を堂々と続ける、ダライラマ様のような誠実で立派な指導者が現代にも存在していることへの感動を記しておきたい。
2008.04.05

イタリアのおともだちエマちゃんのおじょうさんのお誕生日パーティに行き、ちびっ子をいっぱい見る。それぞれに個性がいっぱいでかわいい。ほんとうはインターナショナルスクールってこういう感じなんだろうな、と思う。今チビが行ってるところは、日本の子が多いからだ。主役の三歳女子ちゃんはパンツを見せながらころがりまわっていてギザカワユス。
アレちゃんにハイチのおそろしい話をいっぱい聞く。あんなに見るからにお金がありそうな風情で、どうやって毎回危険地帯から生きてかっこよく帰ってくるのか、不思議なほどだ。でもちゃんと帰ってくるのよね。いっしょに旅行をしたことがあるけれど、彼はいろいろな場面での切り上げ時が天下一品だから、紙一重のところで助かるんだろうなと思う。これまででいちばんあぶなかったのがNYから帰ってくるときっていうのも彼らしく変わっている…。
そのあと実家の花見にかけつける。原さんがあまりにも年寄りのサポートに慣れているのが切ないやら嬉しいやら。うちの両親が立ち上がるたびにさっとかけつけて支えてくれる。「介護したくってしょうがないよ〜!」と言っていらした。ぐすん。親たちも無事桜を見ることができて、とても嬉しかった。二次会はいつもの大槻にいって、お店のママとおしゃべりしながら気楽にごはんを食べたり飲んだりした。これもまたかけがえのない歴史である。
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