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2008.03.20
風邪で延期していただいた太極拳のレッスン。
きっとのろまな私は太極拳のことが少しわかるのにも、五年くらいかかるに違いないという確信が…!でもやらないよりやったほうが、知らないよりも知った方がきっといいんだととろくのろくじわじわと歩むことにする。
寒くてしかたないけれど、久しぶりに家族でゆっくり家にいられるので嬉しくてしかたなかった。晩ご飯は買ってきた牛のたたきがおかず。じゅんじゅん先生からいただいたフレッシュなわかめをサラダにしたものと、中村さんのパパの形見になってしまったとってもおいしいお米を炊いて、家族でにこにこしていただく。それ以外に私にできる供養はないなあ、と思いながら。
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2008.03.19
「グランドファーザー」の続編「ヴィジョン」が徳間の5次元文庫(すごいシリーズ名だなあ)から出ていたのでふと買ったら、かなりおもしろい本だった。百歩譲って物語だと思って読んでもたいへん参考になった。事故にあってたいへんだったレーネンさんも再始動しているし、ゲリーも本気で教えているし、男の人たちががぜん力を取り戻している感あり。
レーネンさんの日本用のサイトをリンクしているが、そのサイトの運営のしかたのまじめさ、誠実さ、自分で判断できるまで無料でどんどん提供してくれる大らかさといったら、感動に値する。こういう若い人がいるかぎり、スピリチュアルはお金もうけの道具にはならないだろうと思う。こんな志が高い人もいるんだな、とほっとする。とんでもない人ならいくらでも見てきたからだ。
レーネンさんにはチビができる少し前に過去世セッションを受けたことがある。私はセラピストの前で決して泣かないタイプなのだが(相手も仕事だし)、あまりにもものすごい映像が次々見えてきて、それがつぼにはまりすぎ、このときはしくしく泣いた。そしてそっとなぐさめてくれた彼の優しい心がほんとうにしみてきたのである。さらに彼は「ほら、まわりを小さな陽気な魂が飛んでいるよ、もうすぐ君の体に入るんじゃない?」なんて言っていて、ありえない!と笑っていたらチビができた。チビのことはゲリーもずばり当てたっけね。あと結子が、私が妊娠してすぐに「この子、女の子にかぎりなく近い感じだけど、男の子かな〜、この子には、まほちゃんにもヒロチンコにもない色気があるんだよね。それで、なんかギャグっていうか、なにを言ってもお笑いで返してくる感じなのよね」と言っていたが、あまりにも当たりすぎていて今となってはげらげら笑うしかない。
午後はホメオパシーのセッションを受けにせはたさんに会いに行く。ホメオパスの優れた人には共通の要素がある。感情に流されず、少し控えめで清らかで、賢そうで、強くて、昔の女医さんみたいな感じだ。チビもすっかりなついてくどきにかかっていた。
なんとスピリチュアルな一日であろう!
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2008.03.18
エステに行く。新婚さんの鈴木さんがきらきら輝いていた。ええのう!
明らかに秋よりも風邪の前よりもデブっているが、もうどうでもいいというか、この年になってす〜っかり性欲も衰えてるのに、きれいだのきたないのデブだのを気にしていたら時間がもったいない気がする。不潔なのは別として。年齢と共に薄くなっていきたい。薄くさりげなく年相応で、でも静かに迫力は増すといいと思う。
京都のまゆみちゃんと会ったとき、きらきらした緑の山を背景にすっぴんにサングラスでたばこを吸っている彼女はとても美しく、足の爪に泥がいっぱいつまっていて、でもセクシーだった。そのあと彼女は犬といっしょにいきなり川に入っていたなあ。そういうものじゃないだろうかなあ。ハワイのちほちゃんも「足の裏の角質、海の男みたいに、どんどん固くなりたい。そうしたら固いところも裸足でどんどん行けてかっこいい」と星を見ながら寝転んで言っていたっけ。すてきだなあ、と思った。
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2008.03.17
モンサンクレールがあまりにも混んでいる上に、手みやげ頼まれおやじたちがどんどん割り込んでくるのであきらめて平和なラ・テールで紅茶のケーキを買って実家へ行く。
パパの命がピンチになるたびに猫が突然死ぬ伝説更新中…。きっと猫界では悪いうわさがたっているに違いない。
「あの家はうまいものをただでたらふく食わせてくれるだども、飼われたら命があぶねえ」みたいな感じで。
十八年間いつもいたクロちゃんがいないと、家の中がすかすかしている。姉も母も泣きはらした目をしていて切なかった。どんな猫の面倒も見てやって、母がふせっていれば何回もぬいぐるみを枕元に運んできてくれて、死ぬときさえも迷惑をかけずにすっと死んだクロちゃんは猫の鑑だ。最後に会った二週間前も私が「クロちゃんをみんなが頼りにしているんだよ、長生きしてね」というとごろごろいってくれたんだけれどなあ。猫も犬も長生きするとだんだん言葉もわかるし長老みたいになってくる。人間もそうありたいものだと思う。
姉はそんな中でやけのように大量の肉を焼き「今はほうたいで隠れているが、みんなお父さんの壊疽になった足の部分を見たら焼き肉を食う気なくすよ!」などと言っていた。
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2008.03.16
親子の問題をほんの少し書いているので、萩尾先生の「残酷な神が支配する」を読み返す。ものすごい力に圧倒される名作だ。なによりも絵がすばらしい。
このような作品が、マンガだというだけでほとんど無冠なのだ。小学館漫画賞はこれよりも前だったと思うし。
それを思うと頭をたれたくなる。そして一生なんの賞もいらない、読者のためだけに自分を掘り下げていこう、ほんとうにわかってくれる人はどこかに必ずいる、と改めて思う。私なりの掘り下げ方で。きっと私の中にも妬みとかおどろおどろしい恨みとか異様な性欲とか、とんでもないものがたくさんあるのだろう。それと向き合って描くことが小説だと思っている人もいっぱいいそうだ。向き合わずになにかをごまかしているのだろうとよく言われる。でも、人としての品を保ったままでなにかを掘り下げることはできるはずだ。そのために私は今の寓話の形式を選んだのだと思う。向き合うのがこわいのではなく、向き合った後で、自分に合ったスタイルを真摯に考えた、そのことを笑える人はいないはずだ。いつかある程度のレベルに達する日は来るだろう。
陽子さんとチビとチャカティカに行って、ランチを食べる。このサラダにかかっている謎の自家製ドレッシングが、油を全く使っていないのにものすごくおいしい。あと、ちょっと揚げふうにころっとしている鶏そぼろのヴェトナム丼が超お気に入り。こことティッチャイがあればもうエスニックはなにもいらない感あり。
目の前でチビと陽子さんがおしゃべりしてにこにこしているだけで、これまたなにもいらない。
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