2008.03.31

チビの春休みは、ほとんど寝込んで終わった…。
父のためにレバカツを買いに、千歳烏山まで行く。考えられないくらい感じのよいお店だった。レバカツで有名なところ。父はおいしいおいしいと言って、喜んで食べてくれたのでよかった。
しかし、カツを含めて姉の作ったものも全部揚げ物メニューだった上に、昼間も桜上水で豚丼を食べたので、まるで育ち盛りの男子高校生のような食事の一日になってしまい、体中がなんとはなしにぱつんぱつんしている…おいしかったけど。
父は「仕事を断りたいときは足の腐ったところを見せるとみんなひくから一発だ」というようなことを言っていたが、そして実際にやっているようだが、ほんとうは動揺してるんだろうなあ。でもこういうときにこういうことを言い合えて笑える人たちなのはすばらしいことだと思う。母も「そりゃあ、この歳になれば、調べりゃなんか見つかるわよ」と言っていた。年寄りのこういうひとことひとことが、私の血となり肉となっていく。くだらないコメントだが、人生はすごいなあと思った。大事な人の大事な話を聞いてるだけであっというまに終わってしまう。だから大事でない人のどうでもいい話なんてちっとも聞かなくていいんですよ。
2008.03.30

私は昔から自分は強迫神経症か、統合失調症の傾向があるな、と思うほど、モノとお話する子供だった。木とか目に見えないものとも。ケアされてないものを見るといつも気になってしかたなかったし、ひとり癒し続けた。むしろ人間よりも、しゃべれないもののほうが親しかった。なので、ホ・オポノポノはまさに自分はおかしくなかった、と思える内容だった。全てを実践できるとは思えないが、たいへん勉強になり、自信もついた。
いろいろ接続のトラブルなどもあったのに、ふつうのああいうセミナーに比べて、みんなのイライラ度数が確実に低く、和やかだったのもよかった。それに他に比べてなんだかむちゃくちゃ割安だった。サテライトだったからだろうか、でもあれはサテライトじゃないだろう、どう考えても(笑)。普通のネット中継だろう!サテライトって書いちゃだめだろう!むむ?でもどこかでサテライトは関係あるのか(わかってない)?全然怒ってないけど。
2008.03.29

ホ・オポノポノ基礎コース、一日目。
小説の取材のためにがんばって早起きして、いろんな人にシッターを頼んで出かけていった。ヒュー・レン先生はものすごくナイスだ。あたたかくて、確信に満ちていて、ちょっと皮肉屋さんでマイペースで、説得力炸裂。来てよかった、と思った。
このあいだ、事故ややけどや病気などで顔の形が変わるという問題を抱えた人たちの本を読んだのだが、そこに出て語っていたある病気の人がいっしょにコースを受けていたので、しみじみと思った。それは、人が人を見て抱く印象というのは、ほとんどその人が自分自身に対して思っている印象なのだなあということだ。つまり「私は色っぽい」と心から思っている人を見たら、「色っぽいな」という感想を抱くことが多いということ。やはり人はつながっているのだな。というのも、その人を見ても、うそではなくなんとも思わなかったからだ。寝ぼけていたのもあるが、ぎょっとさえしなかった。ちょうどオハナちゃんの鼻にしわしわがあるように、その人の顔の形はその人に属する普通のことに見えた。その境地になるまでその人はたいへんな思いをしたと思うし、今もそうだろうけれど、本人にブレがなければ、他人からもそのように見えるということのいい例だろう。
2008.03.27

今日のフラはあゆちゃん先生が教えてくれたが、熱意があってちゃんと見ていてくれるし、改善するべきところを即教えてくれるので、ものすごく充実した。あんなに美しく踊りがすばらしい上に教えるのも本気なんてすてきすぎる。帰ったらちょうどBSで石ノ森先生の009ノ1をやっていて、セクシーな主人公の見た目がまったくあゆちゃんそのものだったので、よいものを二度見たお得感があふれてきた。峰不二子を見て「あんな人間はいるわけない」という人にあゆちゃんを見せてあげたい。
あゆちゃんとか蝶々さんとかのように数奇な運命をたどる、美人だがそれだけではない人たちはまた別として、街にいるすごく若くてただ美しいだけの人が若くて美しいことをどんどん使うのは全然悪いことではないと思う。野球選手といっしょで(笑)、美しさだけで食っていけるのは若いときだけで、引退後どう身をふるか、そのときどのくらい人格、品格、人脈、お金を貯蓄しているかは本人次第だ。
私に文才があるように、あの人に手芸の才があるように、この人に画才があるように、ある人に恵まれた家庭があるように、その人には美がある、もって生まれた、それだけの良きことだ。
問題は「私のもっているものは学問の才だったけど、ほんと〜はあの人みたいに美がほしかったなあ」というような場合だ。それは純粋に本人が損するだけだし時間のむだだと思うんだけれど、意外に人というものはそういうのが好きらしく、いつまでもぐるぐるしている人がとっても多い。「見た目が美しいからこそ結婚を決めた」という男の人は、全男の人の三分の一に満たないと私のこれまでの観察では思うのだが。
2008.03.26

しっかりぶりかえして熱がまた40度。英会話を休んで様子を見ていたら、じょじょに下がってきたので、リクエストに応えてパン焼き器が焼いてくれたパンを持って、晩ご飯の材料を買いがてら結子の家にちょっとだけ行く。パン焼き器が焼いてくれるとはいえ、天然酵母&粉はフランスパン用のすごくおいしい奴&バターもカルピス&牛乳は無農薬で育てた草を食べて放牧された牛の乳、などなどわけのわからないこだわりの一品である。
一時間くらいお茶をして帰宅したら、チビがずいぶんしっかりしていた。熱は38度だが、ヤマニシくんと絵を描いたりゲームをしたりしている。ほっとしてハヤシライスを特急で作り、みんなで食べた。
少し思ったこと…母親が自分の息子を恋人代わりにするのはもちろんよくないことだが、もっと悪いのは他人の家の子供を自分の恋人扱いすることであろう。もしも充実した人生を送っていればそんなことはありえないわけだから、ようするに自分の満たされない部分を子供の持っている美しさやフレッシュさで補いたいわけである。ほんもののロリコンもこれとかなり似た理屈に性的条件付けがなされたものだと思う。安田隆さんもズバリと指摘していたが、うちの子供は今どきなかなかいない子供らしい子供なので、よくそういう的になる。そういう人たちは、子供を自分のものにしたいのだが、うちはとにかく仲のいい家族なので食い込めず、がんばって親のあらを探す。「ここがこうだから、よくない。自分といたほうがよくなる」と言うわけで、そんなこと言い出した時点で自分がおかしいってことには気づかない。どこかで気づいている賢明な人はちゃんと距離をおいてくれるようになる。賢明でない人は、それを聞いて怒り狂う私の方をおかしいと思う。でもおかしいと思われてもいいから、変な光線に子供をさらしたくない。それが母というものの本能だ。子供のためならなんでもする。
徹夜の看病を一週間続けていたら、しみじみとそんなことを考えた。
もうひとつ思ったことは、この世にいるほとんどの人がどこかの段階でだれかにそんなふうに手間をかけられて育てられてきたのだということ。どれだけの愛と時間がぬりかさねられてひとりの人間ができあがるかわからないほど。それを自分がむしゃくしゃしているからって切りつけたり突き落としたり衝動的に殺すなんて、ありえない。
あと「余計なお世話」テーマでもうひとつよくあること。ある殿方に「あなたはもっともっといい女になる。すごい可能性がある。そのためには家族や恋人を捨てて数年間ひとりきりでパリかローマに移住しなさい」と言われたことがあるが、私は「は〜、それはさぞかしすてきでしょうね〜」と口では言いながら、心の中で大爆笑して「それは、おめ〜にとっての都合のいい女だろ!」と突っ込んでいた。「数年間」というところがそいつがちょうどやり飽き責任を取らなくてすむ期間なのが、ものすごいリアリティである。
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