2008.02.13

結子とお茶。昨日買ったラベンダーのハチミツのパウンドケーキを食べながら、風邪気味なのでコートを体に巻き付け、ひざかけまで借りてまったりと過ごした。ふたりともにこにこしていて幸せだった。
帰るとチビとヤマニシくんがゲーム地獄のまっただなかにいて、これはこれでよい風景。
そういえばこのあいだ新幹線でチビが陽子さんに「となりにすわってください、愛のコメントをいたします」と言っていたが、どこでおぼえた言い回しなんだろうか!
2008.02.12

バーゲンでものぞこう、今しかないと思ってちょっとバーニーズに行ったら、休日の小林さんにばったりと会ったので、お茶する。まるではじめからお茶すると決まっていたような自然な流れだった。
最近こういう感じが多くて、あれこれ考えなくてよくて幸せ。小林さんとは最近すれちがってなかなか会えなかったので、彼女の笑顔がどんなに人を幸せにするかよくわかった。
そして最近の伊勢丹では最大のヒットだと思う、アンデルセンのオーガニック小麦のパンにクルミとブルーチーズとハチミツがはさんである、ものすごくおいしいサンドイッチを前菜に買って帰る。
あと雅子さまが行ったことで有名な、麻布にある、胡弓の演奏を聴きながら食べる、酢豚がばつぐんの、漢字三文字の(ここまで覚えているのになぜ店名がわからないのだろう)店のマンゴプリンもすばらしい。伊勢丹はすごい…。
ちまたはヴァレンタインで各店舗は長蛇の列。チョコの店全てが大行列。
「あまりに混んでるからもうこの際チョコならなんでもいい」と言って、チョコのバームクーヘンを買っている人がいて、気持ちがわかりすぎてつい笑ってしまった。
2008.02.11

京都でやっている方のマヤちゃんの展覧会に行こうと思い、せっかくだから末次夫妻に電話してみようと思ってだめもとでかけてみたら、嵐山からかけつけてくださった。
京都は歴史や町並みもすばらしいのは当然だが、自然が町に溶けているその具合がいちばんの見所。四季それぞれ、時間帯によって毎日違う美しさがどこへ行っても見られるので、自然の中で裸足で生きているような開放感がある。それがあるから京都独特の大変な人間関係やしがらみにも耐え抜けるのだろう。人との濃いしがらみの中に生き甲斐ややりがいを見いだせる人というのがたくさんいて、私はもちろん違うが、その人たちが何の中で苦しみや喜びを生きぬいているのかは、想像できる。それはそれで人を磨くひとつの道なのだろう。
マヤちゃんの展覧会はいつも通り玉石混交だったが、数枚、とてもいい絵があった。全くよしあしの判断のつかない、まっさらのマヤちゃんが描いたようないい絵だった。白紙からやろうという意気込みが頼もしかった。
エリザベートたちが案内してくれて、白沙村荘の中にある「NOANOA」に行った。ここのご主人がイタリアからレシピを取り寄せて考えた三十五年変わらないレシピのピッツアだそうで、チビのいちばん好きなタイプの生地だったので、寝起きだというのにぺろりと食べた。起き抜けに消え入るような声で「ぴざ〜…」と言ったので、注文してあげた。ほんとうにおいしかった。
橋本関雪の広大な屋敷と庭をそのまま保存する…それがどんなにたいへんなことか想像を絶するものがあったが、見る方は気楽なもので、ただえらく手と時間のかかったすばらしいお庭だと思いながらめぐった。遺跡もごろごろ置いてある。お座敷のすばらしい猿の掛け軸も見せていただいたし、エリザベートのおかげでいちげんさんには見ようのない世界を見せていただいた。
関雪さんの息子さんはもう亡くなられたそうで、その奥様が管理しておられるようだった。どんなことがあっても動じない、という感じのきれいな方で、どれだけのことを見てきた目なんだろう、と作家としてはちょっと興味しんしんでお話を聞いた。
才能がありすごい絵が描けてしまい、こつこつとすばらしい庭を創ってしまった人がいて、それを守っていく人がいる…まさに京都の歴史だった。
そしてどんな場所でも自分なりにふるまうエリザベートに、いつも感動するのだがいつにもまして感動した。知っているフランス人の中でも最もヴァイタリティがあり、繊細で、かわいらしく、美しく、強い人だ。末次さんとエリザベートが歩いてくるとあまりにも目立つので百メートル先からわかる。ふたりが歩いている姿がとても好きだ。
2008.02.10

雪はやんで晴天。
イナグマくんに会いに、神社へ行く。チビも久しぶりのパパと陽子ちゃんのいる旅行に大喜び。
正式参拝をして身も心もすっきりした。神社は清潔な空気がきりっとしていて目に映るものがみんなきれいだし、イナグマくんの気合いの入った祝詞を聞くだけでこのところ乗り越えたことなど思い、感動して嬉し涙が出てくる。
帰りはイナグマくんの家におじゃまして、彼が釣ってきたたくさんの鯛やぶりやいかの食べきれないほどのお刺身をみんなでいただく。人を呼んでもてなすのはたいへんな労力だと思うけれど、このふんいきのあたたかさは大人はもちろん、チビの心に一生焼き付くだろうと思う。
なごりおしくて切なくなりながら帰る。人のご縁とは不思議なものだ。とりかえがきかない。それに去年の今頃はまさか陽子ちゃんは辞めちゃうと思っていたので、こうしてまたにこにこして旅行に来られるとは思っていなかったなあ。なので嬉しさもひとしおだった。
2008.02.09

なにがあったかは書かないが、作家から小金をむしりとったりふみたおしたりする人たちがいる。小金といっても三千円とかではなく、二万円とかでもない。前に今は亡き安原さんに「出版社が金を払わないくらいでぐずぐず言うな、本が出るだけで幸せじゃないか、金があるくせに!」と言われて、それはないんじゃないかな〜、と思った。そのときふみたおされた二百万円があれば、病的に神経質なうちの親を病院の個室に一ヶ月、なんの心の負担も感じず入れてあげられる。あの人は無料でも本を出したいがチャンスがない人や、いい本を出しているのにつぶれる出版社に関わりすぎて、少し価値観が異様になっていたのだと思う。もちろん後に仲直りしましたけれどね。うちの父などは古きよき時代の人なので、お金をもらえなくても「先方も困っているんだよ、公にするようなことじゃない」とぐっと耐えていた。尊敬はするけれど、とてもまねできない。
作家は表に出るときはいつも仕事をしているときと微妙に違うので、普通に見えるし、まるで金銭にも余裕があるように見える。でも作家であることで内面的にいろんなすてきなものを消耗している。それは他の仕事も同じ。もしも脳の中で起こっていることを肉体労働に換算したら、一作につき一軒の家を建てるくらいの労働をしていると思う。
また労働の対価として金銭を得る契約をしているのだから、それが守られてしかるべきなのは他の仕事と同じだ。この業界だけ違うというのはありえない。私のお金は親を含めた家族を養うために使われているしっかりと生きた必要なお金だが、もしも私のお金が毎月コムデギャルソンで三十万円くらい服を買うのに使われていると勝手に推測したとしても、契約は契約だから、守られるべきだ。
こんな簡単なことを、しない人がいる…理由は「余裕がありそうだから」。差別はしたくないが、個人で女性で体も弱くなんの保険もないこの仕事をしている私から少しでもお金を多くとりたいと思う心っていうのはいやしいなあと思う。
なので私はどんなに親しい人でも、お金のトラブルに関しては許さないで返してもらう&絶対にお金を人に貸さない。正当に払われなかったものは法に訴え、鬼みたいに冷たく返してもらう。それはお金ではなくてその人を信じた私の心を癒すためだ。
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