2007.12.11

マッサージの効果がリアルにわかったのは、寒くないということでだった。
はじめは「さっきまで夏の国にいたのに、寒すぎる、ありえない、もう泣く」と思っていて、出かけると全然寒くない。私だけがコートなしで歩いていて、あれ?と思った。ヒロチンコさんもそうだという。血のめぐりがよくなったらしい。
中島デザインに打ち合わせにいって、あいかわらずシャープな仕事ぶりを見て静かにうなずいた。速いというのは、意味なく速いわけではなくって「これしかない」というのが瞬時にわかるから速いんだな。
実家で姉の唐揚げを食べる。タイで唐揚げに飢えて唐揚げの夢を見ているころ、姉も「なぜか唐揚げを作りたい、こんど作ろう」ともやもやしていたそうである。すばらしいんだけれど、どう考えても太るコンビネーションだ。気が済むまでばりばり食べた。
チビが作ったマンゴと塩と小麦粉とはちみつと牛乳を焼いたすっごい味のデザートを、イタリアンシェフに「特製デザートだ」と言ってむりやり食べさせること にする。彼の舌がためされる瞬間…しかし、見事に「ほんとうに悪いけれど、なぜかしょっぱいし、おいしくなく感じる」みたいな言葉が出て来て一同ほっとす る。そりゃそうだろう!
チビはそれをお弁当に入れて持っていくと言ったので、ほんとうに入れたら、なんと食べていた。味覚心配。
そう いえばこのあいだ森先生のおうちに行ったとき、スバルさんがチビ用にいちご牛乳とコーヒー牛乳を二箱ずつ買っておいてくれた。出てきたときには全部で三箱 でチビはあっという間にふたつ飲んでしまい、みなを驚かせた。なんで三箱になっていたかと言うと、野菜ジュースと間違って森先生が飲んでしまったからだそ うだ。
スバルさん「ごめんね、ほんとうはそれもうひとつあったんだけどね…」と優しくおっしゃったあとに「まさかあんなことするとは思わへんかった!」と付け足したのが最高におかしかった。
2007.12.09

朝、町で最後のフットマッサージを受ける。うまい!超絶技巧。しかも安い。
それからプラーブダーく んと澤くんとモリちゃんとタムくんとヴィーちゃんと合流して、プラーブダーくんおすすめの港に面した静かなレストランへ。上品でおいしいタイ料理をいただ いた。あとは街を観光してアイスやデザートのパンを食べ、ほんもののジャトゥカーム・ラーマテープ(お守り)を探しに行く。偽物がいっぱいでなにがなんだ かわからなかったが、みんなちゃんとしたお店でなにかしらをゲットした。プラーブダーくんの「僕はこういうことはどうでもいいと思っているけれど、みんな 幸せでよかったですね」といういい感じの顔も実によかった。
カオサン通りの近くにある澤くんおすすめのすてきな服屋に行き、それから最後のカレータイムを過ごす。カオサン通りはヘイトアシュベリーみたい、懐かしい夏のいい夕方の雰囲気があった。
タムくんとヴィーちゃんはホテルの部屋まで来てくれて、最後までチビと遊んでくれた。ありがたかったし、友達と別れる切なさもあった。健ちゃんもここから別れて半年間くらいのインドの旅へ。旅の終わりはいつでも悲しい。さっきまでみんなに触れたのにな。
空港に飛び、一路日本へ。優しいふたりをのぞいたタイ航空の最低最悪のサービスにかなりみなが衝撃を受けた。めんつゆを頼んだらしょうゆが来て、パンはよ ほど頼まないと配られず飛ばされ、水を頼んだら舌打ちされ、通路側の席がダブルブッキングだったら「いいじゃない、窓際に座れば」と言われ、子供のとなり が空いていれば座りたいんです、と言ったらいやな顔をする、そういう人たちであった。タイ人の大らかで子供好きな優しさにずっと触れて過ごしていたので、 そんなタイ人たちがいるのにも衝撃を受けた。あちこちから苦情の声があがって、機内は妙な雰囲気だった。プラーブダーくんの日本についての良いエッセイの 本「座右の日本」を読みながら、個人的に心静かに過ごした。
そしてこの旅でチビはぐんとおしゃべりが上手になり、女に関しては常にその場にいるいちばん美人にまっすぐ行くこともよくわかった!
2007.12.08

さようなら慣れ親しんだタオガーデン、顔もおぼえたドクターやセラピストたち。
チェンマイを後にしてバンコクへ向かう。大都会でびっくり。ホテルについていきなり出かけたら陽子さんが倒れたので、あわてて戻ってちょっとホテルで休憩した。バンコク慣れした健ちゃんが陽子さんにすごく親切だったので、ありがたかった。
私たちは澤くんとモリちゃんと合流してタイスキへ。
サイアムにものすごい高級ショッピングモールがあっておどろいた。玉川高島屋とみなとみらいを足したような…。車や家具やエルメスやトッズやバング&オル フセンや、なんでも売っていた。好景気だなあ。久しぶりに夕方の電車が楽しそうっていう雰囲気を味わった。日本ではずいぶん前になくなった、夕方になり仕 事が終わった嬉しさでみんなの顔が輝いている、あの感じだ。
澤くんはバンコクで普通に暮らしていて、そこにいるだけでなんだか頼もしかった。な にかに守られているみたいに。そしてしみじみと思った。私たちのような、ものを創る人やその周りの人は澤くんに会えるといつも嬉しい。澤くんが幸せだとい つでもこちらも幸せに感じる。彼に妻や子供がいたら、その人たちも私たちはみんながみんな愛するだろうと思う。しかし澤くんはこんなにみんなを支えている のに、表には名前が出てこない人だし、本人があえてそうつとめている。私も彼をそっとしておいてあげたいからエッセイなどには名前を出さない。でも余計な お世話だけれど、私の生きた証の一部として、なにかで彼のすばらしい人生の痕跡をどうしても残したい。だから私は彼のことをしつようにせめて日記には書く のだろうと思う。
あと、りさっぴが眠くなると手足がするするしてきて、靴下もぬげるほどだが、それはこの世のみんながそうだと思っていたということも、書き残しておこう。そんなの君だけだって!
2007.12.07

最後の採血、みなあちこちが改善され、健ちゃんに至っては五キロ痩せて露骨にさらさら血に!
午後はリフレクソロジーとタイマッサージ。
水辺に浮かぶ小屋で受けたタイマッサージはすばらしかった。夏休みのお昼寝のような気候で、夢みたい。
自然の中を歩いていると自分の子供がきゃあきゃあいいながら走り回って遊んでいる声が聞こえてきたり、夫や友達やいとことばったり会うとみんなぽわんと顔 がゆるんでいて、天国のような日々だった。酒がないけど。肉もあんまりないけど、味付け薄いけど。でも、緑のなかで幸せそうな好きな人たちにばったり会う のはとにかく最高だった。
2007.12.06

今日が山場。朝いちばんにチネイザン(内臓マッサージ)。
まだ痛いおなかを深くもまれるのは痛かったが、ふわふわに柔らかくなってまたびっくり。
引き続き腸内洗浄。すっかり慣れて楽になり、内臓を柔らかくしたのもものすごく助けになってすいすい進んだ。あれ?こんなに楽でいいのかな?というくらい だった。これを克服できたのは大きなことだったな。昨日はやめようか迷っていたが、みんなが自分の時間を割いて子供を見てくれているので、今しかないとや はりふみきった。ここまできたらやってよかったと思う。隣の部屋では健ちゃんが余裕で世間話をしながら腸を洗っていたが、まさか並んで腸を洗うことになる とは知り合った当時は思わなかった俺たちだ。うわさになるよりもある意味すごい!
たづちゃんは月に一回くらい突然に痛みもないのにすごい下痢を して真っ黒いウンコが出るので、宿便もなく毒素もたまらないというすばらしい体であることがまたも判明。やはりストレス少なめを心がけるのが健康の道ね。 脳のシンクロバランスを見るセッションでは私もたづちゃんもグラフを振り切るほどの脳の力があることが発覚し、親戚だねえと言い合う。
午後はバナナの葉っぱ蒸しをしたあとでシロダーラとアビヤンガ。オイルに包まれかなりいい感じになり、たづちゃんのようにぐったりすることもなく、プールサイドでココナツジュースを飲んでなごむ。
そして最後のカルサイネイザンを受ける。すっかり親しくなったブンさんというおばちゃんにいろいろ質問して、筋腫はないがこういう形の毒素の塊はあるねと 言われる。どうやったらこの柔らかさを保てるのかと聞いたら、それはむつかしいことだからまたおいで、と言われた。ほんとうのプロだった。穴に指を入れら れて情が移って親しい気持ちになったわけではなく、尊敬できる人だった。
夜はタムくんのライブがチェンマイ大学であるので、観に行く。健ちゃんは肝臓の解毒があるのでひとり部屋で下剤を飲み続けるのでパス。うぷぷ。
チビの大好きなヴィーちゃんが門の近くにいてくれて、久々の再会。相変わらず美人だった。チビは恥ずかしがりながらも最後は彼女のふとももに倒れ込んで寝た。
ライブは大学の屋上の特設会場で行われ、何回も観たのにやはり泣いてしまった。すばらしかった。タイで観ることができたのもよかった。
いっしょに居酒屋に行き、日本食を食べる。タムくんがみんなの顔を壁に描いてくれた。こわいくらいそれぞれの特徴をつかんでいてそっくりで、嬉しかった し、いとこといっしょに異国で壁に描かれるなんて、すごく幸せ。ヒロチンコさんが抱っこしている寝ているチビまで完璧にそっくりだった。
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