2007.12.21

帯や対談や解説や感想の仕事が異様にたくさん来るんだけれど、俺の本業は作家だ、と思い、来年は子供と多くいっしょにいるためにそういう仕事を不義理でもバンバン断ることにした。もしそれで売れなくなったら、それが自分の実力だと思って、あきらめて少額の貯金を持って親に買ったはずの伊東の小さい部屋にでも引っ越そう…。
そのくらいの固い決意でのぞんでいるので、不義理をしてしまった人には言い訳はできないけれど、事情を察して可能なら許してほしいと思います。子供が子供なのは今しかない。それをいちばんにもってくるともう仕事を断ることに言い訳はできない。半引退している自分が悪いなと思うだけだ。もちろん親しい人の仕事は時間がゆるせば受けますけれど。
それに、たとえば「××先生の絵について書く」とか「この展覧会のキュレーターをする」かいう仕事を引き受けたとしても、最近の現代美術の作品群をほとんど見ていないので、受けることがかえって失礼にあたると思う。お仕事で自分の名前で看板を出しているのに断る私も私だが、専門外のことを気楽に頼むほうも多少安易だな、と思う。
ここぺりに行けば体調はなんとかなる!を合い言葉に生きてきたが、今日もまさにそれ。ほんとうになんとかなって元気になったのでびっくりした。チビに大きなカールなどすてきなものをいただいた。
夜は次郎と忘年会。あまり食べられないし飲めないので、行きつけの店とはじめての焼き鳥屋さんなどをはしごして、いろいろしゃべる。一年間ずっとお世話になった居酒屋さんで黒豆をいただいて、喜んで帰る。
2007.12.20

やっと一食食べられるようになったけれど、一食食べたらもうなにも食べられないという状況…やせないのが不思議だなあ。
くらくらしながらもどうしても行きたかった長谷川竹次郎さんの展覧会を見にディーズホールに行く。すごかった。こんなの見せてもらっていいの?という感じで、本の百倍くらいすごいものがいっぱいあった。ディーズホールの土器さんは会うたびにすてきになっているし、あの人の人生こそが展覧会だなあと思う。人々が「東京にいるからできない」と思っていることを普通にみんなやっているのは、やはり自由にあちこちを移動してきた人生だからなんだろうと思う。それにちゃんと経済もついてきていて、でもきりきりしていなくて、異様に女っぽくもなく…。はじめてお会いした頃の土器さんはきっと今の私くらいの年齢だったはずで、それを考えると身がひきしまる思い。
笹嶋社長ががんばった「竹原ピストル展」ものぞく。こちらは清志郎、佐内的な永遠の男の子世界。若者たちがひきつけられるのがわかるストレートな作品群だった。
そのままフラに行き、倒れるかな?と思ったらなんとか大丈夫だった。じゅんちゃんに特訓してもらったおかげで、かろうじてついていけた。踊ったあと、クリ先生が真顔で「ばななさん…」と言ったので、ごめんなさい!と頭を下げようとしたら「の靴下の裏が気になってしかたなかった」と言われた。
昔マリ先生が私の踊りを真剣なこわい顔でじっと見ていて、終わってから「わかった、そのシャツは全体でドラえもんを表してるんだ!なんか知っているイメージだなあと思ったんだ」と言われたとき以来の衝撃だった。
変な服や靴下をはいていけば踊りが間違っているのがごまかせる!かもしれない、という教訓でした。
2007.12.19

まだまだなにも食べられず、ふらふらになって英会話に行くもダブルブッキングですごすご帰宅…もちろん優しいマギ先生はあやまりにあやまってくれて、いっしょにクラスを受けませんかと誘ってくれたけれど、この体調では他の人の足を引っ張るなと思って辞退した。このところのついてないことといったら、なにかの呪いとしか思えない。でもそんなこと気にしてたら生きていけない。
晩ご飯もほとんど食べずに十二時にはぴしっと寝た。「女子アゲ↑」を読んだらほんとうに少し気持ちが明るくなったので、蝶々さんに感謝した。ほんとうのことを書くとたいていの人がきつい感じになるけれど、彼女の気配りでマイルドな仕上がりになっているのがよかった。どの書店にも一冊もなかったから、猛烈に売れているはず。女子はみんな苦しんでいるんだなあ。
チビ(マリオをうまく操れなかったヤマニシくんにむかって)「クソ野郎!」
ヤマニシくん「クソ野郎って言われた〜…」
チビ「これあげる、チーズです。はちみつがついてるの」
ヤマニシくん「やさしいね、くれるの?このクソ野郎に」
このやりとりを聞いて、親としては憂えるべきなんだと思うんだけれど、笑いが止まらなくなった。
2007.12.18

夜中じゅう、胃痛と熱に苦しんだ。
まるでプロアクティブのまわしもののようだが、こんなときもピュアシナジーはすごい力を発揮する。あと陀羅尼助丸も。最後のラインまで落ちていくことなくなんとなく回復。
朝はよれよれになって病院に行くも、混んでいてインフルエンザがうつりそうで挫折。体をあたためてみようと思い、ハーブテントとオイルマッサージを受けたら、少し落ち着いた。夜は鈴やん母が送ってくれたきんぴらとほうれん草のおひたしとお餅でなんとか命をつなぐ。ふう。昨日今日とほとんどお酒を飲んでいないというのが、具合がいかに悪いかをものがたっていると思う。牡蠣にあたっても「酒で消毒だ!」と言い合う姉妹の妹なのに…。
2007.12.17

ヒロチンコさんと合流して、もうひとりのお友達Oさんもいっしょにディズニーシーに行く。ものすごくすてきな景色なんだけれど、現実の街と違って絶妙にパースが狂っているので、かなり酔う。三半規管が「うそだ!」という叫びをあげていた。
「海底2万マイル」に感動して、とてもいい気分になっていたらチビが「こわかった…」と泣いていた。「もう二度とは乗せないで」とまで。そうだよね、現実と思ったらそりゃあこわいよね。なんだかんだ言ってもまだ四歳だ。そのあと「ストームライダー」でも泣いていたので、バーチャル系乗り物には弱いということが判明した。ジーニーのマジックショーとかアリエルのショーは大喜びだった。
でも私がこわくて泣いていた三歳児向けのジェットコースターには喜んで三回も乗っていた。カップルとしては相性最悪のふたりだと思う。
いっちゃんがまるでほんとうの親のように優しくチビをエスコートしてくれたので、私とOさんはまったりと園内を散歩したり座ったりした。ジーニーのマジックショーではじめにマジシャン見習いの主人公の少年役の人が、ステージから降りてきてほんとうに困ってる感じの演技で「鍵を知りませんか?」とお客さんに聞いて回るシーンがあるんだけれど、Oさんが真顔で「私にはこういう役がいちばんできないことだな…」と言っていた。37歳のベテラン美人OLの彼女、いつそんな心配をする機会があるのか?妙にかわいかった。
ディズニーシーのほうが働いている人たちが楽しそうだったので、よかったと思ったけれど、テーマパークがとことん苦手な私、一生に一回くらいでいいかなと思っていたら、風邪がどんどんこじれてきて最後には気分が悪くなって倒れました。だって寒いんだもん!それにどうも昨日のホテルのバイキングの食料が少しいたんでいたような気がする。ぶどうなんか特に。なんだかぬるっとしていたし。
帰りは新記で小さい麺を食べて、ラ・テールでプリンなど買って、あたたまって帰った。
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