2011.04.13

ヤマニシくんとお昼を食べてから、ここぺりへ。
まるで平和な日常だけど、やっぱり気合いがなんか違う。みんなが命をだいじに思ってるし、亡くなった人たち、今たいへんな人たちのことをどこかで思ってる。
美奈子さんにだらだらとこのところのことを話しながらほぐしてもらったら、なんだかはりつめた体がやっとほんとうに元に戻った感じがした。
夜はじゅんことたかちゃんのメイク教室を見学しに行く。
ごはんを食べながら、またもだらだらとここのところの話をしていたら、少しだけ気持ちが軽くなった。かなり助けてもらった気がする。それぞれ年齢も家族構成も仕事も違う人たちだけれど、働く女性ということでは同じだから、こちらがピンチだと思うとちゃんと聞いてくれて、ありがたかった。その人たちのピンチにもかけつけられるといいなと思う。
2011.04.11

久しぶりにひとりの時間…
実に一ヶ月ぶり!いやあ、お母さんってほんとうにたいへんですね。
もう心の中がどす黒くなりそうでした…。
夕方、家族&タッキーで「ザ・ライト」を見に行く。
とてもいい映画だったし、アンソニー・ホプキンスがこわすぎるのもよかった。
ものすごくイタリアに行きたくなった。
途中いちばんこわいところで、地震が来ていすが大きく揺れたので、もはや笑ってしまった。
プレゴプレゴで軽くごはんを食べて、エクソシズムについて語り合う。悪とか悪魔という概念について、日本には日本の同じ感覚があるのにはわけがあると思う。私はある程度しかオカルトによってないけど(ほんとに?という多数の声は無視)、ものごとに執着しすぎたり、自分をとりつくろいすぎて空っぽになった人が、その空洞になにかを呼び入れてるところはよく見る。そして見たら走って逃げるようにしている。
2011.04.10

のんちゃんと酒も飲まずに朝の鳥がなくまでしゃべってしまった…女子高生か!?
いや、女子高生だった頃の私の酒量は、正直言って、今よりも多かったデス…!
でもそのあと爆睡したので、わりとすがすがしく起きる。
チビは明日から学校なので、とても不安定。だから、落ち着いた声で話しかけるように心がけたら、心がけてから一時間で落ち着いてきた。そんな単純な!と思ったけれど、そうだ、これでいいんだ、となんだか腑に落ちた。相手が子どもだからじゃない、大人だってきっと同じなんだ、と思う。
タイラさんのチャリティのお皿やキャンドルポットを買って、タイラさんと会話したら、とても平和な気持ちになった。
チビと立田野に行って、甘いものを食べたりわけあったりしていたら、こんななんてことないことがいいなって思えることが、いちばん幸せだというのがわかる。地震はとても悲しいことだったし、原発の真実を知ってしまってもう戻れないのも確かだから課題はいろいろあるけれど、みんなが「退屈だ、いつもの立田野で甘いものなんか食べても、私の人生はいつも通りだ」みたいな飽和状態にあったところから叩き起こされたのは、せめてものよい面ではないだろうか。もう麻痺しないでほしい、だれもが。
人類の少数の人たちによる支配構造も変わりはしないのはしかたないかもしれないけれど、その少数の質がシフトしていくことに希望はなくもない。
2011.04.09

えりちゃんに会いに行く。
とても悲しい信じられない話をしていたはずなのに、わかってもらえるというだけで、安心して、なんだか泣けた。えりちゃん、長い間のおつきあいで、こんなに大きく柔らかくなって、こんなにすごくなって、って思うだけで泣けるくらい。はじめて会った目白の店のカウンターで、まだ二十代だったんだ。帰りの車の中で、涙がこぼれるのを止められなかった。それは生きていることのすごさとか、これまでいろんなことがあったえりちゃんと私の歴史とか、長いあいだ友達でいてくれて全部を見てくれていた感謝とか、それぞれの場所で強者どうし、それぞれに孤独にがんばってきたのをわかりあってるとか、そういうのも含めた涙だった。
たぶん私の人生は私が私であるかぎりいつでも同じように悲しいもので、奇跡は起きないだろうし、ものごとはただいつもの悲しみへと進んでいくだろう。それでも生きるしかない。希望だけは捨てず可能性をおしひろげるしかない。
夜はなぜかチーズフォンデュをやろうということになっていたので、買い出しに行って、あてずっぽうに具材を買う。舞ちゃんとのんちゃんが来て、いっちゃんがすごい勢いでチーズやパンを刻み、なんとかしてフォンデュが実現した。フォンデュって、チーズでもオイルでもチョコでも、正解がない感じがするんだけど、舞ちゃんがスイスでほんものを何回か食べたけどこれほどおいしくなかった、というので、ほっとする。確かにパリで食べたときも、酒鍋?というくらい白ワインの味だった気がする。チーズ多めのほうがおいしいと思う。
2011.04.08

とにかく腰のための一日。ストレッチをして、鍼に行って、末ぜんに行って(これって腰と関係あるかな?いや、腰にも喜びを!)、イエメンのおいしいコーヒーを飲んで、そのあとロルフィングに行く。これだけすれば腰も「しかたないな」と治ってくれることを祈りながら、のんびり帰宅して、ごはんを作って食べた。
ヒロチンコさんに去年からのいろんなことを相談していたら、もう涙が止まらない状態になって、これは地震のストレスじゃないのがかえってこわい、と思った。見たくないから見ないようにしていたことを、パズルのピースがはまるみたいにはっきりと見てしまったからだ。しかしヒロチンコさんはいつも的確で落ち着いているので、ほんとうにこの人といっしょになってよかった、と思った。
ゼリ子は死ぬし、地震だし、原発だし、悲しいこともあるし、なんて言ってるときりがないし、意外にそういう心境にならない。生きているすごさのほうがしみてくる。
  2011年4月 ページ: 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6