2009.09.30

洋子からメールがあり、すぎさんが危篤だという。
すぎさんはおっとりしたものすごくいい人で、いつも親切にしてもらった。高校の同級生だ。ふたりめのお子さんが生まれるときに会ったのが最後。メールのやりとりはたまにしていた。一個もいやな思い出がない人だ。
すぎさんはものすごく早くに結婚した。そのことと、彼女のおっとりした色っぽいしゃべりとか、毛深いくせっ毛やかっこいいパパなどがあまりにも特徴的だったので、私が属していた、洋子がいたほうではないもうひとつのグループでは「なによ、あの人、ちょっと変じゃない?無視しよう」みたいな流れがあった。
私は、そのとき表面的に調子を合わせた方がいいかな?とちょっと考え込んだが、すぎさんはなにも悪いことしてないから、と思い、断固としてすぎさんと過ごすのをやめなかった。そうしてよかった、ほんとうにあのときの自分よありがとう、と今しみじみ思う。まわりがどう思うかではないのだ。私は声を大にして「すぎさんはなにもしてないじゃない!」とも言わなかったし、ただ好きなものを好きなままでいただけだったけど、それってものすごく大事なことなのだ、とあらためて思った。
2009.09.29

アリシア・ベイ・ローレルさんと対談。
私の子ども時代のアイドルなので超どきどきだったが、たまたま着ていったアリシアTシャツを、なんと彼女もまったく同じ色柄で着てきたので、ペアルックで幸せ気分に。撮影はおじぃだし、インタビューは川口さんだし、ずっとメル友だった藤井さんがいるし、仕事とは思えない楽な雰囲気になってよかった。
アリシアさんはコミューンライフが長かったから、動きが軽い上に、バッテリーがなければ代わりを持っているし、CDを開けようとすれば小さなハサミなどさっと出てきて、ああ、そうか、この人がひとりいれば、かまどもできるし自分で子どもも産めるしヨガも畑もテントも音楽もダンスも魚釣りもなんでもできるのか、と愕然とした。人としての強さって結局そういうことなのではないだろうか。彼女の目の中には真の穏やかさと自信があった。悔いない人生を生きている人の目で、長い間尊敬してきてよかった、確かな人だった、とますます自分の人生観が固まった。
彼女の新しいCD「次の世界へ」を聴いていると、親が死ぬことや自分が死ぬことへの恐怖が薄らぐわけもわかった。
サイキックと真にヒッピー的生き方をしている人は、現代の僧侶そして良心なのだと思う。世界のあちこちで鎮魂をしているように思う。
「SWITCH」に載ります。
ハワイに出発する人だれかいないかな、いたら挨拶しよう、と思ってフラスタジオに行ったら、なんとクムとくりちゃんとあゆちゃんとJr.ちゃんとれいこママがローソンから出てきた!アリシアに会いたいわ〜、とクムが言い、ヨッシーがダッシュで声をかけてきてくれて、なんとおらがクムであるところのサンディーとアリシアさんの再会まで見届けることができた。
クムはへとへとなのにキラキラ輝いていて、柔らかい感じだったのでよかった。
クリ先生は「そのTシャツ、クムが着ると胸のところが妙に立体的なもようになるんだろうね〜」とか「基本的に同じタイプのふたりだね〜、毛が長くて、歌うし」と緊張に満ちたウニキ前とは思えないゆるい発言をつぶやいていたのでこれまた安心。あゆちゃんは今日もさっそうとベンツを運転し、リアル峰不二子だった。
トップダンサーたちに会うと、ついうきうきしてはしゃいでしまうんだけれど、ほんとうにダンサーってすばらしいなと思う。立ち姿、笑い方、動き方、みんな輝きにあふれている。常に進んでいこうという感じの気合いがある。私もダンスはともかく小説はそうありたいと思った。
藤井さんがいっしょにサンディーを見送りながら、「なんで僕たち、今、いっしょにサンディーを見送ってるんでしょうね」と言ったのが最高に受けた。
夜は毎日新聞の集い。米本さんと重里さんを見たら、一気に「連載だ!」という気分になり、嬉しくなってきた。みんなでおいしく焼き肉を食べ、やるぞ〜!みたいな感じになる。石原さんが底でずしっと支えてくれているのも大きい。この仕事をしてきてよかったな、と思う。引っ越しほやほやの舞ちゃんも気合い充分でたのもしいかぎりだった。絵を描く人が「お仕事ですから」という感じではなく、人生の一部を分けてくれると、小説がぐぐっとまた動き出すのがわかるのだ。
2009.09.28

日本一タフな女ちほが来ていたので、打ち合わせ。
いっしょに「MISS」で連載をやることになって、超楽しみだ!
編集長の内山さんと担当の河田さんとヴィジョンを確認しあい、みんなで仲良くハンバーガーを食べる。結束も固く、いい感じ。
そのあとはちほとチビとヒロチンコさんとぶらぶらしたり、家でお茶をしたりしてなんとなく過ごし、あっという間に夕方になったので、たかちゃんとかなちゃんとの宴会へ。三茶にある、そのいつも混んでいる「さんじゅうまる」という有名な居酒屋さんの店長さんはなんと昼は美容師さん、夜は店にはりきってやってくる。地元を愛し、地元の漁師さんと提携してすばらしいお魚や銚子の郷土料理を出している。もうけ以外のコンセプトで心からお店を愛している人なので、気持ちよく食べたり飲んだりできる。
たかちゃんとかなちゃんとちほちゃんはみんな仕事の上でいろいろな経験をしてきたので、基本の土台が同じ感じがして、普通に話し合える。といっても私は深く素潜りしたり、船に乗って旅をしたりできないへなちょこだから、入れてもらえてありがとうって感じだけど。
もうけ以外のコンセプトで生きている人たちが、普通にいいお店で集う、たったこれだけのことが困難な時代になってほしくないなあ。
2009.09.27

店長のお墓参り&しのさんちで宴会。由美ちゃんが店長の墓石を数回なでたとき、ぐっときた。みなみちゃんがぶきっちょに(ここがまた泣かせどころで、器用にさくさくやらないからますますじんとくるのだ)連絡係をやってくれなかったらなかなか会えない関係で、ちょっとおっくうな感じなのに、会うとみんなで同じ空間にいたリズムが一瞬でよみがえり、会話がはずむ。他で会ったら決して仲良くならなかったかもしれない人たちでも、いっしょに働いたことでわかりあい、許しあい、まだ楽しく会える。沖縄からかよちゃんも来て、いっしょに働いていたとき笑いすぎて何回もお茶が運べなくなったあの鋭いツッコミを久々に堪能。あの才能は、いったいどうやってつちかわれたのだろう!
ホクレアに乗っていた唯一の日本人女性かなちゃんが、あんな小さい船の上にみなで何ヶ月も暮らして、もめたり大嫌いになったりしないのか?と聞いてみたら、「自分も含め、みんなダメでも許せるお兄さんやお父さん、できの悪い妹みたい、家族だからしかたないなって思うようになった。海だから逃げ場がないし、そう思って受け入れるしかないとなると、案外みんなできるし、いやな気持ちをためない」と言っていた。そんな極限状況で働いていたのではないが、とても似た気持ちになった。同じ船の上で、一定期間運命を共にした人たち。
お母さんのおいしい家庭料理をいただきながら、すごい改装による居酒屋のような内装の中で飲んでいたら、どこにいるのかわからなくなる。チビも「店みたいな家だね!」と言っていた。
2009.09.20

「ロケッティーダ」のくだもの展に行き、洋梨を買いまくる。
おいしかった〜!!!期間限定の洋梨の器などもゲットした。
タイラさんもミントンさんも元気そうだし、家族(猫)も増えていた。猫の散歩をさせてもらって、とても幸せであった。うちの猫なんてひもをつけただけで殺されるくらいの騒ぎだったのに!なぜこの家のたまごちゃんは普通に犬みたいに歩いてくれるんだ。車の下に入っちゃうところが、さすが猫だ!
江東区大島の商店街を見てチビが「この町はおじいさんとおばあさんが世界一多い町だ」と批評?していた。
夜は親孝行の旅へ。お父さんに一瞬会い、病院へ行き、母に会い、病院の近所の祭りに行ってみた。幼い頃親友と毎日通った祭り…まさか子連れで来るとは思わなかった。そして親が元気でなくなる日が来るなんてもっと思ってなかったなあ。でもなんとなく思うのだが、未来の私がその切ない気持ちを過去に送っていたから、私はこういう作風になったんじゃないかな。
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