2009.06.19

太極拳を休んで、ひたすら仕事をする。
もうほとんど治っているが、もしも先生にうつすと悪いと思って、自粛した。まだ咳が少し出るのと、だるいのが残っている。
水疱瘡からインフルエンザへとひどい目にあってかけぬけた感があるが、ここで倒れておかないと後でもっと大変なことになった感がしみじみとするので、これはこれでよかったと思う。もう無茶する時代は終わり、こつこつとやっていく年齢に入っているのが実感できる。私はなにも変わってないが、ごまかしやしなくていいことはどんどんどんどん減らしたい。
寝込んだので清志郎のDVDをじっくりと観て、何回も涙したり、笑ったりすることもできた。心の中の大事な部屋が狭くならないように、たまに観なおさなくては。
2009.06.17

ほぐれたのがよかったのか、どんどん熱が出てきた。
そして病院に行ったら、なんとB型のインフルエンザの治りかけだった。なんだかなあ。先生も「この程度の症状では、インフルエンザじゃないと思うけど、いちおうね」と検査したらそうだったので、一同てへ、という感じだった。
そうか、チビはインフルエンザだったから、あんなにつらそうだったのか、かわいそうにと思いながらも、みんな新型でなくってよかった〜!とほっとする。いっちゃんからスタートして全員に順番にうつっていったあの強烈な感染力、そのわりには高熱ははじめてその菌に出会ったチビだけ、という理由がわかって納得した。
2009.06.16

ここぺりへ。
体がフランケンシュタインみたいにずれて継いである感じだったのを、関さんがブラックジャックみたいにしっかりと再手術してなめらかに継ぎ合わせてくれた。
すごい大変なことをしてくれてる…とわかりながらも、ぐうぐう寝てしまった。
体を観てくれる人ってまるで魔法使いみたいだと思わずにはいられない。
2009.06.15

ついに、契約。
ここまで黙っていたが、小さい小さい部屋を湘南の友達の家の近所に買ったのです。貯金をはたいて。
前からほんとうにお金はないけど、今日からはほんとうにしばらく切り詰めなくちゃ。グルメライフともしばしの別れよ。でも幸せな切り詰めだ。
こんなご時世に家を?と思うけど、今、何かを残しておかないと、お金がただ出ていくばかりなので、勇気を出してみた。もう消費を楽しむ年齢でもないし。高級ホテルやブランド品にもさほど興味がないし。危ないのはジュエリーくらいか。
これという物件がなくって何回も挫折しそうになった私たち。しかし粘り強く優しく要望を聞き、フットワーク軽く、私たちがいくら冷やかしっぽく見えてもひるまず、都会そして賃貸に疲れ果てた私たちのほんとうの夢を理解しようとしてくれた、稲村ケ崎R不動産の藤井さんに心からの感謝を捧げる。彼はすばらしい人だった。彼がいなかったら、多分私たちは挫折したと思う。
湘南に住んでほしい、ここの良さをわかってほしい、そういう意味のある仕事をするのに誇りを持って手間を惜しまない、そんな藤井さんが本気で助けてくれて、私たちの小さい夢がどんどん現実になっていった。
これまで貯金もせず、まわりの人たちばかりにお金を使ってきた私だが、今回ははじめて自分のために大きいお金を使った。よかったと思う。
気持ちを引き締めて仕事していこう。
夜は茂さんとゆりちゃんがお祝いのディナーに誘ってくれたので、みんなで葉山のおいしいイタリアンに行った。楽しい時間を過ごして、ああ、もう「今日も見つからなかった」と肩を落として帰らなくっていいんだ、と幸せな気分だった。
縁のあるおうちって、ドアをあけたときまるで「待っていたよ」と言っているみたいな空気がある。ここはきっとそうですよ、と半分投げていた私をあきらめずに何回でも誘ってくれた藤井さんの無私の行動を、この家に来るたびに思い出すだろうと思った。
にしても、幼稚園帰りに通いで探すのには疲れた〜!!!
決まってどっと力が抜けた。
2009.06.14

私が忙しくててんてこまいになっていたら、陽子さんがバリバリバリと助けてくれた。美しいし、優しいし、なにを手伝ってほしいかわかってくれるし、まるで天使みたいだった。
お互いになんか体調がはっきりしないけれど、単なる時差ぼけだろうかね、と言いあいながら、地味な日本のごはんを作って食べた。海外に行って帰ってきていちばん食べたかったのはぱりぱりっと割れる海苔。とっておきの「海大臣」(ほぼ日で山ほど買った)を思う存分食べて、みんなでため息をついて、日本人の幸せをかみしめる。
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