2009.02.02

「件名: さ・さ・最悪〜〜!!!
今日、石森・たけしと共に、Mんちに捜索隊で行って来たんだけど、正に最悪の事態でした。
部屋で孤独死してました。
わしが第一発見者なわけで、サツに止め置かれたりして…でも、あまりにも、かわいそうな人生にゃ〜…。  姉拝」

これが、姉からの第一報メールである。そんなときにこんなこと書けるなんて、お姉ちゃん、すごすぎる。いろんな意味で!
でもこんな姉を愛して友達でいた彼だから、きっと今頃天国で笑っているだろう。
あとから、彼は別に孤独に死んだのではなく、ご家族とは最近縁を取り戻し仲良くしていたこともわかり、ほっとした。
2009.02.01

神田さんたちが遊びに来たので、お茶する。
ご近所さんの引っ越しは淋しいなあと思うけど、引っ越し先になじんだ神田親子のお肌がつるつるで幸せそうだったので、よかったと思う。いっぱいおみやげをいただき、陽子ちゃんの持ってきたおいしいシュークリームを食べながら、おしゃべりした。
夜は原さんのライブ。落ち着いたいいライブだった。混みすぎていないのもとってもよかった。声も出ているし、演奏もひとつにまとまってきたし、まだまだいける感じがある。年齢を重ねるということは経験値が増えてなまけるこつもわかるということなのだが、原さんにはそういうのがないのですごいと思う。
「毎回最後の歌と思って歌ってるからな〜」とおっしゃっていた。
さて、さしさわりがあると思うので、ぼかして書くが、今日、うちの姉が遺体の第一発見者になっていた。姉と、石森さんと、たけしくんが。
ある知り合いと連絡が取れなくなって、心配して、大家さんに頼んで鍵をあけてもらったのだった。そうしたら死んでいた。自然死であり、自殺ではなかったそうだ。
こんなこと、最高に身近でもランちゃんの近さまでだと思っていたよ…(ランちゃんごめんなさい)。
私とたけしくんは、心のどこかでわかっていたんだな、となんとなく思った。この間、その人に関して会話をしたとき、そういう雰囲気があったからだ。もしかしてと思いながら、彼のために行ってあげたたけしくんは偉いと思った。
それにしてもこんな近くでそんなことが起きるなんて。
亡くなった人とは、18のときからの知り合いだ。友達ではないけれど、しょっちゅう顔を合わせていた。かわいそうな人生だった。親ももうない、仕事は過酷、モテるタイプでもない、社交がうまくもない、難病も抱えていた。それでも、彼のことを忘れない。彼と知り合えてよかったと思う。彼のいなかった人生は私たちにはもうないのだ。それが知り合うということだ。いつもチビには心から優しくしてくれた。優しい人だったと思う。海でアジフライをわけっこしたり、バイクで去る彼をお見送りしたりしたな。きっとお姉ちゃんたちに見つけてほしかったんだね、成仏したね、と思う。 
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