2009.01.05

ヒロチンコさんの誕生日。
ミッドタウンに行ったので、大内さんと木原さんの打ち合わせに乱入する。今私がしている簡単な瞑想(朝夜五分づつ)だけでも体調がかなり改善されるので、ぜひそこを本に入れてほしいとつい熱く語ってしまった。瞑想は精神のごはんだね。多く食べればいいというものではないのも、食いだめできないのも、いっしょ。なので、楽しみだなあ。
中華レストランに行って、悪いチビを受け流しながらヒロチンコさんを祝っていたら、チビにも親切な感じのいいお店の人がさらに親切におめでとうのデザートプレートを書いてきてくれて、よく見たら「HAPPY BIRTHDAY 1月6日」と書いてあった。一同で大笑い。書き直してくれると言ったが、いいですと「6」の棒を手でけずって5にした。
多分彼の今年は、なんとなくとんちんかんで、ちょっとした判断ミスをいろいろするけれど素直な気持ちでなんなく乗り切り、たくさんの人に愛されて助けてもらうけど、最後は自分がふんばるという感じになるに違いない。
2009.01.04

じわじわっとあわただしさの波が迫ってきている中、またもチビとけんかしながらロクサンでおいしいピザのランチを食べる。なんであんなにおいしいんだろう。おじさんとおばさんも懐かしい雰囲気ですてき。
それにしてもまたチビがワルワルの時期で、頭が痛い。考えられないくらい賢い意地悪をくりだしてくるので、気持ちも沈む。でも奥底に信頼があるからあまり落ち込みはせず、過ぎていくことなんだろうなあ、となんとなく鷹揚な気持ちもある。面白い。
他人にこれだけの意地悪を言われたら、ぶんなぐり&絶交だろうっていうレベル。
まるちゃんを観る時間には落ち着いた。前、チビがさくらももこちゃんの家に遊びに行かせてもらったとき、ももちゃんに向かって壁のカラー原画を指差し「あ、まるちゃんだ、まるちゃん知ってる?」と聞いていておかしかった。
この人が描いたんだよ、と言ったら、となりのシュルツさんのスヌーピーの原画を指差して「これも?」と言っていた。ももちゃんは「そりゃちがうよ」と言っていた。
2009.01.03

チビはまだじーじの家にいるので、お年賀を買ったり、ギャルソンでレギンスを買ったりして、藤澤さんのおばあちゃんのおうちにちょっとだけ寄ってから、実家へ行く。
藤澤さんはひとりのお正月だったが、淋しいという感じではなく、きらきらと生きていた。ほんとうによかった。家族の絆がほんとうにかたいと、離れているくらいでは本格的に淋しくなったりしないんだなあ。手を握り合って、ずっと微笑み合って、おしゃべりした。胸がきゅんとなった。あんなに明るく、強く、柔軟で、愛されていて、控えめなお年寄りは他にいない。昔、もう中学生になった孫の男の子が「家に帰るまえになぜかおばあちゃんちに一回来たくなっちゃう」とか「おばあちゃんのおにぎりおいしいんだもん、もう一個つくって」とか言っているのを見て、感動した。さらに、もうひとりの孫の外国人のボーイフレンドを、別れた後も下宿させてあげたり、ソファをばらばらにするほどの破壊的な大型犬を普通に飼っていたり、なんと姪御さんのご主人はFBIだ!小説より奇な藤澤さんから、私もまた大切な多くのことを学んだ。
実家にはたくさん人が来ていて、やがてチビとパパも登場。チビはりょうこちゃんがいたので嬉しくてしかたなく、いっしょにばたばた遊んでいた。
帰宅し、松ちゃんと内村さんのコンビのすごさにうなりながら、家族三人でおつまみを食べて、うるさくて平和な暮らしに戻ってきた感じを味わう。さらにうるさいことには姉がヒロチンコさんのお誕生日プレゼントに買ってくれた「ショッカー首領時計」が一時間ごとに「五時だ、ゆけ!仮面ライダーをたおすのだ」とか家の中で叫ぶようになった。音を消す機能はないみたい…。
ぜひヒロチンの事務所に持っていってもらいたいが、ロルフィングのセッションがだいなしになることは間違いないだろう。それだと経済的に私も困るので、仕方ないから家で仕事しながら一時間ごとに指令を聞いている。
2009.01.02

チビが、パパといっしょにおじいちゃんちに行くか、ママと残って姉と風呂に行くかでものすごおおおく葛藤していて、面白かった。チビが五分以上黙っているのは寝ているときと葛藤のときだけだ。
結局おじいちゃんの家に行くことになり、その決断を待っていたみながなんだかどっと疲れた。
それで姉と近所の温泉に行き、あかすりをしたりビールを飲んだりして、独身生活を満喫した。ううむ、これはこれでいいなあ…なんといっても静かだし。
最近サキタハヂメくんののこぎり演奏のCDをよく聴いている。彼の心の美しさが演奏に全て現れている。会ったことはチンドン修行時代に一回しかないけれど、ほんとうに立派な人だった。これ以上ナイスなガイがいるのか?と思うくらいだった。これまで彼が経て来た道のりの長さや質のことを考えると涙が出るくらい。とにかくテルミンのようだが、のこぎりだ!工夫を超えて音楽的にきれいなところがあり、静かな気持ちになる。静かな気持ちというのは、だらっとしたものではなく、星空を見上げているときのような気持ちという感じ。ふつうこういうのって「うわあ、のこぎりだ!でもそれで?」みたいなものが多いのに、彼の場合は違う。価値のあるものになっている。
森先生の日記がもうすぐ終わってしまうので、つまらない。毎日のぞいていたので、一ファンとしても気が抜ける。どっちの日記も読んでいるファンの人のために、私からもフィナーレの考察を述べておこう。私は家族ぐるみで友人でもあるので、これからも会うと思うが、作数が減るのはやっぱり残念!「半熟セミナ」は子供や孫に伝えたい現代には珍しくていねいに創られた、傑作な書籍であった。
彼の作品からもうかがいしれるが「期待にこたえない」とか「人情的なものを見せつけられると、ものすごく残酷に(一般的な意味での残酷だが)対応する」、そのすごさはもうほとんど個性の域に入っている。
メールとかではなく、生身の日常のご本人はどうかというと、実にじょうずな人当たり。「多分人はこれをやったら不快だろうから、思いやりから、すごく上手にいい感じにしている」と「どうでもいいと思ってることが、ついうっかり出ちゃう」が半々くらいの、かなりキュートな処理のしかた。
この特徴が彼の才能の特異性を解く鍵だなあ、とよく思う。いくつか推理(?)してみたが、どうも「ほんとうはむちゃくちゃ優しすぎて思わず冷たくなってしまう」という一般的なニュアンスは、なくはないのだが、10パーセントくらいで、かなり少ないようだ。
人としゃべれないくらい極まった理系の人や自閉症の人からたまに同じ感じを受けるけれど、それとも微妙に違う。その上で小説を書けるというのがまた変わっている。情景描写をすればするほど現実味がぼけていくというのもすごい。
おもろい人だ…(このオチか!?)。
森先生、ブログおつかれさまでした。
2009.01.01

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
実家へ行く。親の就寝時間などのずれで、なんとおせちの開始は3時だった。もはや晩ご飯だ。
いっちゃんの撮った写真を見て、父が「チビくんは、色男だなあ。将来女性で苦労をしないといいなあ」とつぶやいていた。予言なのか、評論なのか、じじバカなのか、わからないところがものすごいスリルである!
あまりにもおなかいっぱいなので夜はごはんをつくらなかった。おかげで時間ができてずっとレインボーマンを観ることができたが、新春からものすごく暗い気持ちになった。ヒロチンコさんがレインボーマンのエピソードをほとんどおぼえているのもショックで、子供って驚くような内容だと記憶してしまうんだ!やはりこういうダークな番組は必要なんだ!と感心してしまった。
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