2008.07.10

映画観る前に予習しようと思って「闇の子供たち」を読んでかなり落ち込む。小説としてどうとかいうよりも、これって事実なんだろうな、とただ思えたからだ。
私にはバックパッカーの友達が多いし、若いときはだれでもそうだからなにも言えないし、これからもその人たちが大好きだし尊敬しているけれど、しかし、自分はもうあえて自分の体験や異国を楽しむために貧しい人たちの地域にある屋台で安くごはんを食べてみたり、異様に安い宿に泊まったり、遊び半分で麻薬を買ったり子供を買ったり女を買ったり男を買ったり(しないけど)、しないようにしようと思った。この問題に関して自分はそれしかできない。「世界はそうやって回っているのに、なにきれいごとを言ってる、その人たちだって食っていかなくちゃいかんのだ、甘っちょろい」と言われたらなにも言えない感じだが、それでもそれしかできないからそうしよう。
私は動物の扱いに関してどうしても疑問が消えず、親しかったし文章は今も大好きな銀色さんや坂東さんと絶交してしまった。苦しかったけれど、うやむやにしてにやにやするよりも、考えを表明して、つきあうならつきあう、別れるなら別れる、としたほうがよい。バックパッカーの友達たちは、予算と長い滞在日程の関係がわかっているので意見の違いとは思わないし、これからも友達でいると思うけれど、同じく考えはしっかり伝えて、つきあってくれるのであれば、つきあっていこうと思う。
毛を切って初めてのフラ。怒られるかと緊張してタクシーの中で「ごめんなさい!のばします!」とあやまる練習をしながら行ったが、「またのびるし」「似合うし」「私も切りたい」「毛が長いとシャンプーが減る」など案外鷹揚な展開でびっくりした。ええ人たちや〜。でも、ショートでフラを踊るとはだかのような気分でしっくりこないわ。
ごめんなさい、のばします。
2008.07.09

イハレアカラ・ヒュー・レン博士と、平良美人母子と会食。
すばらしい人だった。自分のなんとも言えない奇妙な話が100%伝わり、分かち合えることの幸せをかみしめた。平和な世界を自分の責任で自分のうちに創りだすこと、これもまた大きな反逆なのだと思う。
ちょっとしたときにお礼を言うタイミング、人を気遣う態度などに真摯なものがあり、過激な発言の多い彼だが、その黒く澄んだ瞳を見るたびに、やはり信頼できる人だ!と思った。ホオポノポノは日本人に合っているのだと思う。私もクリーニングを続けていこうと思う。
それからここぺりに言って、私の体と関さんの、真剣な対話をありがたく聞く感じでマッサージを受ける。きちんと扱ってもらえると、普段てきとうに動かしている体の声が聞こえてくるようだ。
夜はいっちゃんのバイトするお店にチビと行く。チビがあまりいっちゃんのじゃまをしないできちんと座っていてえらかった。焼きトマトをまるまる二個も食べたし。生き生きと働くいっちゃんはいつにも増してかわいかった。そして「まかないで飽きているし、お店で働いているときは食べたいと意外に思わないんですよ〜」という話を聞き慣れた私たち夫婦だが、いっちゃんの「いっつも食べたいな!と思って焼いてます!」という発言にが〜んとなり、かえって感動してしまった。
歩いて帰って、ある場所を通った。なぜか通るだけでも気が遠くなり、うつろになるのだ。そしてそこを通ることになると、いつも誰かが死ぬ。
そこを通っている時刻におじさんがいきなり亡くなり、びっくりした。前もほとんど時差なく、そこを通っていやな気持ちになっているとき知人が自殺したのだった。
だれもにほんとうはあるのかも、そういう、異界に通じてるポイントって。
いつもは行かないようにしているのだけれど、そういうときってなぜか用事ができたり道に迷って、そこを通ってしまうのだ。さらには、どちらがわからアプローチするかにもよる。踏切を超えてそこを通るときだけがまずいときなのだった。
おじさんはいつもうちの母を守ってくれた。かなり難しいうちの母を、文句なく受け入れ、愛していた人だと思う。
いつも健康だったおじさんがガンになってしょげていると聞いたとき、そして「もう自分はだめだ」と言っているのを聞いたとき、いや、まだ時間はあるだろうと思っていた。そんなにすぐ進行するという感じではなかったから。でも、おじさんの勘のほうが正しかった。いさぎよい去り方だったと思う。
うちの母方の人たちはものすご〜く口が達者で、思いをすぐに口にできるタイプの人たちで、それは完全に私やいとこに遺伝している。それのなにが損かって、実は大きくわかっていることがあって、それが真実でも、あまりにもちゃんとしゃべれすぎてしまうのでかえって信用されにくい、という点だ。もっと真摯に受け止めて、会いに行けばよかった。もう遅い。おじさんごめんなさい、そしてありがとうございました。
2008.07.08

りんどう湖にカートに乗りにいく。
私が運転してヒロチンコさんを乗せてあげたら、「絶対に免許をとらないで」と念を押された。なぜ!?
チビは何回も乗って大喜び、あと少し背が伸びたらひとりで乗れるようになる。昨日の夜はいっしょに露天風呂で大騒ぎして遊んだけれど、もう少しでいっしょに入れなくなるのだな。
なんのためらいもなくヒロチンコさんのパパにぶつかっていくチビを見ると、こういう幸せを知らない子供たちについて考えざるをえない。せめて自分は疲れたとか面倒だとか言わずにチビを見守っていきたい。でも、ヒロチンコさんのパパとチビがいっしょに手絞りで作ってくれたスイカとコーンのジュースには、いろんな意味でちょっとどきどきした…。ちょっと下痢もしたよ。
夜はなみちゃんを誘って、焼肉屋へ行く。チュウなどしてもらってチビはすごく嬉しそうだった。そしてマッコリをぐいっと飲んで大騒ぎして酔いつぶれて寝ていた。
2008.07.07

那須へ。
行きにチビが盛大にゲロを吐き、その片付けで疲れてしまいぐうぐう寝ていたらついてしまった!
ヒロチンのパパの家に行ってから、温泉へ。
今回は山の上の古いお宿にしたら、とてもよかった。感じがよくて清潔で、いろんなものが最小限だけれど落ち着いていて、気取ってないし、安いし、泉質もすばらしい。
ごはんを食べるときにチビが「もし悪い人に会ったらどうする?」とヒロチンのパパに聞いたら「悪い人をこわがっていてもしょうがないだろう」と間髪入れずにきっぱり言った。ものすごくかっこよかった。こういうお父さんが昔はいっぱいだったのだ。普段は忙しくてごはんをいっしょに食べてくれない、あまり遊んでくれない、でも強いし絶対的に守ってくれる。
「でもじーじはこうもりがさがあれば、だいたいは勝てるぞ、飛び道具にはかなわないけどね」
このふたつの単語、久しぶりに聞いたけど、もうなんでもとにかくやっぱりかっこいい!
2008.07.06

曽我部さんのバンドのライブに行く。しみこさんが別の赤ちゃんを抱いていて度肝を抜かれたが、ものかげにちゃんとほんものの息子さんがいてほっとした。
曽我部さんは、こんなにポジティブな空気で会場をいっぱいにするなんてすごいなあ、とまた感動してしまった。弾き語り以上にバンドがすばらしいってどういうことだ!?いつも予想より一段階大きな感動が待っている奇跡の人だ。
それに、曲に対する解釈がツアーによってどんどんこなれて集中していって「自分たちがやって楽しいこと」と「お客さんが嬉しいこと」の間がどんどん近づいている。自分たちが楽しいから長く演奏したりしなくなってきている。
プロにおいてお客に甘えないことは絶対条件なのだと思う。
私は小沢健二くんが今も大好きだし、すごい才能も自信もあると思うし、ライブもいっぱい行った。あるライブで、ビデオ撮りがあったのかもしれないけれど、長い長い名曲「天使たちのシーン」と「ラブリー」を間違ったからとアンコールで「もう一回やっていい?くやしいから!」とまるまるもう一回やったとき、ああ、この姿勢は必ずお客さんに伝わってしまうな、と少しだけ失望した。オーディエンスというのは、ほとんど舞台に立つ人の無意識の闇のようなもので、ものすごく厳密なのだ。もちろんファンだし何回も聞きたいから得したなと許してくれるけど、それでも、どこかに小さな棘みたいなのが生まれるものなのだ。
曽我部さんのバンドの人たちみんな、お顔も実によくって、ただただいいものを見たという感じ。
チビは音の大きさにぽかんとしていたけれど、ずっといっしょに見ていた。いつかバンドをやるとき参考になるでしょう…。レコファンで「キラキラ!」のジャケットを見ると「この人知ってる」と言うようになってるし、いいぞ!
曽我部さんのものすごいスタミナを見ていると、だらっとした気持ちがすがすがしく吹き飛ぶようだ。自分をだらっとさせるのは自分だけだ。
陽子さんもいっしょに幸せなライブの余韻でにこにこしながら、ラーメンを食べて帰った。
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