2008.01.06

六本木ヒルズにウルトラマン展を見に行き、大人だけが嬉しい気持ちになる。だって、そうそうたるおじさんたちの記録が一挙に公開されているんですもの。
そしてついでと言ってはなんだが、飴屋さんがちょっとだけ出展している上の階のいろんな人が作品を展示している展覧会も見る。玉石混交とはまさにこのことなり、という感じだった。飴屋さんはいつも考えていることが特異で考え方を見るだけでもいいので別として、新聞ドローイングもどう評価していいのかわからないがすごいので別として、クオリティとか遊び心とか全部を総合した上で、私が芸術に求めているものはある種の切実さであるな、ということがよくわかった。あくまで私が求めているものだが。たとえば、私の中では杉本博司さんは切実である。
で、その意味で言うと、できやよいさんがダントツで切実だった。生で見たのは初めてで、ぐっと胸打たれた。
「このことが頭を離れない」というタイプの作家は技術さえ伴えば、「こういうこと考えてみました」という作家と格段に違う、そう思った。
2008.01.05

ちょっとゲーム内で小金がたまると、すぐコーヒーを飲んだり、意味なく穴を掘ったり、木を切ったりして散財してしまううちのチビ。村の人たちに頼まれごとをしても目新しいことがあるとすぐ忘れてしまい、怒られるときだけ「ママ聞いといて」と押しつけ、地道に増やしてお金をかせごうとして私が植えたお花をちょっと目を離すとすぐ切って裏のお姉さんの家に売りに行ってしまう…子供だからなのか、ヒモ体質なのか?前者だと思いたい。いっちゃんの世界に通信で侵入してさっそく勝手に木を切っていたしなあ。
ヒロチンコさんのお誕生日なので、夜は三人でごはんを食べる。チビが赤ちゃんのときから行っている中華へ。最近チビがずいぶん食べるようになってきたので、少しずつ外食が楽しくなってきた。あとひといきという感じだ。見た目がとても大きく小学生くらいなので、それにしては異様にぐにゃぐにゃして礼儀正しくなく見えるのが、我が子ながら気の毒。
2008.01.04

今年はまじめに仕事しよう…。
と思いながら、最近事務所ではなく、知人の間であったことについて少し考えた。
たとえばバンドをやっていたとする。みんな友達である。プロデビューの話がある。どう考えてもドラムの人だけが下手で、プロデューサーを含む全員にドラムの人はプロになるのはむりだと思う、と言われる。その場合できることはほとんどない。その人に辞めてもらうか、バンドを解散して新しいバンドを作るか、ドラムの人に正直に言って、猛練習につきあって、だめだとなったらあきらめることにするか。
私は中途半端にいい人なので、だいたい最後の方策をとって、失敗して恨まれる。というのは、人間は猛練習したくらいではたいていの場合変わらないからだ。変わる人なら、すでに猛練習しているだろう。これに気づいたのはそうとう中年になってからであった。バカであった。
この場合、スピリチュアル的に言うと、下手なドラムの人をなんらかの理由で入れた時点である種の解消すべきカルマが生じているのだ。ただ、その人がありえないくらいすばらしいムードメーカーとか、百科事典みたいに頭がいいとか、作曲できるとか、福の神的存在だった場合は、残して別の道を考える手もある。ゆるさももちろん必要。そこはもちろんケースバイケースだ。
ただ、いちばんに考えるべきこと、それはバンドであれば当然「よい音楽をつくり演奏する」だろう。
しかし、日本ではそれはあまり重視されていない、そういう気がする。
そのあいだのもめごとや感情の揺れを楽しみ、元々いた人への愛着をいとおしみ、そこそこの真ん中のラインに落ち着いて丸く収まることがよいということになる。
あまりにもめているので見るに見かねてこの人ではどうでしょう?と腕のいいドラムの人なんか呼んでこようものなら、大きなお世話になり、大ひんしゅくだ。
海外の仕事でよく「あなたはいらん」と全く情もなくばっさりと切り捨てられることがあるが、そういうときは「ああ、日本のあの優しくてぬるい感じってやはりよいところがあるんだな」と思うんだけれど、日本の中にずっといると多少うんざりしてくる。どうぞやっていてください、と思ってしまう。結果はどうでもいいのか?と空しくなる。
イカ天を観たせいで、例えがついついバンドになってしまったよ…。
それと似た話で、たとえばフラで突然「来月のイベントに、いちばんうまいクリちゃんとあゆちゃんといっしょに踊りなさい」とクムに言われたとする(言われへんって)。どんなに辞退しても絶対ダメだと言われたとする。そうしたら、仕方ないから心を無にして猛練習するだろうと思う。猛練習しても参加できるレベルに達しなくて他の人に出てもらった場合は、どんなにくやしくても、だらしない言い訳はたくさんしても、最終的には自分が悪いとあきらめる。だれも恨まない。
これが「小説オリンピック」(なんじゃそりゃ)だったとしても同じことだ。恨まない。ベストをつくしたら仕方ないことだと思うし、つくせなかったら自分がなまけていたな、と思うだろう。
それに、作家としては天職なのである程度のところまで行けるが、他のお仕事をしたら私のポジションは会社でもフラでもカフェのウェイトレスでも「実力は中の下、体が弱すぎて戦力外だがムードメーカーとしては上級である」というところだと冷静に判断できる。作家としてかなりがんばっているから、他のこともできると思ったら大間違いだとよく知っている。
でも意外に、この冷静さを持ったメンタリティの人が少ない。自慢ではなくって。そして、成功していると言われる人に会うと、世界のどの国でも例外なくそういうムダのない人であると思う。人を恨まずうらやまない人は、見つめ合っただけでお互いにわかる。ということは、人を恨んだりうらやむ人はそういう人同士しか知り合わない。この感覚なくしてモテも成功も決してありえない。
2008.01.03

末次夫妻、おおしまさん、石森さん、たけしくんが来てにぎやかだった。
チビはずっとゲームをやってエリザベートと語らっていた。途中どうしてもわからないことがあったので、ついにいっちゃんに電話した。
私「あけましておめでとう、ところで、たぬきちの店でバイトしてるんだけれど、チビが読まずに勝手にすすめてわからないところがあってさ、たぬきちがしきりに『あまりなやまずにさっさとかいてこい』みたいなことを言うんだけど、なにをするか覚えてる?」
いっちゃん(外に、たぶん友達といるのに、大声で)「たぬきちの店でバイトするのは最初だけですよ!たぶん掲示板にたぬきちの店の宣伝を書くんじゃないかなあ?役場のとなりに立ってる木の板みたいなの、わかります?」
ありがたかったけれど、いっちゃんは生まれも育ちも大都会なのに、どこの人だと思われただろう、気の毒だ…。
マルタン・マルジェラの店のバーゲンに駆け込み、バカほどセーターを買う。
2008.01.02

「運転手さんのお名前はこわそうなお名前ですね」とタクシーで言うチビの頭をびしっとたたいて黙らせながら実家へ。
チビはおとそをちょっと飲んで絵に描いたような酔っぱらいになりうふうふ笑っていておかしかった。帰宅して少し休んだら風邪がひいていったので、おつまみを持って結子の家に行き、TVを見ながら小さな新年会をする。
「なんか…最近みんな決めたことに厳密すぎるよね!」という話をするいいかげんな中年女性たちであった。いいかげんでいいのだ。
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