2008.06.09

安田隆さんが実家に遊びに来がてら、ちょっと父と姉と母の体をみてくれた。安田さんを見るだけで安心なので、両親の体の心配をするという重荷を、一瞬肩代わりしてもらったような幸せな気分だった。しかもチビの作った得体の知れないパンケーキまで食べてくれた…。ええ人や!
ほんのしばらくの訪問なのに、みんなの気持ちがずいぶん楽になるものなのだ。人の力はやはり大きい。石森さんが来て話すと父が活気づくのと同じように。ヒロチンコさんがロルフィングをしてくれると父の足もちょっとあたたかくなるように。
みんなでた〜くさんのカバブや煮物や春巻きを食べた。春巻きの中身はささみと梅としそとチーズであった。姉にはチビのお弁当まで作ってもらった。ありがたや!
私は締め切り明けでよれよれだったが、気持ちは幸せであった。
ヒロチンコさんが、ふたりだけの時代には決してありえなかったくらいに、チビや私のために運転をしてくれる。なんとか回していかなくては子供が育たないので当然なんだけれど、疲れていても妻子を運んでいる姿を見ると「すごいなあ、この人からこんな面が出てくるなんて」と感動する。私の早起き&お弁当も同じことだろうと思う。
ずっと文句言っていてもしかたない、やるか、と苦手なことをやるうちに、得意なことだけしているときの何倍もいつのまにか成長していることがある。苦労をしたほうがいいということではなくって、精神性をなまらせないためにはあまり好き嫌いで選ばず、動き続けること、ということだろう。でもなんでもやればいいというものでもないのだ。その本能的な判断こそが大切だ。
向いていない仕事をしている人の特徴は、その仕事の中にあるはずの楽しさの種類、快感、情熱を一切感じていないということだと思う。こういうことを書くと「私はどうでしょう?」というメールがいっぱいくるけど、質問している時点で「人に聞くより、自分をもっとよく見てあげて」ということだと思う。
体は、思ったよりずっとやってくれるものだ。お弁当なんていつのまにできていることが多いし、小説もいつのまに書けていることが多い。それは、スキルが高い(お弁当に関しては超低い…)だけではなく、鍛えたことにより、あまり考えなくてもできるようになっているからだ。職人さんもこういう感じだと思う。作ったものに欠陥がひそんでいれば、見ただけで、考えなくても、違和感があってわかるのではないだろうか。それでも傲慢になったり気を抜けば、あっというまに命に関わる失敗をする。それはお弁当も小説も全く同じだ。
それから私は人前に出る仕事とか写真撮影とか大嫌いだけれど、年に数回はさけられない。しかしいやいやそれを二十年続けていたら、だんだんできるようになってきたし「あとの解放感がいいな」「こんなことがないときちんとした服を新調しないし」などと自分なりの良さもわかってきた。しかし人前に出るプロであれば、そんなことではなく瞬間で人をつかむ力についてもっと考えているだろう。プロとアマは見所が違うのだ。
だめなことでも、ある程度はいける。でもだめなことだと、続けていても本人に喜びが少ない。そういうことだと思う。
こういうことを書くと「今、仕事に喜びがないけど、向いてないのでしょうか」と聞かれるけれど、たいていの場合は「たんなるなまけじゃない?一度はとことんやってみたらどうだろう」というアドバイスに落ち着く。とことんというのは、たとえば店だったらメニューと顧客の名前を全部丸暗記する、閉店二十分前にお客さんが来てしまったら、ラストオーダー終わりましたが、これとこれならお出しできますし、何時までは閉店しませんのでごゆっくり、と言えるくらいのレベルだ。厨房がぶうぶう言おうと、ひとりで片付けをして閉店しなくてはいけなくてもだ。そしてデートに遅刻してしまうことになったら、あやまって恋人に自腹で飯をおごるくらいの、気構えだ。
2008.06.08

小説がやっと完成。
長く、重く、暗い道のりだった。アルジェント監督に捧ぐファンタジーを書こうとしたものの、同じことをくどくどと何回も登場人物が確認しあう、なんちゃってファンタジーになりなかなか微妙なできであった。
でも出てくる子たちは好きだったので、書き終えてあげられてよかった。
「こんな目にあってこうでいられるわけがない」というような話なんだけれど、そして主人公は私ではないけれど、もしも私でも多分実際に彼女みたいになってしまうと思う。
お祝いだ、と思って、チビと陽子さんとヒロチンコさんとお姉さんとお兄さんの店に行き、ミモザを飲んだりサラダを食べたりする。チビはクスクスが大好きでよく食べるので、見ていて頼もしい。
少し前にタクシーに乗ったら「個人タクシーはいいよ、夜、官庁の前につけて、おしぼりとビールをさっと出せば、チケットで一万五千円とか切ってもらえるんだもの」という話を聞いて、「それっていろんな意味でありなのか?」と思ったけれど、あまりにも普通のことみたいに言うので、なによりも驚いた。それからすぐ明るみに出てよかったけど、こういうことっていっぱいひそんでいるんだろうな、腹が立つな。
2008.06.07

旅用に基礎化粧品を買いたそうと思って化粧品売り場に行くも、あの順番(乳液の前には必ずトナーが存在し、美容液のあとにはUV対策のクリームがあり、そのあとにやっとファンデーションを塗る、などという説明。商品のラインが違えばまたいちから始まる)を試しに聞くことすら耐えられず、帰ってしまった。なんでもいいから、もともと使ってる欲しいものだけさくっと買わせてくれないのだろうか。ほんと〜に変なことになっていて、まるで茶道のお手前のようだ!人の肌は毎日コンディションが違うと思うのは、ずぼらな私だけ?
今時、そんなにもきっちりとお化粧してる人っているのかな、多分かなり少なくなっていると思うな。
それでもいっちゃんと森田さんの日なので、安心して出かけ、旅行の買い物をばりばりとできたし、会見用の服を買いに行ったギャルソンでは森尻さんが私の好みを知っていて押し付けがましくなくさくっと服を選んでくれた。
いつまでもこの人たちがいてくれることはないってわかっているけれど、やっぱりうまく回っているものを見るのは気持ちがいい。優れた人たちがいろいろな判断をするのを見るのは気持ちがいい。その思い出が積み重なっていくのも嬉しい。人生はそれを構成する人材がほとんど全てだなと思う。
2008.06.06

そろそろ小説が詰めになっているので、寝食を忘れて打ち込んでいる。あっというまに五時間とかたっているし、ごはんも食べなくて平気。もそもそと片手で朝作ったチビのお弁当の残りを食べたりしている。
しかし夜は文庫の打ち上げ&打ち合わせで新潮社の人たちとヤマニシくんと会うので、いちおう着替えて向かっていく。途中りさっぴとイタリアの人たちへのおみやげなど買った。絶対にこのへんとわかっていたのに、お店が見つからず。
ヤマニシくんに「ついたよ!もしわからなかったらメールして」などとえらそうにメールをしたのにお返事は「つきました。お店にいます。あなたはいない…」という結果になってしまった。恥ずかしい!
神楽坂近くのスペイン料理はかなりおいしく(自分が食べさせたいものを人に食べさせているお店ってほんとうにいいと思う)、久しぶりの松家さんにも会えたので嬉しかった。
その後は芸者さんのやっているすてきなバーに行って、新潮社のそれぞれの個性が大爆発している人たちとしみじみと打ち合わせをしたり、話を聞いたりして、いろいろ考えた。みなに共通して目指しているものがだいたい同じだとわかったので、いい仕事になるだろうと確信。お店のトイレは外にあり、壁のあたりからはなぜか海の家の匂いがした。いろいろな意味でものすごく懐かしい匂いだった。それでますます、肉体的な記憶の全てがふっとたち昇ってくるようなものを書きたいと思った。
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