2008.06.17

レンタカーを借りるのに一苦労して、なんとか車がそろう。そんなむつかしいことを言ってないけど、通じない。でもナポリのフェスティバルのしきりに比べたら、もう天国みたいに楽。
はりきってビーチへ。
水が冷たいからきれいだっていうのはわかっているんだけれど、毎年衝撃的な冷たさである。でも今年は陽子さんがいるので、それだけで幸せ。チビが陽子さんと笑い合っていると、涙が出るくらい幸せ。
ちほちゃんが真っ黒い肌でにこにこきらきらしているのも幸せ。ちほちゃんが着替えるたびに新しいきれいさが出てきて「女子の華やかさって、この世にとってほんとうに重要なものだなあ」としみじみ思う。
夕方ははりきってリトルヴェニスに走り、食前酒を飲みながら夕陽を眺めた。
そしておなじみのニコスに行って、ばりばりとまた鯛など食べた。店のペリカンは寝ていたが、ヒロチンコさんが寄っていったらぱか〜んと口をあけて襲いかかって来たのでびっくりした。前にも伊豆でいきなりペリカンに襲われていたヒロチンコさん、なにかペリカン心の琴線に触れるものを持っているに違いない。
2008.06.14

ミラノにまた一泊、ホテルのおいしいレストランカツレツを食べまくり、ワインを飲みまくり、朝はミコノスへ出発。寒くて息が白かった。異常気象だそうだ。
寒い寒いと、持ってきたすべての長袖をむりやり重ね着して、靴下も引っぱりだしてきた。ちほちゃんとも合流して、飛行機に乗り、やっと暑い陽射しの元へ。
まず港でビールを飲んで魚と肉の盛り合わせのお昼を食べて、やっと体もあたたまり、すご〜く幸せだった。真っ青な空に白い建物、風がさわやかに吹いてくる。
ホテルロハーリの別館はとてもかわいくて、シンプルで、感じがよかった。ギリシャ人ってたいていが考えられないくらい働き者で感じがよいのだ。なんのために働くとかではなくて、人だから、人のために働いて当然だろう、おりゃあ!みたいな雰囲気なのだ。それってとても気持ちのよいことなんだなあと久しぶりに気づく。昔商店街でひたすらに働くおじさんやおばさんを見ていたときの気持ちだ。
ちほちゃんとちょっと散歩した。坂を降りて街に行くときの気持ちは格別だった。
それからプールサイドでみんなで夕陽を見て、カンパリなど飲み、少し休んで夜は街へ出かけてお魚を選んでたくさん食べた。なにを食べてもおいしい。
ただだらっといるだけで幸せなのはあまりにも景色がきれいだからだろうと思う。
特に夕方部屋で一休みしているときの光や風はほとんど幸福の象徴といってもいいくらいだ。
2008.06.13

旅立ち。長い長い飛行機を乗り継いで、ミラノに一泊。
ヴィラ・マルペンサという空港近くのホテルはサービス的にはどうでもいいホテルだし、空港ホテルなのにポーターと足回りがへなちょこというシュールなホテルなのだが、なぜかレストランだけむちゃくちゃにおいしいのだ。ワインもいっぱいある。それでいつもここに泊まってしまう。
朝起きてナポリへ。
ジョルジョが脚本を書いた「チエちゃんと私」の舞台を見るためだ。
ナポリはほんとうにごみだらけで、海もゴミがいっぱいで、悲しい感じがした。なにかが終わっていくところを見ているような。大気にも毒が含まれているらしく、外で風に吹かれるとかゆくなる。その中をいつも通りに暮らしたり、ゴミのわきで寝そべって体を焼いている人たち。近未来的な悲しみの光景だった。
しかし!負けずに「ブランディ」に行き、ピザを食べる。最高であった。これ以上のピザはこの世にないのではないかと毎回思う。日本でかなりのおいしさのピザを食べているのに、台の味の深みが一段違う。
エスプレッソに関しても、日本ではどんなにおいしくいれても、どうしてか違う飲み物なのだ。
多分、湿度との関係ではないかと思う。
お芝居は、すごくいいところとひどいところが入り交じっていたが、美術と脚本と役者さんたちは完璧だった。さすがイタリア、レベルが高い。楽屋で美人のかおりさんとチエちゃん、かっこいい篠田さんに囲まれて幸せだったなあ。
私の小説って、ある角度から読まないと、ほんとうにたわいない話に見えてしまうように、もはやわざと書いているし、主人公はうまく解釈しないとただの「気の強いけどかわいい女」(これは現実の作者もそう解釈されがち)。もうほとんど読める人にしか読めない暗号だなあ、私の小説って、という感想を抱いた。まあこういうジャンルもあってもいいでしょう。
また、これまでさまざまなフェスティバルに出ているが、今回の仕切りは、最低最悪であった。メールの返事がない、日程を知らせてこない、契約書はそろわない、脚本家であるジョルジョの席がない、私の飛行機のチケットがない、六人乗りの車を頼めば四人乗りが来る、飛行機の時間が勝手に変えられているが知らされない、それでもあやまらない、なのに泣き落としで記者会見や会食をセッティングしようとする、などなどイタリア人がてきと〜であるのにものすごく慣れている全員なのにかんかんのへとへとになった。
なので会食をパスして、卵城のふもとでおいしいボンゴレを食べて乾杯をした。
ジョルジョもたくじもとしちゃんも陽子さんもりさっぴもヒロチンコさんもチビもいて、よくぞチケットもろくになかったのにみんなでお芝居を見てここに集えた!と感慨深かった。
2008.06.12

タクシーの問題、かなり話題になっているけれど「ビールやおしぼりをもらった職員たちがチケットに高い金額を書いてくれる」話は出ていない。やっぱりな〜。こうやって少しづつ責任はすりかえられているに違いない…。あたかもタクシーの人たちが悪いみたいに。そして、受け取っただけが職員の罪かのように。どうしてタクシーの人たちがそんなことをするか、それは高額のチップ(税金で払われる)のために決まっているではないか。
荷造りのあいまにささっとフラに行ったら、なんとクムがいらしたので雨でも気持ちはキラキラに。クムの声って、音符が色になって見えるし、宝石みたいだ。
クムが歌っている「エイリアンズ」がすばらしい、もしかして本家本元のキリンジよりもすばらしいのではないかと思う。あの曲の持っている普遍的な切なさがクムの声で命を新たに吹き込まれたような感じがした。クムのクムはよくぞクムに「マヌメレ」という名前をつけたと思う。歌う小鳥という意味だけれど、歌こそが彼女の命だと思う。クムの歌声で踊りを踊ること、それこそが私にとってのフラである。それを体にしみこませることは魔術であると、あらためて感じた。
2008.06.10

友達って、いてくれるだけでいい、顔を見るだけでいい、なにもいらないんだ、と今日、陽に焼けて真っ黒いちほちゃんがにこにこして走ってきたとき、思った。ただ幸せになったのだ。
みんなで「スカイ・クロラ」を観た。
よくぞこれだけ原作の大事なポイントをみんなはずして、でも原作を消していないものが作れたなあと感動した。空中戦は最高によく描けていた。
それから、恋をしている最中の、あの、長続きしないけれど苦しくて命の全てがそこに向かっている感覚というのも、すばらしくよく描かれていた。原作にはそれはありそうでないニュアンスなのだ。
あのすばらしい小説への最高のごほうびのような映画だった。
夜は中島さんと打ち上げ。中島トークが炸裂して、私もちほちゃんも涙が出るまで笑った。チビも「中島さんは面白いね」としみじみ言いながら、テーブルの下に潜って、男ははぶき、女の足だけにキスをしていた。それをのぞき見た中島さんがただ「この下に、なんか、すごい世界がある、すごい」と言っていておかしかった。
中島さんって、なんであんなにキュートなんだろう。それにものすごくよくものをみているのに、上から目線には絶対ならない。ちほちゃんとヒロチンコさんも、中島さんを見てると胸がきゅんとなるね、と言ってしみじみしていた。あのデザインにあの人格…きっとまだまだ掘れば掘るほどいろいろなデザインが生まれてくると見た。今の彼はまだ序の口の部分なのかもしれない。底知れない!
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