こんにちは。
いつも楽しく日記を拝見しております。(もちろん小説も!)
ばななさんに集中について質問したくてメールしました。
私は、もともと何かするときに集中しすぎて時間を忘れたり、周りのことをすっかり忘れてしまうタイプなのですが、そのことで健康を損なったり、大事な人への気遣いを忘れてしまったり、職場で自分の仕事に集中しすぎて電話が鳴っているのに気付かないなど支障がでるということもあり、治すように努めてきました。
けれど、これが正しかったのかどうか、最近疑問に感じています。
確かに生活はスムーズになりましたが、なにか自分をはぐらかしているような、ある意味意識が散漫になったままのような感じがするからです。
いろんな人の本や発言などみても「自分を忘れるほど集中するのが良い」という意見と「どんな時も自分を忘れるべきではない」という意見の両方があります。
ばななさんはこの両者の意見についてどう思われますか?
この二つのバランスについてはいかがでしょうか?
毎日子育てと創作とお仕事にお忙しいばななさんは、作品の制作中はどちらの状態なのでしょうか?
お答えいただけると嬉しいです。
 
(あすか-2011.03.06)
私は、このタイプうらやましいです。
理解者は家族と親友数人だけでいい、とわりきって集中してみてはいかがでしょうか。
あと、仕事場でだけは少し気をつかうというのは社会人としてしかたないと思います。
一歩出たら、友達もいらない、自分でいる、というふうにわりきると、社会人時間もわりと耐えられるかも…
そして「ほんとうにごめん、今から2時間は電話に出られへん」みたいなことを言って、集中して成果を出せば、だんだんそれが通るようになる気がします。
(よしもとばなな-2012.01.13)
北よりの地方都市に暮らしているものです。生まれはさらに僻地のいなかの村です。

30才近くなり、自分の今後について考える日々なのですが(未婚。すきなものにかかわるしごとをしてはいますが、低収入の契約社員です)、ここ数年、大事にしたいもの、これからの人生に自分が求めていきたいものがはげしく揺れ動いていて、ままなりません。
具体的に言うと、芸術や文化のある暮らしと、いなかの、自分のルーツとなっている自然に寄りそった暮らしとのはざまでゆれゆれ……という感じなのですが、外国では(特にばななさんの好きなイタリアなどでは)、そういうものが両立して、共存してあるように思います。
日本でも、那須とか高知とか、ものづくりをする作家さんがすんで、文化的で自然もある地方・田舎もふえているとは思うのですが、わたしのいなかはまったくで、文化的にとざされ、地元の人たちも芸術や文化などを求める生活をしていません(よって、気の合うひともおらず、適齢期とばかり、地元に残る農業や家業を継いだ独身男性との見合い話ばかりすすめられます。それはなぜか自分にとってはとても息苦しい、あたまのもやもやすることです)。
日本ではむずかしいことなのかもしれないのですが、本当に地方の、とくに田舎の文化度や精神の成熟度の低さにはときどきまいってしまいます。けれども、自分はそれを見捨てていく、ということもできないでいるのです。

ばななさんは東京生まれ+在住ということで、あまり縁のうすい話かもしれませんが、日本と外国の田舎のちがいについてはどのように思われますか?
また、芸術や文化というものをまったく必要としない人々の住む田舎が、今後すこしでも文化的に、心ゆたかに変わっていくために(そうしたら流出している若い人たちももどってくるのではと思うのですが)、なにかお考えがあったらきかせてください。
 
(ao-2011.01.16)
この気持ち、ものすごくよくわかるのです。
私の思うにはですが、那須とか長野あたりに、あるいはもう少し近くの町で、志が同じ人がやっている店で働く、というのしかないのではないでしょうか。
あるいは自分がはじめるか…ただ、今の段階でこの悩みをもっておられるようなら、たぶん人のお手伝いをするのがいいのではないかと思います。
自分でやる人は耐えられずにもうなにかやっているので、ある程度雇用に耐えられる社会性があるのであれば、もっと低賃金でも、自然と文化の両立をはかれる毎日のほうに自分が動いていくことはできると思います。
私は東京でも特殊な地域に育ったので、文化やおしゃれがある世界にこがれてきましたが、今となってはもう戻れないものの、あの独特の文化(今はもう下町にも残っていません)が恋しいと思うようになりました。
ルーツを大事にしながら、自分の人生をひらいていくのはありだと思います。
(よしもとばなな-2012.01.13)
  2012年01月 ページ: 1 2 3