魔女の見つけたことあれこれ 1

魔女ですが、美魔女でないのがとても残念です…。
でも今話題のルネッサンスごはん(いりこと目が合うのだけが難点)をもりもり食べてエロたくましい中年になるのが目標!
たまに更新していきます。
やがてたまったら、山西くんに絵を描いてもらって出版するのが今の大きな夢です。
生きていると、いろんなちょっとしたことを見つけます。
それに興味のない人にはなんの役にもたたないことでも、ある人にとっては有益な情報かもしれません。
だから、とりあえず書いていこうという試みです。



村上春樹さんはいつも「どこからこんな変な小説見つけてきたの?」というような、変わっていて美しく、だれにもあんまり知られずにひっそりと埋もれているすばらしい小説を訳してくれるからほんとうにありがたいし、彼の翻訳小説の選びかたのセンスが大好きだ。
「恋しくて」というアンソロジーに入っている「恋と水素」という小説は久しぶりに私をただ理屈ぬきでノックアウトした小説だった。
切なくて、なにが言いたいんだかわけがわからなくて、設定もとっても変で、ちっとも共感できないのに最後はちょっと涙してしまう。そして奇妙にキラキラした後味だけが残る。
元ナチ党員のゲイカップルが飛行船に乗組員として乗っていて、空中の高くて危険なところでこっそり情事を重ねるという、ほんとうになんとも言えないし、私は高所恐怖症だから飛行船の上で暮らすなんてとにかくぞっとしてしまい、全く自らとかぶっていない設定なのに、なぜか共感してしまった。
村上さんの感想も全くもってその通りだとしか言いようがないすばらしさだった。
ううむ、いいなあ、これからの私の書き物の方向性はこれだ!とさえ思ったというのに、でもそれがいったいなになのかさえわからなかった。そのくらい変な小説だったのだ。まるで子どもがその感性のままに、生き死にとか残酷さとか整合性を超えて、心からの憧れを書いたみたいな感じだった。
その小説を書いたのはジム・シェパードという作家で、邦訳されているのはその小説の他には「14歳のX計画」という本だけだ。
なので、とりあえずそれを読んでみた。
これまで、いろいろな映画や小説やコラムでこの恐ろしいテーマは描かれてきた。
なにかが偏っている才能ある子供が、いじめとか家庭環境によって、銃を乱射するところまで追いつめられていくとてもつらいテーマだ。
しかし、この小説の中に描かれている感情は特別だった。この作者の特徴とも言える行き場のない切実さというテーマが、14歳の男の子の苦しさに重なってここでもまた炸裂していた。
私は主人公の家族のおどおどしている気持ちも、息子を愛して心配している気持ちも、それだから家族は全員とびきり優しくチャーミングに振る舞うんだけれど、息子の親友の切実さにわずかにその力が及ばないようすも、自分のことのように切なく思った。
また、妹を愛しながら少し憎むような主人公の気持ちもいたたまれないほど理解できる気がした。
ちょっとしたきっかけの連続で、救われるのか救われないのか、その境目がこの小説の中ではっきり見える。同じような年頃の息子がいるからだけではなく、14歳という年齢のやりきれなさ、毎日だらだらと続く行き場のない気持ちの苦しみが生々しくよみがえってきた。
訳者の小竹さんという方が「この先、エドウィンがなんとかこの絶望からはいあがって、自分がドジな負け犬で終わってしまったことをよかったと思える日が来るよう、祈らずにはいられない」と書いている。私も涙しながら心からそう思った。
そしてきっと作者もそう思っているに違いないと確信できる。
だから、この作品は胸を打つのだろう。
ほんとうに単に残酷な気持ちで、あるいはわかったような気持ちだけで書いていたら、切なくはならない。いちばん彼らを止めたかったのはきっと作者だったと思う。
こういう、うますぎるけどどうにもへんてこりんな作家があらゆる場所に存在していると思うだけで、なぜか自分も救われる気持ちがする。私もここにいていいんだ、変でもいいんだ、そんな気持ちになる。私はうますぎないからいいんだけれど、おかしなことばかり考えて切なく胸を痛めている人が、そしてそれを書かずにいられない人が他にもいるんだと思う。
こんなに胸が痛む小説を読んだのはバロウズの「おかま」以来かもしれないと思う。

「すまないと思うよ」とぼくは言う。だって、ほんとうにそう思ってるんだ。
「なんとかしなくちゃならないことだらけだ、みたいな気分なんでしょ」と母さん。
みたいな気分だって?とぼくは思う。腹を立てちゃいけない。
提案があるんだけど、と母さんは言う。感謝祭に家族でどこかに出かけたらどうかしら、どこかすてきなところへ。いちど、感謝祭をどこかよそでお祝いしましょう。
「いい考えだと思わない?」母さんは髪を頭の後ろになでつけると、両手でぎゅっとにぎる。そのままはなさない。
「いいね」と僕は答える。母さんは、どこへ行こうかとたずねる。
この場ですぐにと言われても、たいして思いつかない。
「あなたはどこへ行きたいの?どこへ行くにしろ、父さんをびっくりさせられたらいいわね」
母さんは、もうすでにこぼれてしまったものを運んでるような顔をしている。
「海だな」と僕は言う。「どっかあったかいとこ」どこからそんなことを思いついたのか、自分でもわからない。
「海ね」母さんは驚いたように言う。さっそくあれこれ考えているのがわかる。「いいわ、海ね」
いまだに、自分の口から飛び出してくるものに驚いてしまうことがある。でも、かまうもんか。感謝祭のころには、すべてが変わってしまっているんだ。

ジム・シェパード「14歳のX計画」(白水社)より引用






観てくださいと何回も勧められてとりあえず観て、その映画のよかったところを推薦することはたまにあるけれど、そしてどんな映画にもいいところがあるから、そんなに心が動かなくてもなんとか評論できるに決まっているんだけれど、この映画はとにかく特別に上等だった。これほどに観てよかったなあと思う映画はなかなかない。
あちこちが不自由な人が出てくるというから、そういう人たちがインドで生き生きと生きる映画なんだろうなと思っていたし、確かにそういう側面もあったけれど、あまりのすてきさでそんなことは軽く超えていたので、設定のすさまじさを忘れるほどだった。
夢みたいな物語なのに、どのように生きるからどんなことが起きるという意味ではとてもリアルな内容だった。
最近ほんとうに確信するようになった。リスクを考えずに天(としか言いようがない)との太いパイプでパワフルに生ききると、必ずそれはめぐりめぐってなにかで報われるということを。もしかしたら真実がむき出しにそこここで息づいているインドでは、日本にいるよりもこの話はリアルなのかもしれない。
そんなのは全部おとぎばなしだ…と言っている人は、きっと、必ずほんのちょっとだけ逃げ道を作ってからものごとにのぞんでいるんだと思う。体も心も100%でかけていったことがないんだと思う。
私もいつでも100%なわけじゃないから、それなりにモヤモヤしたことが残る。ああ、今日はあの場面でどうにもならず60%以下だったな、と毎日ちょっとだけ悔いることがある。
だから、この人たちの全力疾走がうらやましくなった。
出てくる人の顔も、風景も、夜も、恋も、キスも、星も、木々も、線路も、全てがあまりにも美しすぎてキラキラしすぎていて、ずっと胸がいっぱいだった。
いつか知っている時代のような、これから先の世界のような、映像だった。
だれかを好きになって、一日中家に帰らないで遊んで外にいる、ずっといっしょにいるだけ、ただなんとなくいっしょにいる。それって小学生のときが最後ではなかっただろうか?
エンディングロールまでずっと目が離せないし片手間では決して観ることができないのに、時間の流れはさすがインドだからとってもゆるく、でもだるいところがなかった。
だれもが美しく、だれもが必死でありのままに生きて、いろいろな選択をして、人生はそれだけでもういいじゃないか、そういう映画だった。
こういうことをどんどん思い出していきたい。




「50歳のお誕生月を、ボクシングジムの窓から下を見下ろしながら迎えるでしょう」と言われたら、小学生のときの私はげらげら笑って「それだけはない!だって『あしたのジョー』こわいし、だいたいなんで50歳?」と否定するだろう。
膝を痛めて今はフラが踊れないので、立ったままできる運動を考え、はじめはボクササイズをしようと思っていたんだけれど、あの運動がどうも好きになれず、あんまりにも性に合わなかったのがひとつ。
ひとりで行ってあまり会話もしないで帰ってこられるのが楽というのがひとつ。
トレーナーの教え方があまりにも習う人を見極めすぎていてそれぞれを教える方法から目が離せないというのもひとつ。
でも、いちばん大きな原因は「ボーイズ・オン・ザ・ラン」を一気に読んだからでしょう。バカですね〜…。
ハナちゃんはいつも男に勝てないんだけど、それでも最高にかっこよかった。
運動神経の悪い私は、しかも若くなくデブという大きなハンデを抱えているが、なんとか通い続けている。私のパンチングボールだけ音がおっとり。なわとびを6分間飛びきれないのも私だけ。せめてしまったデブを目指そう…。
なんで乳も尻もたれた50からあえてこんな激しい運動を?と思わなくもないけれど、楽しいからかまわない。行きにジムを見上げるとき「え〜ん、もう帰ってしまいたいよう」と思うけれど、ぐっとふんばってドアを開けるときの気持ちはきっと人生にとってとても大切な気持ち。
クーラーはないからみんな汗だく。たまに現役の選手とか元チャンピオンらしき人がやってきて、ものすごい練習を見せてくれるのも嬉しい。彼らがリングに一礼するのを見るときゅんとする。みんなきれいな筋肉、いいふくらはぎをしている。
大きな窓の外にはいつでも空が見える。
いつもよれよれになるが、ジムの扉をあけて外に出ると帰り道は、すごく幸せな気持ちになる。お昼を抜いているときに昭和っぽい珉亭に寄って、「神」半チャーハンとビールをひとりカウンターで飲み食いする私の気分は完全にジョー(へなちょこだけど)!
最近になってやっと気づいたことは、その日のバンデージを巻くときにきゅっと気合いが入ると、必ずミット打ちもうまくいくこと。消極的な気持ちでだらだら巻くと、あとからいくら巻き返そうとしても動きに反映してしまう。
こんなことって、体育会系の人は百年前に気づいていることなんだろうなあ。
いつか、角田光代さんとリングで闘うのが夢であります(うそです)!




クラシックには全く詳しくない私だが、たまたまご縁があってアファナシエフさんというロシア人のピアニストの方と知り合った。
彼のマネージメントをしている井上さんというとてもナイスなガイがそもそも私の読者で、なんとなくピンと来てくれたらしいのだが、なによりも私と組み合わせようと思ったのが、ほんとうにすごい勘だと思って感動してしまった。むしろ対談相手に大江健三郎さんとか浅田彰さんをぱっと思いつくような大御所なのですから。
最近は忙しくて対談相手の方の資料にちゃんと接することもできない私だが、たまたま今回はちょうどよく時間があったので、のんびりと聴いたり読んだりしてアファナシエフさんの世界と寄り添いながら二週間くらい過ごした。
そもそも初対面の人に会うのも対談も苦手な出不精な私なのに、彼の世界にはそれを超えるなにかがあった。文章は難解で、音楽は未知のクラシックだというのに、私はまるで時代をさかのぼってほんとうのロマンのある世界に住んでいるようなひとときを過ごすことができたのだった。
彼の背負っている黒く深く広い宇宙のような、曇り空の夕方の空のような、きれいな雨粒が降ってくるようすみたいなものだとか、あらゆるメランコリックで美しいものが、話している間中私の目の前にちらちら浮かんできて、ただものではないこともよくわかった。
コンサートに行ってみて驚いた。肘から下がまるでむちみたいにふにゃふにゃに動いて、しなやかに音楽を奏でる。その弾き方はこの世で彼ひとりだそうだ。
音がひとつひとつ情感を持って空間に放たれて、世界を清めていくのが見えた。
なんだこれ?と私は思った。
私が思っていたロマンチックとかメランコリックとかいう言葉は、全く本質に届いていなかった、と思った。当時のそれはものすごくダイナミックでパワフルで人が命をかけるようなものだったということが、彼の奏でる音の力によって、体で実感としてはっきりとわかった。
あの時代…めくるめく天才作曲家たちが数々生きていた時代には確かにこういう空気があり、こういう音が響いていたのだ。音に命があって、感情がある。それは決してベタベタしたりドロドロしているものではなくって、たっぷりと朝露に濡れた草の葉みたいに世界に向けて物語を発しているのだった。彼の演奏は当時のほんものの音楽の気配を完璧に蘇らせていると感じた。しかしそれがまったくきりたっていない、ふんわりとした、雨の夕方みたいな叙情に満ちているのです。
アンコールをしないでぺこっとおじぎしては帰っていく彼。楽屋では全くリラックスしていて、キラキラした目でにこにこしている彼。
いつも桜井会長が言っている、力まない体使いというものの極みを見た。力んではいけないんだ、なにごとも。ますますそう思い知った。
力まなければできないことは、できないことだし、しなくていいことなのだ、きっと。
となりの席の人が「うーん、やりたいことはわかるんだけどねえ、できるわけがないようなことだよな」と訳知り顔で言っていて、そうだろうなと思った。その人が真剣に受けてきた音楽教育、聴いてきたピアノ、クラシック界の決まり…そういうものとは全く違う、当時はロックスターみたいなものであったクラシックの作曲家たちと時を超えて比喩ではなくほんとうに向き合って、話を聞いて、奏でられている新しいなにかを聴いたら、あまりのわからなさについついそういう反応が出てしまうと思う。
私も、そういう反応とずっと、レベルは違うし、あくまでほんのりだけれど闘ってきた。
だから向こうは巨匠なんだけれど、やっぱり仲間だなと思った。
世界をロマンチックの刀で切り開いていって、人々の感情を呼び覚ます仲間。





私がどれほどアレハンドロ・ホドロフスキーから影響を受けているか、言葉にはつくせないほどだ。二十代からずっと人生の節目節目に彼の作品が現れ、私のほほをはりたおし、感動を与え、根底をくつがえし、また立ち上がらせ、新しい世界へと向かわせた。
だからまさか今世でご本人に会えるなんて思っていなかった。
「君はりんごのように健康そうなのに、なんで私の作品を必要とするんだ?」
と言われてとても嬉しかった。この言葉をあの世まで抱いていきたい…。
いきなりタロットカードを出して観てもらったことも不思議な体験だった。彼が言外に私に与えたアドバイスがビリビリ伝わってきた次の瞬間に、ずっと失っていた自信がみるみるうちに戻ってきた。
生き方のくせ、考え方、人と違う部分、そういうものをちょいちょい注意されたり、ちらっといやな顔をされたり、こうあってほしいと望まれたりして、長い間かけてちょっとずつ失っていった自信だった。
でも、絶対に、絶対に手放してはいけないものだったのだ。
よくぞ戻ってきたと思う。よくまだそこにあってくれた。
そのあとの座禅の会でも彼が語っていたけれど、お金が神になった現代では、お金を稼ぐ方向性に行かないものは全てやんわりと排除されるか、無視される。いろんなことがそこそこ器用にできるから、なんとなく流してしまったことで、すっかり自信を失った部分だった。でも、50だからまだ間に合うと思う。
「お金を稼ぐのはものを持つためではない。お金は魂をよりよくするためだけ、必要なだけ稼げばよい。あとは必要なところにあげてしまえばいい。そう思えば恐れは減る。私が持っていて目の前のあなたが持っていなければ、私も持っていないのと同じ。食べ物を持っていて、目の前の飢えた人に分けなければ自分も食べていないのと同じだ。常に愛で結びつくことを探すべきだ。人生の目標は人生そのものの目標と同じであるべきだ。全ての人が殻にこもれば、それは地球を破壊するのと同じだ」
私はやっぱりおとなしく小説を書いて小説好きだけに読まれるよりも、なにかしらざらっとしたストリート感を失わず、町にまぎれた一人として、どこかでこぼこしていたいと切に思った。
「いいんだ、ものを作る人は理解されなくて。あとから理解はついてくるから」
「そして君はお父さんがしたくてもできなかったことを達成するだろう」
そんなふうにだれかに言うのは簡単なことかもしれないが、80過ぎてから全身で、今目の前のこの瞬間に、たったひとりの迷える人に言うことはなかなかできることではない。彼の書くもの、生き方、考え方の全てが私にとっては癒しだったし、目覚めだった。これからもそうだろうと思う。
ほんとうにベストのタイミングで会えたことを、神に感謝する。
この体験を抱いて、抱いたままにするのではなく、ただひたすらにこつこつと小説を書いて、必要な人たちに惜しみなく返していきたい。彼のような言葉を発する人になりたい。

  2014年7月 ページ: 1