人生のこつあれこれ 2013年11月
今月のいちばんすごかったことは、ダライラマ法王といっしょに舞台に上がったことだろうと思う。
以前国技館でスピーチをしたときは、スピーチ後に少しお目にかかってカタをお受けしただけだった。しかし今回は先方が私を認識している状態で対話をするのだから、すごく緊張した。
でも、一生に一度のありがたいことだった。
あの生き方からもらったものを、体をはって下の世代に伝えていきたいと思う。
意外だけれど、法王から感じたのは偉大な僧侶、宗教家の迫力と同時に「親分、会長」という種類の何かだった。
確かにチベットの人々を取りまとめて大きく守っているのだから納得がいく。
私はこれまでにいろ〜んな人に会った。国王みたいな人、様々な種類の大富豪、貴族、作家たち、ほんもののお姫様、大会社の社長、超インテリ、やくざの親分、兄貴や麻雀の鬼(笑)、なんでもいいけど、とにかくすごいと言われる人たち(研究職の人だけは、ノーベル賞的な人にも何人も会ったけれど、少しだけ種類が違う。その人たちは基本的に人間関係をわずらわしく思い決して広めようとしないけれど、研究の世界に深く潜っていくことで、もっと広い場所を知っているのだからむりもない。私は彼らを尊重したいなといつも思う。地上の雑務をなるべく離れて静かでいさせてあげたいし、もっと潜ってほしい。それが人類の存続にとって大きな鍵になるように思う。そして、明らかに森博嗣先生もこの種類に属してると思う…)。
例外なく、大勢を取りまとめながら社会に関わっている人は、みんな同じ大きな温かいオーラを持っている。みんなサイキックだし、バランスの取り方が絶妙で、決して慣れ合ったりしないし人情では動かない。それからどんなときでも自分の直感と判断を信じている。
彼らを見ると、自分はまだ未熟だがこれからあんなふうになっていきたいという道が急に光に照らされるような気がする。
若い人にとって私もそうでありたい。
法王の手はとても柔らかくて温かかった。
私もああいう手でありたい。
対談の前日の夜京都入りして、おおきに屋さんでおいしいお酒を飲んで、望月さんの作るすばらしいごはんを食べて、京都のまゆみちゃんにいろいろな紅葉スポットを回ってもらいながら、夜遅くホテルについた。
朝起きて、宝ケ池を歩いて一周した。
それはそれは美しい朝だった。紅葉が池をふちどり、木々が池に映っていた。あんな美しい池をふところに抱いている京都の底知れない深みをまた知った。
子どもの頃、姉が白川通りのそばに下宿していたからしょっちゅう宝ケ池でボートに乗った。そんな楽しい思い出もよみがえってきた。あの日と全く変わらない池の様子が不思議だった。京都ではいろんなものが空気ごと保存されているみたいだ。
姉の自転車の後ろに乗って京都中を走り回ったこと。帰りは父が必ず東京駅の改札まで迎えに来てくれたこと。
この同じ空のすぐそばにダライラマ法王がおられるんだなあと思いながら、気合いを入れつつ朝陽の中池のほとりを家族で歩いたことが、なぜかいちばん心に残っている。
ホテルで朝食を食べていたら、チベットの僧侶がぞろぞろ降りてきて、めっちゃマフィンを食べていた。
ああ、お坊さんがいるとそれだけで、尊敬できるような、包まれているような、ありがたい感じがする。こんな気持ちを日本のお坊さんにはめったに持てない。悲しいことだ。
「う〜ん、これは…このホテルにダライラマさまがいるのね!」
と思って、あとで精華大の担当の人に聞いてみたら、
「そうです、しかしトップシークレットですよ!」
と言われたが、あれじゃあバレバレじゃん(笑)!
そういうのどかなところが大好き、チベットの人たち。
自分で言うとどんどん価値が下がってくるのはわかっているんだけれど、区切りだからちゃんと言っておきたい。
「花のベッドでひるねして」という作品は、自分が五十年かけてたどりついたひとつの果て、最高傑作だと思う。
父の死の直後にイギリスに行ったとき、風がびゅうびゅう吹くチャリスの丘で、神と対話した…と私は思っている。
あの場所にいた存在は、私にはっきりと話しかけてきた…気がする。
内容もはっきり覚えている。
その異様な体験を胸に抱いたまま帰国してから、ぼんやりと、なにも力まずに自分を慰める作品を書いた。
もしも私のお父さんがあんなおじいさんだったら、もっと長く生きたのに、そう思って書いた。
そうしたら奇妙に残酷できらきらした作品になった。
長い間、誤解され非難され続けた私を慰める内容にもなっていた。
私は怒っては、全てのことと男らしくちゃんと闘い続けていたけれど、心の中ではもちろん静かに悲しんでいた。
その悲しみだけが、私だけの宝物だった。
私の中のいちばんきれいで無邪気なもの、いちばんいい部分をごまかさずに書いた。
もうお父さんは読んでくれなかったけれど、この世でいちばん尊敬している人たち、桜井章一会長と森博嗣先生が、この作品をすごくほめてくれた。
だから、もうほんとうはなにもいらない。
私は長い時間をかけて私に戻ってきて、輪は閉じられた。
このまま、引退してしまいたい。
でも、まだ少しだけ、弱っている日本のみなさんのために、力を与えたり、慰めたりできることがあるかもしれないから、少しずつ、前に進んで行こうと思う。次のポイントを目指して。
というのも、森博嗣先生の「赤目姫の潮解」を読み返していたら、私のいちばん好きなテントのシーンの文章の美しさ、悲しさ、完璧さにやっぱり鳥肌がたったからだ。
もうこんなのがあったら、書かなくてもいい、読むだけでいいって、実はたまに思う。
村上春樹先生の作品に出会っても、たいていそう思う。
他の方たちでも、自分が好きなタイプの作品に出会うと、いつもそう思ってしまう。
羽海野チカさんの真摯で知的な姿を見てもそう感じる。この人が描いていたら、私はもういいなって。そんなすごいチカさんおすすめの花沢健吾先生のマンガも全部すごくって、絵がすばらしく映画みたいで、内容もど迫力で、日本人ってやるな!と思った。
そんなみんなといっしょに私もまだまだ、のんびりでもいいから書いていきたい、そう思った。
今月もいろんなことがあった。
やっと大神神社に行けてお祓いも受けてすかっとしたし、稲熊さんちのおいしい魚や野菜をたくさんいただいた。
それから地元が足寄の千鶴さんのものすごく親切な案内で、はじめて十勝に行った。
とにかくいいところだった。空が広くて、土が真っ黒で、温泉は広くほかほかで、なにを食べてもおいしくって。
そのあとは京都に行き、ダライラマ法王にお目にかかり、久しぶりの人たちや近所の友だちが一同に会して笑顔でいるところを夢みたいに見ていた。
だいたい法王の周りの僧侶の方々も私にとってはいつも映像や写真で見る憧れの方たちで、私にとっては嵐の人たちをいっぺんに見たみたいなもの(笑)!
死ぬときってこういう感じかしら、高僧もいらして、風景がきれいで、友だちがみんな集まってくれて…なんて夢見ながら、取り急ぎ打ち上げは蛸虎にたこ焼きを食べに行った。めっさ緊張していたので、そしてSPたちの迫力にドキドキしていたので、人生最高のビールだったかも!
気のいいまゆみちゃんが、毎夜なんの力みも恩着せがましさもなくさらっと食事どころの席をとっておいてくれたから、気持ちよく待ったり飲んだりできたのも幸せだった。
まゆみちゃんはいつもそうだ。
私だったらいらいらしたり、どきどきしたり、あの人はこうだとか、この人がこうしてくれたら時間が節約できるのに、とか思ってしまうところを、なにも考えずにフィジカルに、そしてアーティスティックに行動する。己にぶれがない。
「ほんとうは明日登山なのに、唯一の登山靴がぱかっと割れたから、近くで登山靴買おうと思って靴屋にいたんだけど、まほちゃんからたこ焼き行かない?ってメールが来たら、靴どころの気分じゃなくなって、タクシーにぶつかりながら止めて蛸虎に走った」
って、靴なくて登山大丈夫だったのか(笑)?
そんなまゆみちゃんは、いつ見ても輪郭がくっきりとしていて、声がすっきりしている。ほんとうに尊敬してる。
それから月末にはソウルに行って、スンギくんのライブを見た。
いろんな人が優しく声をかけてくれる中、和やかで活気があって、スンギくんは大人っぽくなっていて、とてもいいライブだった。
私は全部の曲の中で「最後のそのひとこと」という曲がいちばん好き。
スンギくんが作った、歌詞も曲もいいし、ドラマ「九家の書」の切ない内容にもとても合っていると思うからだ。ちょっと冗長だったけど、あのドラマには私の好きなテーマがみんな入っていたから、特別大切に思っている。
うちのハンサムな黒犬コーちゃんにたまに「ガンチや〜」と呼びかけてみるけど、いっこうに人になる気配なし!
で、そのすばらしい曲を最後に歌ってくれたので、涙を流して喜んだ。もう言うことなし!
寒い寒いソウルの街を歩いて、カンジャンケジャンを食べたり、出版社の人たちと味噌グクスを食べたり、ちょっとだけロッテ遊園地に行ったり、韓国にいるだけで幸せ!
そしてうちの子どもったら、スンギくんのママにおこづかいをもらっていた…。
ちょっとだけご挨拶させていただいたスンギくんのご両親は、ほんとうに品のよい人たちで、地味な服装なのに全てがきちんと整っていて、ふたりとも内側からきらきら美しくて、静かで、声がきれいで、ああ、こんなすごい人たちから彼が生まれたんだと思うと感動してしまった。
そして、プロカンジャンケジャンのたこ刺しはなんとまだ生きていて、みんな動きながらどんどんお皿から出ていってしまうので、恐ろしかった!すごくおいしかったけど、とにかく恐ろしかった!
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