人生のこつあれこれ 2013年10月

今月は人生ではじめてのことが多すぎたから、なんだか知恵熱が出そうだ。
全てに突撃して、泣いたり笑ったりしながら駆け抜けた。
七尾旅人さんといっしょに舞台に立ってちょっとだけ歌ったりしたし、スンギくんのライブで挨拶して舞台の上でハグしたり(みんなごめんなさい、でも気分は甥っ子みたいなものだから)、大きな才能を隠し持つ凄みのあるのりピーとごはん食べたり、iTunesの社長さんと激飲みしたり、ヨーロッパで撮影中の菊地凛子ちゃんと毎日やりとりしてセリフをつめた(その映画の脚本を手伝いました)り、バッファロー吾郎さんとスナックでばったり会って歌を聴いたりして、まるっきり芸能人みたいな日々…。
そして考えられないくらい忙しい。
なのに、新しい家ではなにもかもがいい具合にひっそりしている。ちっとも興奮したり空回りしないので、なぜか疲れない、少ない睡眠と食でどんどん回転できる。
子どもが十歳になったので自由生活を解禁にしたから、思いきり単独で外出している。新しい時代が始まった。
前の家のなにがどうだったから私はああだったのか(具体的に書けずごめんなさい)、今になって秘密がとけるようにわかってきた。
で、具体的には書けないけれど、はっきりとアドバイスできることがある。
どうしても人生を変えたかったら、問答無用でまずいきなり住むところを変え、服装と髪型を変えよう。それで必ず何かが変わる。
本田健さんのオフィスで偶然に出会い、SONYにいた頃CHEMISTRYや絢香さんをプロデュースしていて、今はアウトドアのお仕事をしているよっすん、四角大輔さんと友だちになった。これまで知らない人だったとは決して思えないほどの、ものすごい意気投合ぶりだった。
彼がニュージーランドに移住するまでのすばらしい話を聞いていたら、どんどん力がわいてきた。
「理由はいらない、これだと思った方向に思い切って変えてしまったら、答え合わせはあとからついてくる」とよっすんはまっすぐに言った。私もそう思う。






きっと聞きたい人も多いと思うから、スンギくんのことを少し書きます。
今回、芸能界のお仕事を本気でするにあたって、はじめはたくさんの不安があった。
しかし、ほんと〜うにたいへんだったけれど、ほんとうにやってよかったと思った。
なにぶん私はのんびりした出版界でのほほんと暮らしている。契約ってなんですか?お金?そんな言葉口にするのは下品なことかしら?そうですよね、ではおいおい考えましょう…くらいゆるい世界だ。
取りにいくことがない世界なのだ。
オレ(笑)は正直、それに退屈していた。
アミューズの強者たちが企画を持ってドドドといらしたときには「これは、どうなんだろう?」と思った。私の常識でははかれない違いがたくさんありそうだったからだ。私にももちろんエージェントがいて、そもそも私があることで多少もめていたマガジンハウスもからんだのでいろいろ難航した。
しかし昔からいつもしっかりそこにいてくださるあの有名なかっこいい編集者、林真理子さんのエッセイで有名な、超優秀な鉄尾さんが出てきたあたりから、全てが急に現実に向かって流れ出した。
これは、私と鉄尾さんが昔連載時に作った信頼関係がものを言ったんだと思う。
誠実に仕事をしてきてよかった。
さらにスンギくんの所属しているフックエンターテインメントの人たちも、はじめはけげんな気持ちだったと思うが、体当たりでぶつかっていったらすぐわかってくださり、どんどん近しくなった。代表のクォンさんには、もはや惚れたといっても過言ではない。かっこよすぎる。
とにかくみんなが「イ・スンギ」というプロジェクトに向かって心をこめて同じ方向を向いていることで、ほんとうになにかすばらしいものが生まれた気がする。
はじめは「こんなゆるい詰めでほんとうに大丈夫?」と思っていたのに、芸能事務所の人たちは最後の最後でものすごい集中力を出して現場を完成させ、それに関してプロだった。共に考え続けたアミューズの市毛さんの常にはりつめているキレとセンスの良さ、奈美ちゃんの決して言い訳せずまっすぐ歩む態度…すごく勉強になった。
アミューズの人たちとフックの人たちを、大好きになった。なんと激しく仕事に賭けていくのだろう、そしてゆるむときはなんてみんなかわいらしくゆるむんだろう。
いろんな人が関わる現場というもののよさを改めて知ったし、それだけ大勢の人の思いを背負って舞台に立つというのがどういうことなのか、わずかながら理解できた気がした。
いつも観客の前で笑顔のスンギくんが、にこりともしないで必死でリハをする姿を見て、ちょっと涙が出てきた。
スンギくんはたったひとりでみんなの期待に応えるだけの才能があるので、常にその全員のパワーを受け責任持って生き生きと輝いていた。
あんなすごい才能に出会えて、同じ時代にみんなで応援できて、ほんとうに嬉しいとしか言いようがない。みんなでスンギくんに関わりながら年を取っていくのは幸せなことだ。
私の原作で彼が映画に出る、という大きな夢の第一歩を踏み出したと思う。
実際、私の文章を朗読しながらいつもより少し繊細な感じの演技をする彼を見ていたら、それはもはや映画みたいなもので、すでに叶っている気さえした。
スンギくんが私の「九家の書」OSTについてきたガンチの数珠(取ると獣になってしまう設定です)を見て「ああっ、それは取らないでください!」と言ったこととか、
「どうしたんですか?今日はきれいですね」(なんだか『は』が気に入らないんだけど)と言ったこととか、
ハワイに行ってハナウマベイで説明のビデオを見てまで海に入ったけど水がにごってて魚が見えなかった話とか、
「最後のそのひとこと」という歌はいろいろよくばりすぎて作ってしまったから少し後悔してるとか、
「韓国ではたくさん泣くといい演技と思われてしまうけど、そこ以外を見てほしい」とか、
私のイ・スンギチャラチャラストラップ(たくさん写真がついています)を見て、ご本人が「あ、これがいちばん古い写真。あとはちょっと…わからないけど、とにかくこれがいちばん前」と言ってくれたり、
「えーと、好きなタイプの女性は…とにかく顔がきれいなら!」と身も蓋もなかったり、
数日の間には、そんなちょっとしたいい話がいっぱいあった。
でもそういう普段のスンギくんと舞台の上、演技の中のスンギくんはやっぱり違う。
舞台に出たりカメラが回ると、スンギくんはしゃき〜んとして、いきなりなにかが天から降りてくるのだ。
それが才能というものなんだ、と思った。
ちょうどちほがハワイから来日していたので、もと現場(ちほはよっすんと同じくSONYで映像ディレクターとかプロデューサーをしていたから、とにかく現場に慣れている)のよしみで、チマチョゴリに着替えるのを手伝ってもらったり、いっしょに舞台袖で待ってもらったりした。
今は写真家としていっしょに本を作ってるちほだけれど、ちほが音楽の現場にいるところを見たことがないから、楽屋口にすっと立っているあくまで裏方の顔をしたちほを見ていたら、胸がいっぱいになった。
今となっては、ちほちゃんとぎゅっと手をつないで、出番前にドキドキしながらスンギくんを舞台の袖から見ていた、あの不思議な特別な瞬間がなによりも嬉しく切ない。
ちほちゃんの小さくてあったかい手を覚えてる。
見上げたスンギくんの透明な瞳を覚えてる。
一生に一度の体験だと思う。
飛び込んでみたら、芸能界は大きなお金が動く分、いろんなことがはっきりしていてとても気持ちがよい。
私はこれからどこに行くんだろう、きっとまた新しい世界に武者修行に出るんだろう。
スンギくんに関して、私は幸せな一ファンを超えてしまったかもしれない。もっと直接的に役に立つ人間になって、これからも力になっていく立場になってしまった。
しかし、気持ちはいつもファンの人たちに寄り添っている。悲しい夜、面白くないことがあった日、スンギくんの動向や歌やドラマに一喜一憂して、友だちとそのことをおしゃべりして、スンギくんに力をもらって、それぞれの日常を歩んでいる、そんな人たちと私はなにも違わない。その人たちの気持ちを常に必ず背負って、彼らの前に立とうと思う。






自分はそもそもいったいどういう人間で、どういう見た目になって、なにがしたかったのか?
その夢の基礎を作るのはもちろん子ども時代だ。その人が持って生まれた魂に、子ども時代だけが色と形をつける。
私は七十年代に育ち、すばらしいヒッピー&エコロジカルカルチャーにたくさん触れた。
それからオカルト的なものにも深く影響された。
人類が宇宙にも未来にもいちばん夢を見た時代の子どもだ。
そんな全てをいったい、どうして忘れてしまっていたのかわからないが、恐ろしい過程を経て急な引っ越しをしたら、なぜかいきなり自分のところに自分が戻ってきた。
親を失ったのも大きいかもしれない。もう現実的にだれかの子どもでいなくていいというのも。そして親を失ったショックから1年で少し立ち直ったのだろう。姉にも同じことが起こっているので、よくわかる。私たちはいきなりなぜか子どもの頃の私たちになった。よりパワーアップしているが、あのときと同じ瞳でお互いを見るようになった。
そして、自分に自分が戻ってきたら、信じられないほどのパワーがわいてきた。
今までいったいなにをしていたのだ?なんで自分のパワーを薄めてきたのだ?と驚くばかりで、まさに目が覚めた感じだ。
私はもう五十になるところだから、がつがつ仕事をしたりキャリアを延ばすことは片手間でいい。手は抜かないしクオリティも落とさないが、多作でなくてもいいし、これまでの経験で他業種(スンギくんや凛子ちゃんのような)の人を助ける仕事もしていくだろう。人前に出る仕事もがんがんやっていくだろう。お金ももちろん稼ぐだろう。
若い人を助けたいし、なによりもとにかく若い作家を増やしたいし、このよくない時代の日本を精神面で少しずつ変えていきたい。会長や兄貴という同じ志の仲間もいる。
その途中でなにかがあって死ぬかもしれない。
しかし、自分でないよりはなんでもましなのだ。
四十年間も自分を見失っていたのはもったいないが、その間積んだ経験がものを言うわけだし、とにかく間に合ってよかったと思う。
とは言っても、私はしっかり系や派手系では全然ないから、いつもなにかをじっと見て、自分なりの感想を頭の中でごそごそと小さくまとめているだけだ。
内気で、のんびりしていて、自分なりのことができたらいつだって幸せなのだ。
あらいあきさんよりも私はずっとはっきりしていて外交的に見えると思うけど、最近「チュウチュウカナッコ」と「ヒネヤ2の8」を読んだら、信じられないくらいはまってしまって、泣いたり笑ったり大騒ぎ。
カナエカナコはまさに私だ、と思ったし、ほんとうに優れたまんがだから、きっとそう思う人がいっぱいいるんだろうな。
あの中で暮らしたい…!
とにかく、おいおい小説ではっきり書いていくが、私は近年やっと人生の秘密とその回答にアクセスしたと確信している。
ズバッと確信を持って迷わずにこういうのを他の人にシェアすることこそが、私の仕事の意味だと思う。
みんなが自分に戻れるように。この大きな力を味わうために。





元ananやGINZAの編集長を務められた淀川美代子さんという女性がいる。今はMAISHAというインテリアの雑誌を手がけておられます。
とにかくセンスがいい人で、その気品のある佇まいに二十年前に一目惚れして以来、ずっと尊敬している。
私にない上品な女っぽさとはっきりした物言い、礼節と美学がある人だ。
私はいつも薄汚れてずるずるした服を着ているので、ばったり出会うと淀川さんはまず私の頭から足までをさっとチェックして、
「これはひどい…でもまあ、しかたないかもしれないわね、才能があってその上でこういう人なんだから、それを尊重しなくっちゃ、がまんがまん」
という表情になる。
これまでに数回しか同席したことがないが、まあ、いつもそういう感じだった。
私はさすがに自分のだらしなさを反省して、二ヶ月くらいはきちんとしているんだけれど、やはりもともとがだらしないがゆえに、すぐ戻ってしまうのである。
今回出会ったときも、衣装を持っていたから着替える前の服はど〜でもいいやと思って、柄オン柄の安い服にスニーカーであった…。
もうほとんどユーミンの「DESTINY」の世界である。
そしてまた反省して、今はちょっときちんとしているんだけど、夏にはきっとまたずるずるになっているような気が…。
これからの人生は、
「美代子はどこにひそんでいるかわからぬ。いつ美代子に会ってもよい自分でいよう」
をモットーに生きていこうと思います!

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