人生のこつあれこれ 2013年8月

炎天下に台車で荷物を運びすぎて、さらにクーラーのない部屋で体を動かしすぎて、ただのデブからがたいのいいデブになってしまった…。
膝を痛めたり、上からものが落ちてきて足の甲を直撃したり、大騒ぎ。
秋は少しダイエットしようと思っていたけれど、さっき都築響一さんのスナックで対談していたら「スナックの取材を毎日していたら20キロリバウンドしちゃった」とおっしゃっていた。
あんなに痩せて、痩せる旅の本まで書いてらしたのに…。
でも都築さんの人生は代わりのない大事な記録に満ちた人生だから、健康さえ大丈夫なら太っていても全然オッケー!
「やっぱりダイエットとリバウンドはセットなんだな」としみじみ思った。統計上もそうなんだろうけれど、ちょっと長いスパンでみたら、ダイエットしてリバウンドしない人は一割くらいだそう。
すごくわかる気がする。
なにかを抑えると、きっとそれは潜在意識下にひそんでいてやがて戻ってくるに違いない。
まだほんとうには結論が出ていないけれど、もしかして呼吸法もそうなんじゃないかな…とふんでいる。
意識してすることはなんでもなにかしらの圧力を自分に課していることになるから、それがなにかの形であとから出てくるのだろう。
武道の人たちは意識してやる分、別の服に着替えたり、道場があったりしているから、潜在意識にいいふうにしみこむのではないだろうか。むしろ「道場で、この服でいる間は自分は研ぎすまされているからこうである」がだんだんいいふうに日常に影響してくる、そのほうが近道かも。全ての運動に基礎が大切なのも、だからだと思います。
日常の中でほんのり意識して、やってみて、あとは忘れる…みたいな加減ってもはや達人の極意だから、いちばんむつかしい。
いちばんすごい人は、普通に暮らしているのに、すごいタイミングでさっと動いたり、いろんな人を救ういいことを言ったり、呼吸が浅ければ深呼吸してそこであっさり終わったり、肉食べ過ぎたなと野菜食べたり、自然に調整しているそんな人だと思う。なににもひっかからない風みたいな人。たまにいるので、えらく感心する。

「東京スナック飲みある記 ママさんボトル入ります!/都築響一」
「スナックちどり/よしもとばなな」
 
 
 
あまりにも大規模な引っ越しをしたので、ゴミのすごさや人の出入りの多さに、清掃局や警察から「何が起きたのか」と電話がかかってくるくらい。
近所のコンビニのおばさんに会うたびによほどへとへとなのが伝わるのか「あなた、引っ越しがんばりすぎよ!一年かけてやればいいのよ」と優しい目で言われるほど。
仕事に出るのでちゃんとしたかっこうをしていたら、向かいの家のおじさんに「おっ、今日はすてきじゃないですか。なにせ引っ越しのすごい姿しか見たことないから」と言われるほど。
でもしかたない。大きなところから小さなところに引っ越して、さらにはもうひとつの家のものも全部運び込んで、契約とか全部いっぺんで、いろんな方面からじゃんじゃん電話がかかってきて、何日の何時になにをしますって言われても、もうぐちゃぐちゃ。
どうやって毎日が終わっていっているのか不思議なくらいだ。
しかも引っ越し自体はまだ全然終わっていない。忙しくて整理整頓をおろそかにしていたツケがみ〜んな回ってきて、Macはあっても充電器がどうしても見つからなかったり。
いっちゃんやカメラマンの永野雅子さんに何回も手伝ってもらって、男の人たちには洗濯機まで運び入れてもらい、まだまだ引っ越しは続いている。
友だちにも仕事先にも不義理大爆発。
でも、このくらいでいいのかも…!今までなんでもやりすぎていたかも、と反省までしちゃって、まめさを減らして心をこめる方針に変えてみたり。
ここまでなにかに集中したのは久しぶりだし、もともと悪い腰をもっと悪くしないように必死だから、荷物を動かすときの体の微妙な使い方を日々学んだり、こまめに鍼に行ったり、ここぺりでマッサージを受けたりして、なんとか食い止めている。やればできるんだ!と思った。
荷物さえみんな入ってしまえば、あとはゆるくていいので秋はじわじわやろうと思う。
今度こそコンビニのおばさんになにも言われないような人相にしよう…。
ものは買う方が捨てるよりもずっと簡単に決まっている。
捨てるときは気持ちもそのものに乗っているからだ。
買ったときの新しい浮かれた気持ちは、長い目で見れば捨てるときの悲しみと必ずセットになっている。
子犬が来た日の朝と、老犬を見送る朝。
小さい頃の元気な両親と、亡くなるときの薄くなった両親。
それを見ている自分の気分は正反対でもエネルギーの量はきっと同じなんだ。だから人は新しい恋とか、赤ちゃんが産まれたとか、明るいはじまりの光にひきつけられる。
でも終わるときのうらぶれた気持ち、淋しさ、重さ、暗さ、それもまた人生の深い味なんだなあと思う。
長い間暮らした家は荷物がなくなるとまるで狸の宴会や牡丹灯籠みたい。がらんとして、壁も床もボロボロで、古くて、ほんとうにここで私は楽しく暮らしていたの?と思う。
あの自分はみんな幻だったの?と思う。
ものがあって、人がいて、生活があって、初めて家は呼吸して生きはじめる。
ここ数年、知らない家の床を拭いている夢を何回も見るようになった。断片的に、あれ?おかしいな、この床違う色だ、と思う夢だ。それが現実になっていちばんびっくりしているのは私だ。
前の家のリビングが木に囲まれているのが好きだった。窓の外が全部葉っぱで、光に満ちているのを眺めるのが毎日の幸せだった。
まだまだ淋しいけれど、新たな場所にゆっくり慣れていこうと思う。
それにしても雅子さんの体の使い方のすばらしさにはほれぼれした。さすがいつも重いものを持って歩くカメラマン。淡々として、気合いを入れることもなく、静かに目の前のものをさばいていく感じ。あとにはきっちりした成果が残っているが、いばらない。
自分のへなちょこさにびっくりしたし、ああやって静かに淡々とやることをする人を神様は絶対見てる、と思った。

「This is a time of... S.M.L. yoshitomo nara + “graf ”/永野雅子・奈良美智」
 
 
 
引っ越しのさなかに、前から決まっていたシャスタ旅行に行った。
前はよく知らない人たちと(それはそれで新鮮でにぎやかで楽しかったけど)いっしょだったのだが、今回は大野夫妻といっしょで案内とドライバーはきよみんという最高のチームだったから、心から毎日をリラックスして楽しむことができた。
シャスタの風は甘いし、山々のある景色は信じられないくらい美しくて、毎日生きていることに感謝しないではいられなかった。
最後に憧れのオークランドやバークレーに寄れたことも嬉しかったし、ほんのしばらくだけれどサンフランシスコを楽しむこともできた。あの光や風と湿度のなさと大都会が同居している感じ、ほんとうにうらやましい!
代官山の名バリスタ黒沢さんとも再会できたし(顔を見ただけで彼の珈琲が飲みたくなった)、きよみんの友だちのすてきなアトリエにも寄れたし、きよみんの友だちの日本人のカップルが本気で料理を作っている「Skool」というすばらしいお店にも行けた。新鮮な魚、完璧な味つけ、でも斬新。大感動だった。
いいなあ、サンフランシスコ…とうっとりしながらも、ふっと上を見てシャスタ山がそこにないことをやっぱりとても淋しく思った。
ありがとうシャスタよ、そして一週間ものあいだ、たいへんなことを引き受けてくれたきよみんよ。おごられるときは控えめに、疲れていてもそれを出さず、人々をさりげなくはげましながら美しい場所に連れて行ってくれたこと、一生忘れません。
湖のほとりできよみんの作ってくれたおにぎりを食べた幸せ、思い出すたびにふんわりした気持ちになる。炊飯器とお米まで持ってきてくれて、朝早起きして作ってくれて、ありがとう。最高においしいおにぎりだった!
カリフォルニアは幼い頃の私の憧れの場所だったから、いられるだけで嬉しい。
…それとは別に、私はホラー映画の見過ぎで、アメリカのありとあらゆるところがこわい。
夜道も森も湖もドライブインもレストランもスーパーもヒッチハイカーも、とにかくこわいふうにしか見えない。
そういえば、ローマに行ったときもそうだった。あんなに美しい街がこわいところにしか見えなかったっけ。アルジェント監督のおかげ(せい?)で。
自分のホラー映画マニアぶりをちょっとだけ恨むのはそんなときだけだが、あんなきれいなところにいたのにひとりでこわがっていたのがもったいないから、けっこう大きいことな気がする!

 
 
 
ついに土肥にも行った。
絶対むりと思っていた。親がいないのに土肥に行ったらきっとものすごく落ち込むと。
いつもいっしょに行っていた担当編集者さんたちが誘ってくれたので、ちょっとだけ散骨もしようかと姉とがんばって行った。
意外にも悲しみは全くなかった。
体が全部覚えていたし、土地が両手を広げて迎えてくれた。もちろん中浜屋さんもいつも通り温かく迎えてくれた。
行ったら勝手に自分の体が動きだし、水着に着替えたり海で泳いだりお風呂に入ったりいつものスリッパをいつものようにはきわすれたりしだしたのにはびっくりした。四十年近い積み重ねってそういうこと。
むしろ親が喜んでくれていっしょにいるみたいな感じだった。父も母も自分の中でにこにこしている、空の上ではない、そういう実感があった。
あのとろ〜んとした水、柔らかくゆるい波、海の中から山を眺める気持ち、土肥でしか味わったことがない。
原マスミさんがにこにこしてうちの子と泳いでいるのを見るのも幸せだった。
世界中のどんな美しい浜辺よりも安全で美しくいやすい、それが土肥の海水浴場なのだ(でもお父さん溺れてたけど!あれは血糖値が下がって意識がなくなったんだからしかたない)。
中浜屋さんではいつものメンバーがあちこちの部屋に散らばっていて、声をかければ出てくる。
もちろんみんな様子は変わっている。歳を取ったからだ。
ずっといっしょにお風呂に入っていた女子たちふたりも、気づいたら乳がんの手術で胸がない。
それでも今いっしょにいつものようにここにいられるっていうのが、いちばんよかった。
あのときあったお店はない、あのときいっしょに泳いだ人たちの中で、亡くなった人やもう会えない人もたくさんいる。
新しく生まれて加わった人たちもたくさん。
自分にとっては長いその時間を、みんな海と土地が見ていてくれる。
自分の一部が海や土地と溶け合っているから、たとえ自分がいなくなってもこわくない。
単に、こういうことなんだなと思う。
 
 
帰りに桜井会長のお誕生会に伊東の五味屋さんという最高にお魚がおいしいお店に寄らせていただいた。ここの煮魚、絶品!
雀鬼会のみなさんが心からお祝いの笑顔を見せているのも嬉しかった。
小さい子が「親は死ぬはずない」と思っているのと同じくらい、みんなが「会長は病気なはずがない、死ぬはずはない」と大人なのに無邪気に信じている。
私ももちろん信じている。
そんなふうに思わせる器の大きさに改めて深い敬意を感じた。
若いときに命をかけていろいろやって思いきり生きた系の人は、みんなすっぱり死にたい、長生きしたくないと言う。
でも、そんなのだめだ。まだまだ生きて、ただいっしょに過ごしてほしい。それだけがみんなの望みだ。
桜井会長と山田マネージャーが並んでいると、ただただかっこいい。なんだこのかっこいい人たち!と思う。動きも言葉も鋭く、一個もむだがないのに、決して息苦しくない。大きな山や海といるみたいだ。
ほれぼれする。
彼らの奥様や彼女たちはきっとすごくたいへんだろう。
でも、女として生きられるだろう。
女として、というのはもちろんセクシャルな意味だけではない。存在全部で生きるという意味だ。
現代の女性たちが男に毛をそれとか便座を下げろとか早く帰って来いとか風呂に早く入れとかうるさくなったのは、ああいう男が減ったからなんだろうな…。
時代は変わる、それはしかたないこと。
でもどの時代であれ、人間は人間として、男は男として、女は女として、全部まっとうして生きられたらいいねと思う。
 
「感情を整える ここ一番で負けない心の磨き方/桜井章一」
 
 
 
こんなに短い期間でもフィジカルに生きていたら(PCなし、毎日すごく歩く、丘にも登る、朝は早起きで体動かして、夜は白目むいてバタンキュー、細かいことをやっていられない、メールもろくに返信できない、めしははらぺこの後に短時間で食べられるがつんと系ばかり)、考え方が少し変わった。
ただでさえ自分のことはあんまり深く考えないのに、ますますそうなった。
深く考えてもしかたないし、人に嫌われても別にいいや、みたいな感じ。
どうせまたすぐじめっとした作家らしい毎日に戻るだろうけど、自分がかなり強くこだわっていてこれこそが自分だと思っているような部分や生活のしかたって、実はたやすく変えられるものなのかもしれない。
だからこそ意外な人が、生活を変えるだけでなにかの会に簡単に洗脳されたり、思いのほか急に元気になったりするんだろうな、と思う。
逆に言ってしまうと、それを逆手に取ったのが自己啓発セミナー的なものかもしれない。
前述したように、セミナー効果が長続きしないのは、自分の潜在意識に圧がかかるからだ。
心から合うセミナーや師にめぐりあえば、自分の中にすっと入ってくるから確かに効果がでるが、自分のなにかをごまかしたり見ないようにして圧をかけると、どんどんずれてくる。
あたりまえのことだ。
自分を知る、それ以外に道はない。自分をとことん知り、嫌い、でも憎みきれない。そのつらい道しかない。
「別の人間になることだけは絶対にいやだった。他の人間になった自分をどうやって憎めばいいというのだろうか」
これは村上龍さんの「歌うクジラ」からの名言だ。
とてもつらい小説なんだけれど、この言葉が出てきたとき胸がすっとした。つきものが落ちたみたいにすっとした。これこそが小説の力だなと思う。
 
「歌うクジラ(上)/村上龍」
  2013年8月 ページ: 1