人生のこつあれこれ 2013年7月
今月の思い出はとにかく全てが引っ越しが大変だということにつきる。
引っ越しにまつわる全てのことが大変だった…。
っていうか、まだ引っ越し終わってないyo(涙また涙)!
今の家を嫌いで出るわけではないので、毎日が失恋した人みたいに悲しい。天井を見ては涙、柱を見ては涙。
運命はなんでこの家に私を長く住ませなかったの?という感じだ。
でもこうなったらしかたないし、まあ、次のことを楽しく行こう(この切り替えがなによりもこつです)!その場に行っちゃえば、そこを楽しめるでしょう。
神様に問いかけることをあまりしない私だが、今年の春にうちの庭の桜を見ながら「いつまでここに住めるかな?」と考えて、ふと一瞬だけ真剣に問いかけた。
「できるだけ長くここに住みたいけど…今賃貸のここをいつか買えるだろうか?そんなふうにものごとは自然に流れるだろうか?そうでありますように、長くいられますように」
でも、その翌日に急に風呂場の壁が落ちて修復不能なトラブルが生じたとき、ああ、要するにだめなんだなと思った。それが答えだ、と。
直感したとしか言いようがない。
こういうときに食い下がるとだいたいろくなことにならない。
恋愛もそうだけれど、こういうときは後がどうなるとか考えないで、一回自分の執着をすっと切って忘れるしかない。縁があればいつか忘れた頃になにかが起きるだろう。
やっぱりだめなんだ、と思いながらあわてて荷造りして行ったハワイは、やっぱり失恋した人なみに目の前が暗かったのを覚えている。
しかし毎日海だの山だのとにかくいい景色を見て、友だちや犬と無邪気に遊んで、毎晩「ウォーキングデッド」の最新版を深夜に観ていたら「今は今だし、ゾンビがいる毎日よりは全然ましだな」(わけのわからない比較だ…)とちょっとずつ気持ちが切り替わっていった。
手放すということは、その隙間になんかしら入ってくるということだ。それが新陳代謝というものでもある。
目に見えない世界は多分こんなふうに有効に人のそばに寄り添って常に情報を発信しているんだと思う。
昔の人が言っていた、虫の知らせとか流れとかそういうものってこういうことだと思うから、別に神秘的には思っていない。
次の家は狭すぎるしどうせ臨時で越すんだから、きっと長くは住まないだろうって今は思っているけれど、そういうのに限ってあれれ?なんだかここで死ぬことになっちゃった、でもいいか、楽しかったし、みたいにずっと住んじゃったりするのかもしれないですね。
鉛筆型で狭く細長い同じ家が並ぶ建て売りっていうのをずっと鼻で笑っていたのだが、いざ接してみると「マンションと個建て両方のいいところ取り」って感じで、同じ間取りに住んでいるご近所さんとの結束も身体感覚で自然にできるから孤独感がないし、フットワーク軽く動けるし、マンションのようなナイスでシンプルな箱だし、土地もついてるし、都会ならではの新しい住みかたなのかもと思えてきた。
いずれにしても新生活を始めることになったこと、まだ信じられない。
引っ越しが決まるまで尽力してくださったみなさんに感謝を捧げたい。
手伝ってもらった人たちみんな、いっしょに東京で生きているっていう感じがする。
四十九になった今月、五十に駆け込む助走かのように、とにかくたくさんの人に会った。
まずは引っ越しの手続きで会った人たち。
不動産屋さん、工事の人、銀行の人、区役所の人…ふだん会わない人たちにも会って、やたらめったら書類を書いた。
そして私は悟った。時代に接している気分でいながら、いつのまにか時代が本格的に変わっていたことを全く知らなかったという事実を。
どうも親を見送るのがつらくてあえて時を止めていたようだ。まるっきり浦島太郎だ。私は昭和の家に住んで、昭和の生活をして、気をまぎらわせていたらしい。
少しだけ先に進みながら、また昭和のよいところは活かした暮らしをしていこう…。
出会ったのはみんな基本的にまじめでおしゃれでかわいくていっしょうけんめいないい人たち、若さで詰めが甘い分システムがよくできていて、みな仕事に確実にちゃんとやりがいを持って取り組んでいるし、時代がよくなったところをたくさん見つけた。
出会った中には「おお、この人、こういうところで相手に気づかれないようにいろいろ専門的に行動している。出世しそう!」という若い人もたくさんいた。
また、昔は不動産屋さんは基本的にはだましてでも契約を取るというのが基本だったが、時代が平和になったせいか、彼らは妙に正直になっていた。
「こういう、更地にぽつんと残っている物件はあまりおすすめしないです。わけがあって残っているわけですから」
「裏手に住んでいる住人に騒音等問題ありそうなので、正直僕もここには住めないと感じます。申し訳ありません、今日まであの方があんな行動をしているとは知りませんでした。場所は最高なのでおすすめしたのですが」
「中古物件はよほどのことがないかぎり、前の住人のニーズに合った形だったり、修理に莫大な費用がかかったり、建築法が改正される以前に建てていて次に建てるときには同じ建ぺい率で建てられないので、おすすめしません」
私はいろいろ引っ越したので、そういう知識は普通の主婦よりずっとあるんだけれど、こんな正直な情報を不動産屋さんから聞いたのはほぼ初めてだった。
だまされたふりをしながら自分の要求に近づけていくあの恐ろしい駆け引きがなくなったのはちょっと淋しい気さえするが(笑)、なんて平和なんだろう、いいなあ、と思ったのは確かだ。
もちろん時代のマイナス面だっていくらでも発見できる。
今の世の中は全てが丸尾兄貴のおっしゃるとおりにやたら分業制になっているから、みんなそれぞれが各部署での部品扱いだし、その楽さを享受しているかわりに、勢いや生きがい的なものはかなり奪われている。
頭からケツまで関わって責任を取るという考えこそが、いちばんたいへんだけれど「生きてる!」と人が感じることなのだ。人間はどうしても肉体的にそうできているんだから、しかたない。食べてから出すまでが肉体の満足感の証なのと同じ。
今の形態だと、最終的に下請け業者や営業にトップダウンでしわよせがやってきて、だれにも感謝されずに次から次へ移動しては文句を言われ、時間に追い立てられることになる。
そこで一工夫して隙間を見つけ人生エンジョイできる強い人はいいのだが、そうでない人はほんとうに気の毒な追いつめられかたをしてしまう。
朝から晩まで知らない家に行って工事だの修理だの営業だの契約だのを義務づけられ、たいてい無茶なスケジューリングなので渋滞で遅刻するから文句を言われて、その上名もない存在でいろと言われて、仕事が楽しいとはなかなか思いにくいだろうと思う。
それが仕事だとか人生だから仕方ないと言われたら、やっぱり抜け道はあるよと言いたい。もちろん収入と仕事内容と私生活がバランスよくやれていて満足している人はいいと思うんだけれど。
たとえば携帯電話の会社に行ったときのこと、その日の担当だった新人さんが階段を下りて追いかけてきてこう言った。
「僕は今日ノルマで、お客さまがいいと思わないものをどうしても勧めなくてはいけなかったんです。確かに手間取ったり、いやがるものをしつこく勧めてしまいました。ごめんなさい。でも、どうか後ほど送られてくるアンケートで担当者の僕を悪く書かないでください。ほんとうに影響が出てしまうんです」
言ってることとやってることのなにもかもが間違ってるよ、君、と言いたかったけれど、もはやこの子のせいじゃなくて、時代の問題だよな、と思い、私はうなずいてその場を離れた。もちろんアンケートも悪く書かなかった。
もうひとつのエピソード。某会社でエアコンを買ったら、工事の日、五時間待ったあげく下請けの業者が車両故障で来られない、ついては今日はもう工事は無理だから、最短で十二日後になると言われた。
この暑いのに死んでまうがな!
と思って、業者だのカスタマーセンターだのそのまた上の人だのにもちろん文句を言い、返品したいとまで言ってみたが、そのだれもが半泣きで「社内で話し合ってみます」「自分にはそんな権限がありません」と責任を逃れようとする。これって、責任を取らなくていいから楽なようだけれど、いやな思いだけして行動はしばりがあるからできないという、人としてはいちばんモヤモヤする仕事のあり方で気の毒だよなとやはり思う。
みんないっしょうけんめい「気持ちはわかります」「私もお客様と同じ気持ちになると思います」とクレームのマニュアル通りに、でも本気で心をこめて言ってくれるんだけれど、別にわかってほしいわけじゃなくて、エアコンをつけてほしいんだけど…と何回も思った。
それで多少楽で給料がもらえても、充実感は少ないだろう。
それを求めてない人はいいと思うけれど、私だったら耐えられない。行動してすぐ首になると思う。
結局お金が少し多くかかったし納品もあまり早くならなかったけれど、取り付けだけ別の業者に頼むことにした。
お金さえ安くなればどんな状況でも消費者は泣き寝入りすると思ったら、大間違いだと思う。私は少なくともそこでは二度と買わない。一万円安くなるのはけっこうなことだが、そのために五時間取られたわけで、これはかなわない。五時間仕事をいっしょうけんめいやれば、どう考えても確実に二万円稼げるから。
電話に出た人たちはみな善良で言われたことしかできない人たち。そして、このできごとが自分の属している会社の責任であることなんてはなっから考えたこともない人たち。
口コミを見たら、同じ目にあって同じことを言ってる人が山ほどいたのでまたびっくりした。
この隙間をのし上がっていく企業がこれから伸びてくるだろうことは、兄貴でなくてもわかる。
業者の車両が故障することや混み合うことを想定して代替の会社を常に用意し、優秀で一般家庭に嫌われない職人を集めて、無茶のないスケジュールで順当に報酬を支払い、束ねる実力がある会社…つまり人間力のある企業だろう。
これからもこの「とにかく分業、責任の所在をはっきりさせない、泣き寝入り狙い」の方策がメインストリームかつ常識になる流れの一方で、時代は次第に反対側に振れだすだろう。今の形を崩すノウハウを確立できる、この時代の不満の声に今しかない営業のしかたと儲けかたをする企業が必ず出てくるはず。
相手は常に人間なんだから、分業化企業がそのシステムの中で泣き寝入りせずに文句を言う人をクレーマーだとかとか言ってうだうだしてる間に、下請けの会社をこきつかってボロボロにしている間に、そういうところに目をつけた人がネットの口コミと下請けのやる気を勝ち得てどんどん人気をさらっていくだろう。そのエアコン事件の会社の有名な社長は元々はそういうよい形の中小企業を狙っていたんだろうなと思うだけに、とっても残念だった。
こんなとき、企業はそこに託されていた消費者の「社会をよく変えてくれるんでは?」という希望まで奪うのである。個別に見たら大したことではなく見えても、実は小さいことではない。
そんなこともありながら、夢や魔法のようにざ〜っと日々が過ぎていった。記憶がなくなるくらい人に会った。友だちとも毎日のように会ってごはんを食べた。お誕生月だったからたくさんごちそうになったし、いっぱいの笑顔を見た。お花もたくさんいただいて、家の中がお花屋さんみたいに華やかだった。この家での最後のお誕生日を飾るかのようで、幸せだった。
秋の〆切引きこもりにそなえて今のうちにみんなに会ってるのかな?と思う。
そして今振り返ると、疲れ果てていたり熱射病になりかけていたりしてあんまり記憶がないのに、みんなの笑顔や、楽しかったなあという印象だけがくっきり残っている。
死ぬときもこんな感じなのかな?だといいな、と思った。
こわいくらいさ〜っと流れて、いいことも悪いことも印象にないけど、いい感じだけがきらきらしている人生。
人にお金を借りたままだったり、だれかをだましたり、悪口ばかり言っていたり、そんなだったら、死ぬときにはきっと恐ろしいもやが襲ってきそうだ。
少なくともきっとうちの父のように美しくすっとした顔で死ぬことはできないだろう。それは避けたいから、心をこめて小説を書こう。単純だけれど、そうしたい。
前にも書いたことだけれど、うまく書けなかったので今月も書いてみる。
私はがんばっていることを人に見せたり、粋じゃない雰囲気が嫌いだから、どんなに疲れていたり困っていても、基本的に人には笑顔で会うし、疲れたと文句は言うけれどやっぱり楽しそうに過ごす。
相手に対して愛を持っていたら、他人が唯一できることはそれだけだからだ。
無理はしていないし、うそもついていない。
それはちょうど、お店の人がその日の機嫌の善し悪しをそのまま出してお客さんに接していたらどうなっちゃうの?というのと同じ気持ちだ。
楽しくない人に会いたい人はいないだろうからそうしようと思い、実際に楽しそうにしているとバカだからほんとうに楽しくなってくる、というだけだ。
そんなに好きではない作品を創る人や、身持ちのすごく悪い人や、業種が違いすぎてわけのわからない生き方をしている人だって、サシで会ったらたいていはいい人だ。
評論とか批評とか言われることをする場合は正直な意見を書くけれど、直接会うときはたいていただがんばってと切に思う。逆もそうだろう。私の作品や私をすごく嫌いな人でも、その人が道でものを落として私が拾ったら、ありがとうと言うと思う。だから人間っていいよなと思う。どんなことを言われても、その人にも恋人や親や子どもがいて、その人を愛する人がいるというだけで、許したくなる。
…にしても楽しそうにしていると、ほんとうに遊んでばかりいてなんにもしてないと思う人がいるので、驚く。
私が介護の手伝いをなにもしないで姉にだけまかせて面白おかしく暮らしていたと思っている人がたくさんいるし、面と向かってイヤミや皮肉を言われたり書かれることもたくさんあったが、とにかくその全部が単なる驚きだった。
百歩ゆずって、私がおいしいものを食べてお酒を飲んでいるのをいつも見かけたとして、家に帰って徹夜で小説を書いているところをそのうちのだれが見たと言うんだろう?家族さえも知らない、ひとりきりの時間を。
人の家の内情のことをよくそんなふうに思えるなあ、というだけではなく、その想像力の低さに衝撃を受けた。楽しそうにしている人は楽しい、海外に行く人はお金がある、仕事をたくさんしてるから金持ちだろう、親は姉と住んでいたから姉だけが看ていたんだろう、そういう発想の貧しさ。まあ、ある程度は当たっているのだろうけれど、その「ある程度」が全部真実だとしたら、世の中ってなんてつまらないだろうと思う。
たとえば私の姉がぐちって私を多少悪く言ったとしても、それは愛がある単なるぐちだったろう。
私だって実家にいないから思うように届かない親への思いを、お姉さんっ子だった母に対する淋しい気持ちをどれだけ人にぐちったか。
でも、みっともないことは数々あれど、後悔もたくさんあれど、このことに関して自分に恥ずかしいことをなにもしていないから、それに個別に説明しないから誤解を受けているだけで、必要なときにそれぞれに説明すれば必ずわかってくれるから、いいんだと思う。
こんなところで宣言するのもなんだしあたりまえのことだが、私は姉を愛している。たったひとり残った昔からの家族、不器用で偏屈でかわいらしい姉。お母さんっ子で情が厚くて猫が大好きで父に性格がそっくりな姉。
面と向かっては愛情を示さないし、毎日会うわけでもないけれど、いつも姉の幸せや健康を願っているし、会いにいけるときは楽しく会う。
神様は私から両親を思ったより少し早く連れて行ってしまったけれど、姉を残してくれた。親がまるっきりいなくなった驚きから少し立ち直った今、そのことに感謝をいっぱい感じる、そんな四十九歳のはじまりだった。
数年前、夕暮れのうっすら明るい不忍池で、蓮がばんばん咲いているのを夢みたいに眺めて散歩した後に実家に行った。姉がおいしいごはんを作っていて、両親がまだにこにこしていっしょにテーブルを囲んだ。子どもの頃と変わらなかった、あのなんていうことのない夏の夕方をよく思い出す。
あんなすばらしいことをいちばんに思い出せるなんて、やっぱりあの家族でよかったなと思う。だれがなんと言っても、私たちは四人だった。愛し合っていた。幸せだったんだ。
「開店休業/吉本隆明・ハルノ宵子」
誤解しないでほしい、まあ、読み方は自由だからしても全然いいけど、とにかく誤解しない人にはぜひこつをつかんでほしい。
私は個人的なことは大人だから自分で解決できる。
ここでネガティブなことを書くときは、発散ではなく、クレームでもなく、違うやり方があるっていうことを、その可能性だけでも見てほしいということだ。
あなたは一万円を惜しんで泣き寝入りしたことはないですか?そこで得たものと失ったものはなんですか?
上には怒られ、下からはつきあげられ、なんのために働いているのかわからないと真っ黒い気持ちになったことは?
応援していた企業に失望したことは?
一見いつも楽しそうに見える妬ましい友だちにも悩みがあり、見えないところでなにかを必死でしているという可能性を見ようとしたことはありますか?そのノウハウを学んで自分も楽しそうに見えるように暮らそうと努力したことは?
ものごとを全体的に眺めてそこの中のどこに自分の大きな責任があり、重いし面倒だけれどやってやると思ったことは?そうしたら急に軽くなって流れも自分に味方してくれたことはないですか?
どうせこつを語るなら、そんな問いかけをどうしてもしたいから、いろんなことを書いてみています。
丸尾兄貴のところで知り合ったインフォトップという会社のitというか情報関係の人たちがみんなあまりにも楽しそうな顔をしていたので、あれ?どうして?と思った。
よく陽に焼けていて、目がぴしっと光っていて、それぞれのキャラが立っていて、疲れがにじんでなくて、なんだかいつも見るそういう会社の人たちと全然キレが違う。
なんでそんなに楽しそうでいられるの?と思ったら、やはり海外に住んでいらした。
日本にいたらやっぱりだめなのか、時代はここまで来たのか…と思いながら、彼らのなにかと厳密でなくてきとうながらも核心はぴしっとつかんでいてなるべくwin-winの状態を目指すという新しいビジネスモデルの取材をしたかったので、いろいろ質問をさせてもらって楽しかった。みんな小学校の同級生同士みたいな勢いのあるかわいい顔をして、忙しく働いている。
楽しくないことには決して深入りしない、楽しくないいやなことを長くすると病気になる、それは村上龍さんが百年くらい前(笑)から言っていたことだ。
私は昔、広告関係、今はit関係の人を天敵だと思っていた。お金のために人の心をあやつる業界だと思っていたし、ひとつの仕事に意味なく何十人もくっついてきて、ただ立ってるだけ、そう思っていた。
でも今は違う。時代が動いてクリエイティブな人が自然にその業界に集結した結果、ただ立っている人がバブル崩壊と同時に消え去って、意味のある人数がそこにいるようになった(TV業界はまだたまに意味のない大勢だなと感じることがある)。
そして出版界がどんどん遅れていく結果になってしまったから、話も危機感も合わなくて、友だちもどうしてもそっち方面に多くなっていった。
「小さく、品よく、かっこよく、ていねいに、こつこつと、食を大切に、日々を大切に」というキーワードはもちろん私の小説のテーマのど真ん中にまだある。
しかしそれらをお店や出版社が実行するには、どうしてもスポンサーがいる時代になってきちゃっている。
そして手を汚さないで後手後手に回ってきた結果、この世でいちばん汚れた沼みたいな状態になりつつある出版界。編集者さんもさっき書いた下請けの人たちみたいになってきていることが多い(もちろん全部ではありませんが)今、若い世代の彼らがどう会社を保ち新しい時代を切り開いていくのか、いっしょにのんびりと仕事をしながら観察していきたい。
どれがいいとか悪いとかではない。天候を責められないのと同じくらいに、人類の流れを責めることはできない。単に流れがあるだけだ。荒れるときもあるだろうし、理不尽なこともあるだろう。
エコロジカルでヘルシーな流れと、企業が生き残る手段のふたつの流れが共生するモデルとしてやがて日本のあちこちが、アメリカの「本格コーヒー店、小さいブックショップ、海か山があり自然が多い、高級ブティックと雑貨屋、アーチストとスポンサー、小さいコミュニティ、エコロジカルなブランドの本社」というようなキーワードがある小さい街みたいなことになっていくのではないか?とうっすら予想してみているけれど、まだわからない。どんな未来が待っているのか。世界はどうなっていくのか。
とにかく多少自分の手を汚してでもなんでも、この世を泳ぎ抜けてきた人の明るい強さが今はいちばん気持ちいい。
兄貴に「人間関係ですごい傷を負ってしまい、最近やっと元気になってきたのですが、それが根っこにあるためどうしても人間と接するのがこわい」というような質問をした人がいた(特定できないように少し内容を変えてあります)。
兄貴は「それはすごく仲のいいやつが五人しかいないうちのひとりだからだ。それが百人中のひとりだったら、どうでもよくなる、大事な人がたくさんいる人生、それを目指せ」と言った。
そんなに友だちがほしくないとか、そんなにだれもかれも好きになれないとか、言い訳はいくらでもできる。そんなこと言ったって兄貴中卒じゃないですかとか、やくざじゃないですかとか批判するのだって簡単なことだ。
そんなことどうでもいい、兄貴は人としてすごい。兄貴のしたことをだれもできない、それだけでいい。
人はやるかやらないか、それだけなんだと思う。
万全の構えでだれからも批判されないけれど元気がないのより、でこぼこでむちゃくちゃ言われてもさわやかで元気でいたい。今はそういう気分の時代だと思う。
東京を離れようかと思っていたけれど、行ったらただでは出られない大好きなロンハーマンとそのカフェがサザビー様の英断のおかげさまで千駄ヶ谷にいつの間にかできちゃってるし、茄子おやじはいつもながらうますぎるし、ティッチャイの冷やしトムヤムそばもかなりやばいうまさだし、ワンラブブックスもなにげなく復活しているし、私のふるさとはなんて贅沢な都市だろうと思うと、まだしばらくいたいなと思う。
街を気軽に歩きながら、軽いかごバッグとか布バッグにおさいふをしのばせて、めちゃくちゃ履きやすいアイランドスリッパのサンダルを履いて、袖のない服を着て、忙しさの合間に「山が見たい」「海に行きたい」と文句言いながらカフェに座って空を見る、そんな東京の夏を楽しむしかないという心境になってきた。
うちの息子が前に森博嗣先生に移動中の車の中で、
「ねえ、昔と今とどっちが好き?」
と漠然とした質問をした。よくここまではっきりと理系の人にそんな漠然とした質問を!と思ってドキドキしていたら、森先生は運転しながらにこにこして答えた。
「今だよ。うんと昔に比べたら病気で死ぬ人も少なくなっているし、建物も買い物もみな便利になるように研究されて使いやすくなっているし、自由も多くなっているし、時代は確実によくなっているから」
名古屋のきれいな夕焼け空と、森先生の確かなその言い方と、息子の顔がぱっと明るくなったいい感じをいっぺんに味わいながら、ほんとうにそうだ、私もそういう気持ちをもっと持とう、と思った。
昔よく会っていた女友だちがいた。
今もたまに会うんだけど、私たちふたりは昔も今もいつもとんちんかんな感じだ。
独特の感覚があってものすごくセンスがよくって、クールなんだけどいい奴で、美人さんでスタイルがよくって、庶民的な感覚もしっかり持っていて、どこか危うくて、ほんとうに魅力的な子だった。
彼女が結婚して妊娠してもう少しで赤ちゃんが産まれるっていうときに、真冬の横浜で彼女に会った。
彼女は大きなおなかと同じくらい大きな、木彫りのノアの箱船といっぱいの動物たちの置物を抱えて、当時の私に引っ越し祝い(そのときも引っ越中だったんだね…私って!)だと言ってプレゼントしてくれた。
その箱船は今もうちにある。
赤ちゃんは女の子だった。かわいく産まれてすくすく育った。
その子が小学生のときにうちの子どもが産まれて、みんなで会ったことがある。
「PTAだけでもたいへんなんだけれど、その係のいちばんたいへんなのを六年間のうちどこかでどうしてもやらなくちゃいけなくって、けっこうたいへん。『いつその係をやりたいですか?』っていう紙が毎年来て、とりあえず毎回今回でなく次の年を書いてみるんだけどねえ、もちろん逃げ切れないよねえ」
いつもの歌うような調子で、友だちは言った。
ものすごくしっかりした声とまなざしで、おじょうさんは言った。
「毎年、来年やるって書けばいい。それで、六年生になったら五年生のときにやりますって書けばいい」
「そんなのだめだよ〜ん」
これまた歌うような調子で友だちは否定したけれど、おじょうさんは堂々とした態度で、にこっと笑った。
その子は大人になり、ゾンビちゃんになった。
かわいいルックス、ママゆずりのセンスの良さ、天使の笑顔、野太い考え方、力強い歌声、若さゆえの切実さ。
だれも文句は言えない、今の彼女にしか作れない音楽、歌えない歌。
生きててよかったなあ、生きてるといいことあるなあ、あの小ちゃかった子のライブが観れるなんてさ、と私は思った。
若い世代にだんだんと場所をゆずっていくことの、このとてつもない幸せよ!
今月の日記はゾンビに始まりゾンビに終わりました…。
「あたしはなんですか/ゾンビちゃん」
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