人生のこつあれこれ 2013年6月

今までの人生をずっと見守ってくれていた、この世でいちばん好きな人がいなくなってしまったんだから、もう会えないんだから、生きていたくない。
それに近い気持ちに何回だってなった。
でも今好きな人や家族がいるから、何回だってやっぱり生きていてよかったと思った。
そんなものだと思う。
そんなことを言っているうちに、白髪がどんどん増えてきたり、ちょっと気を抜いたときの立ち姿、とくに下半身の角度におばあさんっぽさが入ってきた。その変化もあれよあれよで超面白い。今はデブだなんだと言っているが、多分そのうち太りたくても太れなくなるときがくるだろう。
ああ、この急な変化こそが世にいう更年期!と思った。
でも私は女性としてかなり特殊な人材だから、ぎょっとするけど気にはならない。
今はまだ落ち込んでいるから、実家に行っては「なんで親がいないんだ?」と子どもみたいに泣いているが、それは世界中のみんなと共有できるあたりまえのことだ。
そして今は中年と死の間にまだなにも見つけていない。
これまでいた世界の楽しかったこと…ビキニもミニスカートも徹夜もバカ飲み食いもない世界にはじめてやってきて、今のところ楽しいことがなかなか見つけられない。
でも私は今とおばあさんの間にまたかっこいいなにかを見つけるだろう。
そんなふうに肩の力を抜いた状態で田辺聖子さんのエッセイを読んだら、もっともっと肩の力が抜けた。
この優しい語り方、自分の産んでいないお子さんたちを育て上げて送り出し、ご主人を看取り、それでもちゃんと今を生きておられる説得力。
時代が変わっても人類の生きるこつは変わらないし、歳をとってもなにも失うものなんかないんだと思った。
私たちの毎日ではお年寄りが力を奪われがちで「もうすぐいなくなる人」「いつ倒れるかわからない爆弾」扱いのことさえある。
でもそんなことはない。お年寄りが持っているこういうすごい情報へのアクセスから分断されちゃっている。
でももしつながれば、見つければ、人生後半にはいろいろな宝物が埋もれている。
身近で、そして本の中で見つけて、元気出して、もやもやをふりきって生きるしかない。
やっぱり本は友だちなんだと思う。
田辺先生に直接お目にかかれば、私はきっと緊張してなにも話せない。
でも本の中の田辺先生はまるで家族みたいに寄り添ってくれる。楽にしてくれる。
その魔法を私もまだまだ持っていたい。
その人の好きな本や映像だけがたっぷりつまったKindleやiPadやその他の端末だって、その人が生きていく上でのものすごい武器だ。
それこそが文化だっていうことを、忘れないでいたい。



森博嗣先生が工作をしているのを見るだけで元気が出るのはなんでだろうと前から思っていた。
彼に恋してるからでもなく、鉄道に興味があるわけでもない。
それなのに森先生の家の庭に鉄道がぐんぐん走っていく様子を見たり、彼の小さい工房でネジとか旋盤とかでかい万力とか見るとじわじわ元気がわいてくる。
感動してほとんど泣きそうになることさえある。
それはいろいろなものを突破して好きなことをしているという森先生の静かな自信と楽しさが伝わってくるからだろうと思う。
友人である私でさえもたまに「こりゃないだろうセニョール」と思うくらいクールなメールをしてくる彼だが、実は私の知っている人の中でも最も優しい人の一群に分類される人だろうと思う。
その優しい面が、とてもとてもわかりにくいが、これまででいちばんよく描かれていたのが、新刊の「神様が殺してくれる」だった。
さっと読んでしまったあとで不思議にきらきらした後味が残り、ここに出てくる人たちのしかたなかった選択のことを考えたら、切なさがどんどん伝わってきて涙が出てきた。
ほんとうの優しさってこの小説みたいなものだろうと思う。
 
 
 
どうも画面のデザインがちょっと汚れる感があるけど、今回からAmazonにリンクしたりしてみている。
時代に負けた(?)としか言いようがない。
小金がほしい(ちょっとはほしいけどさ)わけではなくて、旅の手配もチケットを取るにも漢字を調べるにも場所を知るにも、ネットが全てになってきた。ネットがないとなにも動かないのだ。なのに自分はそのままじゃあしょうがない。なにか変えないと。なんだかいやだなと思ったらやめると思うけど、やってみないで文句を言うのは最悪だからやってみよう。
ついでと言ってはなんだが、うちの子どもが「編集した動画をアップする」という夏休みの宿題で、私にインタビューして作ったゆる〜い動画があります。
これからも続けるかどうかはともかく、You tubeにアップしてあるので、すご〜く時間のある人は、よかったら観てみてください。チャンネル登録すると、またそのうちしょうもない動画がアップされると思います。
これとは関係なく「ネットで物販」的な話もちらほら出てきて、ああ、時代が動いているのに立ちあってる!という感じがする。フリマでグッズを売ったことが懐かしい。あれはあれで七十年代的でよかったなあ。
昔ながらのやり方で、小さく商売をして、満足して暮らす…には今の日本はあまりにもお金で汚れすぎている。心きれいな人たちがやっている小商いがなんとか存続してほしい。しかし実はそれには企業や銀行のバックアップが必須なのだ。だが現況では融資も出資も期待することもなかなか厳しいだろうと思う。
反逆を試みた人は必ず行き詰まるし、目立たず静かにしているしかないかと思うと息苦しい。
この時代をどういうふうに生きたらいいのか、その答えはまだ見つからない。
でも、また時代がひとつ先に動くときが来るし、力のある人には必ずチャンスが来るだろう。
稼ぐチャンスではない、人生の自由を得るチャンスのことだ。
その厳しさの片鱗でも自分の子どもが学んでくれたらなと思う、親ばか心。
子どものクリエイティブさにはいつだって圧倒される。それに刺激を受けたさくらももこさんが息子さんの絵本を出したり、銀色夏生さんがおじょうさんのヴォーカルでCDを出したりしているのを見て「うわあ、てれくさい」とちょっとだけ思っていたけれど、自分もついに同じ穴のむじなに…!
広告でわずかに稼げるかもですが、観る人にとっては有料じゃないから許して〜(上記のおふたりは有料に足るものを出していたので、私のうちとはもちろんレベルが違います!)。
全部子どもがだれの手も借りず自分で文章を考え、編集し、アップしているので、若いのにすごいなとは思うけど、なにぶん子ども、なんとも力の抜ける内容だし、映像に影は映ってるし、私はすっぴんだし、これほどしょうもない動画も近年なかなか見ません。でもプライベート感とリラックス感だけはどの媒体でも見られないかも。
コアなファン(いるって信じてる…)の方だけにおすすめします(涙)。



もう7月も半ばなので、今回は「先月と今月のオレ」になってしまっているが、新聞連載の取材のためにバリに行ってきた。
今回の「BANANA TV」(笑)でも紹介しているsisiのバッグの尚美さんに初めて会えたり、宮崎組に再会できたり、光り輝く緑の棚田を見たり、若いイケメンと写真を撮ったり、バリにいるクロイワさんを初めて見たりで、楽しかった。
尚美さんのご家族がうちとすごく似た結束の固い感じだったのも、仲間がいるようで嬉しかった。奥さんが仕事バリバリでも家族はひとつ、これがふつうだって私は信じていたので、同じような家族がいて嬉しかった。
稼ぎたいときはが〜っと仕事して、家族には待っていてもらえばいい。
だんなさんが稼ぎたいときは、自分が待っていればいい。
多少会えなくて間があいても、結束があれば全然大丈夫だ。
尚美さんがご家族で泊まった宿に翌日私たちも泊まったのだが、尚美さんが「定期的になんかいい匂いのするスプレーが上からプシュっと出るねん。止めて回るねんけど、お手伝いさんたちがまたすぐオンにするのよ。いちばんはじめは吹き矢かと思って思わず首の後ろを押さえたよ」と言っていたとおりに、上のほうのオブジェになんか芳香剤をスプレーする装置がついていて、急にプシュっと音がした。
その話を聞いていたのに忘れていたから、ほんとうにどきっとして生命の危機を一瞬感じたので、吹き矢っていう比喩があまりにも鋭すぎて、今もまだ笑える。
ありえないはずの場所から未知の音がすると、人の本能は危機と捉えるんですね!
丸尾兄貴の家にも取材に寄らせてもらった。新聞の連載小説の中にバリやヌガラの日本人大富豪(モデルはもちろん兄貴)が出てくるのだ。
兄貴は少し痩せて、そして変わらず忙しそうだった。
私はもう生き方がある程度定まっているから質問することはあんまりなかったんだけれど、命に関わるものすごく重い質問をする人たちに対して兄貴がひとまわりもふたまわりも大きな未知の答えを返す様子は、父を思い出させた。
よく父の居間にも悩める人たちが訪れて、父が意外な答えを返すのを、人々の顔が明るくなるのを、なんとなく聞きながら育ってきた。
「この切り口から?ほんとうに?」と思うような新しい考え方の角度が、この世には存在しているのである。なにかを考え抜いた人でないと、その角度では見ることができない。
多次元的な角度とでも言ったらいいだろうか。それを会得した人は、どうしても人助けをするようにできているみたいだ。
はじめはよそゆき顔だったリビングにいる全然業種や生き方が違う全員が、だんだん相談者への思いやりからひとつになっていく。みな優しくなって、仲良くなる。ここからこうして日本が変わるんだなと思わずにはいられなかった。
後ろから見た兄貴のひじや足の裏や頭の形はとてもきれいだった。言葉にできないような美しいフォルムなのだ。
桜井会長のすっとのびた背中がものすごくきれいなのと似ていた。
やっぱり体はってる男の人はみんなきれいだ。
生き方は形に出るんだなと思う。そして生き物としては雄のほうが絶対きれいな形をしているんだなあ、とあらためて思った。
じゃあ私のこの出た腹は…心のたるみ!いくらビキニとお別れして久しいとはいえ!
夏のあいだになんとかします!

 
 
夏になると、母の友だちの松崎の矢部さんという人の家にいつも寄ったことを思い出す。
松崎ってほんとうにいいところ(市川準監督の映画『つぐみ』の舞台にもなりました)なのだが、毎日の日焼けでへろへろな私はたいていたどり着くまでにバスか車に酔うかの弱い体質だった。
一度、矢部さんのおじょうさんの子どもたち(いがぐり頭のかわいい男の子ふたりだった)が「ばななちゃんと遊ぶ」と海についてきてくれたのに、あまりの車酔いと頭痛でほとんど会話もできなくてかわいそうなことをしたのを思い出す。
子どもと遊ぶなんてとんでもないっていうような年齢そして体調だったし、子どもたちの期待が重かった。せめて名前とか好きなこととか聞いてあげればよかった。手をつないで歩いて帰ってあげればよかった。
ごめんよ、あの子たち、きっと今はもう大学生とか社会人?
あの頃は子どもと遊ぶってどういうことかさっぱりわかってなかったんだよ!
後悔でも反省でもなく、今の自分であの日に行きたい。そして男の子どもに慣れきった状態でばしゃばしゃ海で遊んだりスイカ割ったり、気持ち悪くてもなんでもやってあげたい。ばかだったなあ、私。頭が痛いくらいなんだよ!
松崎の矢部さんのおじょうさん(嫁がれて山本さんという名字です)の息子さんを知ってる人がもしいたら、彼らに伝えてください。
あのときはごめんね、なんなら今からでもいっしょに泳ぐか?って!
君たちに子どもがいたら、うちの子といっしょに泳がせようよって。

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