人生のこつあれこれ 2013年4月

言葉がわからないなりに毎週楽しみでしかたないスンギくんの新ドラマ「九家の書」。
早く日本でも放映されないかな〜。
三話目までまだぎこちなかったのに、四話目でいきなりスンギくんにチェ・ガンチが丸ごと乗り移ってきてびっくりした。
才能っていったいなんだろう。
彼はなんでふだんはあんなにぼんやりさんなのに、役が乗り移ったり歌が乗り移ると急に異次元レベルでピシッとなるんだろう?
役者さんってやっぱりすごい。
…っていうか、どうして本来普通の人なはずのああいう人が、やってきた縁やその流れをつきつめているうちにいきなりああなるのか、その仕組みがすごい。
いつ天からあのすごい力が与えられたんだろう?あるいは彼の中にもともとあったものがどうやって外にでて来たんだろう?だとしたら、だれもがいちばん向いていることを自分の中から発掘するには、それを無心で育てるにはどうしたらいいんだろう?才能っていったいなんなんだろう?宇宙の謎としか言いようがない。ananではそのへんを探求してわかりやすく書いてみたいと思うし、自分に関しても、周囲の人に関しても、小説でも、このテーマを追いかけてみたい。


たとえば日本の田舎のある村を、峰不二子がベンツのオープンカーに乗って通り過ぎる。
実際に起きたことはそれだけのこと。
でも、いつのまにか彼女がどこに住んでるだとか、男にお金を貢がせているとか、男のうちだれがあの車を買っただとか、駐車場はだれの敷地だとか、そんなことをするなんて見た目はともかく心が貧しいだとか、あんな様子じゃちゃんと結婚できないとか、そんな人間の子どもはいるとしてもきっとろくなふうにならないとか、悪い商売をしているに違いない(ふ〜じこちゃんは泥棒の仲間だからそれは合ってるのかな 笑)、とかいう話をする人がいる。
まず、その情報量に驚いて、だれもが「そこまで詳しいなんて、もしかしたら好きなんじゃ?」と思う。
そう、きっと好きなんだろう。好きこそねたみのはじまり。好きをなにに育てるかがその人間の甲斐性。
わかっているのに、すべて推測にすぎないことを言ってみてとりあえず溜飲を下げるというのは、日本人の性なのか、人類そのものの性なのか。
他人の悪口を言ってるときの「こうだからこうなるんだよ」の「こう」の部分を満たせる完璧人格は果たしてこの世にいるんだろうか?
まして峰不二子みたいにセクシー女性の代表ともなれば、その才能を発揮するために性格の凸凹がないと面白くないじゃないか。
…っていうかそもそも興味がないから、そのあたりのことは全然わからない。
このタイプのことに興味のない幸せ感、どんなに体が軽くて快適か言い尽くせないほどなのだ。
目の前の人がそういうことを話しだしても「聞きたくない」ですむし、目の前に差し出されても「見ない」ですむから、この世にないのとほとんどいっしょだと思う。
選択の自由があるのだから、私は自分では「じぇじぇじぇ!めんこいな!いいもん見た、なんていってもほんものの峰不二子だっぺ!」という態度でいたいなと思う。
心の中で「峰不二子はどうやってあの見た目にそぐう人生になったのか」を果てしなく探求するとは思うけれど、そこにひがみやねたみは混入しない。いいなあの乳、あんなだったらどんな人生になるんだろ?くらいは思うけど、それ以上は考えない。ねたみが入ると思考がずれて、真実から遠のいてしまいそうだから。
興味がないです、を貫いてねばってやるべきことをやっていたら、いつしか雑音は、どんなに大きくても聞こえなくなる。ひまだから聞いてしまうのであって、忙しければそれどころではない。
人間にはいろいろな制限があるけれど、そのくらいの自由はあると思う。
いやだなあと思う地点にシンプルに行かなかったり見ないでいい自由。
まわりにそういう人のいない清々しさを楽しむ自由。
その清々しい気持ちこそが、世の中を一歩一歩変えていける鍵だと思う。
上のほうの人がなにを望んでいるのかを考えると、底辺で足を引っ張り合ってくれたら上のほうに批判がいかないことに関していちばん効率がいいので、足を引っ張り合うことはその人たちの思うつぼとも言える。
人の言うことを聞かないなんて非常識だとか、自分がよければいいのかとか、そんなに楽しそうなんてこんな不幸な自分をばかにしているのか、いやいや自分はこれほどの目にあったから考えないなんてむりだとか、そんなことばっかり言って時間を食っていると死ぬときにたいへんな気持ちになるだろうなあ、と思うから、想像するだけで背筋がぞぞっとしちゃって、意識がシャットアウトしてしまう。
体が寄っていかないから、そういう沼にはやっぱりいつのまにか行けなくなってる。匂いがしただけで方向転換してしまう。
日本はアートに携わる人々に対する尊敬が絶対的に足りないからパトロンも少ないし、足を引っ張り合って時間を食われるから、芸能も芸術もすばらしい才能のある人はやがてみんな国外に流出してしまうだろうと思う。
残った荒れ野で、沼の人たちはなんのために生きるのか。なんと空しいヴィジョンだろう。なんてかわいそうな人生だろう。そして不況でみんな不安な今の状態だと、ストレスを手軽に発散できる暗いおしゃべりに引っかかって、たやすくだれもがかわいそうな人生に足を突っ込んでしまう可能性がある。
私も幸い海外で仕事を得ているから、日本にいられるのも多分あとわずかなんじゃないかと思う。外側から日本を応援することになる日もそう遠くなさそうだ。悲しいけれどそんな感じがする。まあ、下北村近辺はウクレレの先生もタイ料理の師匠も色っぽいそば屋さんもかわいい妊婦のイラストレーターさんもカレー一筋一家もなんでもできる本屋さんもイケメンな植木屋さんもいくつになってもセクシーなバーのママも…その他大勢すてきな人たちがいてわりと平和なので、いられるだけこの村を楽しんでいこう。


ここでぼやいたかいがあって、父の全集を晶文社さんが出してくださることになった。お金のためでもなく、話題作りでもなく、いい本を作りたいし残したいという気持ちだけで、社長さんが身を削ってこつこつと取り組んでくださっている。
父を愛した人たちの思いはそれぞれいろいろあってもちろんいいと思う。
私も仕事人としての父はよく知らない。娘としてしか見ることができない。
だから、お父さんが最後に望んだこと、そして叶わなくてがっかりしていた様子を思い出して、その夢が亡くなってからわりとすぐに叶ったことが、すごく嬉しくなった。
どこも出してくれないから会社を作って出してしまおうかと言った人もいて、そのために父は私にお金を出してくれないかと言ったが、そんなとんでもない額を私は持っていなかったし、借金してそんなことやっても回収できないに決まってるので(ほんとうに家族泣かせなくらいに商売のできない人でありました。ギャラの高い講演もせず、教授にもならず、その分、身を削ってものを書き、全くぜいたくをせず、人にだけはよいものをごちそうし、妻子をしっかり養って生涯を終えました)、ごめんなさいと謝った。父は笑顔で「いやあ、そうかあ、まほちゃんもそんなにはないのかあ、まいったなあ」と言った(どんだけ儲かってると思ってたんだろ!?)。その会話も今となってはいい思い出だ。
いちばん父が出版社の人に言ってほしかったこと(全集を出させてもらえるなんて嬉しい、自分の最後の仕事になってでもしっかりやります、吉本さんの仕事は残すべきものです)を全部魔法のように仏前で言ってくれた晶文社の太田社長のおかげで、いっそういい思い出になったとも言える。ほんとうにありがたい。
聞いていてほんとうに「魔法みたいだ」「奇跡みたいだ」と思った。
父はずっと「今どきの時代にそんなふうに言ってくれる出版社社長がいるわけがない」と志を同じくする担当の編集者さんに上記のことをそっくり言っていたからだ。
現実的にはとてもむりだけれど、家を売ってでも出してあげたらよかったのかなあ?と想像して、少しだけ胸を痛めていたからだ。私が独り身で事務所もなく子どももいなかったら、あるいはそうしたかもしれない。
一生をかけて探求したものをまとめて残したいという気持ちは、人として当然だと思う。
他のいろいろな楽しみに一切目をくれず、自分の思想の探求以外は散歩と買い食いと昼寝と猫と過ごすのと人と話すのとTVだけが楽しみで、お酒もあんまり飲まないで、つつましく一生を生きたお父さん。へんてこな姉妹だけを残して、孫とたくさん遊んで、自分が死にかけているのに最後まで姉と母の病気を心配して死んでいったお父さん。
「お母ちゃんはどうした?」「さわちゃんはどうした?」「病院の支払いのことでなんかあったら俺に言ってくれよ」って意識があるときにはくりかえし言っていた優しい声がずっと耳に残っている。
俺はどうなるんだ?とは一度も言わなかった。
毎日がちょっとずつ死んでいくだけの日々、さぞこわかっただろうに、痛かっただろうに。
お父さん、よかったねえ、ついに全集出るってよ。


「さきちゃんたちの夜」が無事に出たので、お礼参りに九州に行きつつ、アニキのところで出会った都城の人たちをたずねていった。
東京ではなく都城で自分の思うままに生きようとすることがどんなにたいへんなことか、私には痛いほどわかる。
…っていうか東京にいたってたいへんなことが田舎では千倍くらいたいへんになるってことが。でもひとつひとつ自分の手で道を開いてきた彼女たちや彼は、美しい自然に力をもらって、言い訳しないで毎日こつこつとさわやかにがんばっている。
都城で温泉に行ったりマッサージを受けたりおいしいコーヒーを飲んだり、雑魚寝してそこんちのおいしいごはんを食べたり霧島に行ったりしていたら、すごく幸せであると共に、ふだんの彼女たちや彼がどんなに忙しくてそんなことを楽しむひまがあんまりないのこともよくわかった。
楽で幸せな人なんかひとりもいない。
だからこそ楽で幸せそうに、そう見せようとむりしないでもそう見えちゃうような生き方がさわやかだと思う。前にも書いたが、それが全ての理不尽なものに対しての、結局は最高の復讐なのだ。
帰りは宮崎市内に寄って、帰省していたフラ友と夜更けに温泉に行ったり、フラ友のパパの車に乗せてもらってみんなでドライブしたり、やってきたのんちゃんと合流してカラオケに行って、四人で手をつないで椰子と満月の下をぶらぶら歩いたりして、夢みたいな毎日だった。
それから綾という夢みたいな風景がいっぱいある場所に行った。見るからに土がよさそうで、日本人の原風景がみっちりつまっている。果物も野菜も米もぷちぷち音がしそうに元気!早川農苑さんでいただいたにんじんジュースは、血が活気づくほどの甘く生き生きしたおいしさ。
でもそんなすばらしい場所でも人々が争ったり比べたりねたんだりしあっているのが、たった半日でも見て取れた。村おこしの勝ち組負け組、急な忙しさにイライラする人とひまでつらい人…きっといろいろあるんだろうな。
そういうのに参加しない謙虚な人は必要以上にひっそり優しくしてる。
人間って本来そういうものなのかもしれない。
だから、あの人にこうされたっていうような話は、どんなにむちゃくちゃされたとしてもとりあえずいつでもいったん置いといて、人間はいつもそういうものとわかった上でふらふら泳いでいくのがいいのかもしれない。
それはそうと、宮崎観光ホテルはあまりに立派すぎてはじめどきどきしたのですが、みんな親切でとってもいいホテルでした。さらに朝ご飯のビュッフェが素朴ながらとっても豪華でした。心からおすすめします。
それから有名なみょうがやさんの鶏版、鶏みょうがやさんも、道に迷ったり予約変更したりしたのにいつも親切に対応してくださり、頭の下がるような思い。そこで食べた炭火焼の鶏は、目の前でじゅうじゅういってないのにもかかわらず今まで食べた鶏炭火焼の中でいちばんおいしかった。全てがていねいに作られていて、清潔で、すばらしいお店。
若い人が普通に「今日も仕事がんばろう」っていう感じで働いているのを見るのはすがすがしい。私が荷物を宅配便で送ろうとしてあたふたしていたら、ホテルクロークのお兄さんがダンボールをずっとあけて待っていてくれて、最後はいっしょにつめてくれたり、ホテルの温泉に終了三十分前に行ったら「ほんとうは十一時二十分までに出てここにいらしてほしいんですけど、少しだけならお待ちしますよ!」と行ってくれた受付のおばさんや、鶏みょうがやさんの人たちが並んで見送ってくれた光景の、温かい思い出が胸に残っている。
 
 
自分が一時期三つの接客業に従事し、さらにそのお店のうち二軒が最終的になくなったことで、二つのパターンのお店の初めから終わりまでをじっと見てきたから、接客についてよく考える。
宮崎で行った他のあるお店はものすごい人気店で、高級とカジュアルの中間くらいの位置づけとお客さんを一日三回転させるシステムで一人勝ちしている。
なるほど、そうすると確かにもうけは出るだろう。仕入れたものも効率よくはけるし、言うことはないはず。
座ってからだいたい六千円の全てのコースが一時間強で出てくる。さっさと作り終わり出し終わって片付けを始めるお店の人。
「時間までどうぞごゆっくり」と言われつつ、目の前に並んだ食事はどうしてもたまって冷めていく。
誕生会の人も送別会の人も家族での夕食もデートも、全てひとからげで一時間ちょいだ。
そうしている間にもどんどん人が入ってきて、今日は予約でいっぱいだとどんどん断られていた。申し訳ありません、またいらしてくださいねと言いながらも、お客さんを見ないで手元の伝票を見ている入り口の係の人。
もともとはすごくのどかで、特別のときにしか行かない高級店だったんだと思う。急に席をひとりぶん増やしてほしいと言っても快く対応してくれたし、わざわざ電話をかけなおしてきてあいている別の時間を教えてくれたり。そのあたりは宮崎ならではのゆるいいい感じが息づいていた。
まあすべてあたりまえのことだし、商売なんだから問題はない。
俺は牛じゃねえ、目の前にえさをつまれて帰られても、喜んで無言でもぐもぐ食べたりしねえ!とも思わない(食べたけど、そしてちょっとだけ思ったけど)。
六千円なら客が敷地を借りるのはまあ二時間が妥当だろうから、一見なんの問題もない。
それでもこのにぎわい、長くはないなとうっすら思った。あと二代が限界だろう…。
いくら宮崎がのんびりしているからといって、このやり方以外のやり方でもっと人気が出る店舗が出てくることは想像に難くない。また私はいくつかの、鮮度が非常に重要な食材を扱う業種で同じパターンを見ている。素材と素材との歴史にまつわる特殊なプライド、そして素材と金銭の関係が重視されているがゆえに、成功したときにはお客さん本位ということをいつのまにか忘れてしまうのだ。
お店ってなんてたいへんなんだろう、クリアするべきことが多すぎる。
だから私はいつも飲食店を感じよくしかもうまく経営している人たちを尊敬する。
前に働いていた店が営業不振のとき、経営側の人が「社長はあなたたちのバイト代を払うために他の仕事増やしてるんだから、それを思って必死にがんばりなさい」と言っていたが、これもまたまさに現場本位でない考えだろう。私も常にうっかり言ってしまいそうな言葉だが、やはり、おかどちがいだと感じる。社長がいちばん働いていてかつ現場にしょっちゅう足を運んでいないからこそ、不振になったのだ。そのへんが現場と経営側の感覚がずれやすい部分だ。
これらは自分も顧みてみる価値のある重要なテーマだと思う。
自分では店をやる才能はないので、自分の仕事を店に、小説を食材に置き換えて、じっくり考えたり実行してみようと思う。
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