人生のこつあれこれ 2013年3月

お父さんがいなくなった(もちろんお母さんもだけど、そっちはまだ半年だから)悪夢のような一年が終わった。
今ぐらいがいちばんしみじみ落ち込むものですね…だってほんとうにもう会えないんだもの、一年も親に会わないなんて人生はじめてね!まだまだびっくりしちゃう!
よく大人が言っていたけれど、大人になっても小さい頃の自分はその中に全然変わらずに住んでいるから、大人になったからなにかが変わるわけではないっていうのはほんとうみたいだ。
それを出すか出さないか、隠すか発酵させるか、そんなようなことが違うだけなんですね。
…というのはともかく、自分がどうやって三月を乗り切ったのかわからないくらい、忙しかった。
忙しいという字は心を亡くすというのはほんとうです!
いつ寝てるのかわからない毎日なので、足元にいる犬や猫にも愛を注げない、そのくらいヨレヨレ。意味なく転んだりうまくしゃべれない、そのくらいボロボロ。
でも、ちゃんと回復のために時間をとれば、別にお金をかけなくたって体は応えてくれる。体ってすごい。自然ってものすごい。
その畏怖の感覚があれば、たいていのことはこわくない。
私たちが右往左往したり、泣いたり、欲にまみれてもめたり、社会が改善されなくていらいらと悔しい思いをしているあいだに、微生物たちは今もものすごい勢いで様々なものを分解して自然に返そうとしている。
なにも言わずに大人として誠実に働いている人たちがいっぱいいる。
そういう可能性を思うだけで頭が下がる思いがする。
人間は自然から生まれてきた。キャッチコピーみたいにあたりまえに言われるけれど、ほんとうのことだ。みんなお母さんのおなかの海で十ヶ月育って、大事に抱っこされたことがある仲間なのだ。
人間って多少のでこぼこがあっても大きな目で見たらいっしょだし。
自然の前には、あなたや私の主張そして一生なんて、時間さえかけたら簡単に分解できてしまう小さなものだ。ほんと、だれもかれも大して変わらない。分解できないものがあっても、永遠には残らない。
だから今日も人として少しでもよくなっていきたい。
よくなるっていうのは、優等生になることじゃない。
流れに反することを一個でもしない、そういう感じのこと。


「アムリタ」以来の四百五十枚を、この家事炸裂、金策駆け回り爆発の生活の中で書き上げた。
中短編専門の私なのでできはそんなによくないけれど、試みとしては十年に一回くらいやるべきことなので成し遂げて自信がついた。
成し遂げるっていうのは、何回も言うけどどば〜ん!ばしっ!よっしゃ!みたいなものではなくって、這うようなじりじりしたきついものだ。でも、振り向いたらちゃんとやったことが形になっている。
頭で考えたらとても太刀打ちできない。
こんなにやってこれっぽっちの結果?ともし頭で考えたら思うだろうと思う。
頭で考えなければ、ぞっとするほどのことをいつのまにか成している。
今月はその上、契約関係が内容よりもたいへんだったふたつの仕事、ヨーロッパ映画の脚本のアドヴァイザーの仕事と、スンギさんの小説の仕事があったので、頭の中がアジアだかヨーロッパだかもうしっちゃかめっちゃか。重なりすぎて大混乱。
でも、こういうときにこそ心の筋肉がつくのです。
今年はもう、あとはじっくりやっていくシフトに切り替えてこつこつ行こうと思う。
七尾旅人さんの曲をタイトルとリード部分に使ったので、許可を得にいったら、今夜来ませんかってライブに呼んでくれた。これまで何回か生で聴いたけれど、いっそううまくなっていて、彼の歌はほんとうにすごい。歌の持つ力にただただ圧倒される。
そして人間がほんとうは楽器だっていうことを思い出す。
生きてる楽器は今日しか奏でられない音を奏でる。そのことをいつもいつも簡単に忘れてしまうけど、彼みたいな人が思い出させてくれる。
七尾さん、その偉大な才能よ、ありがとう。


白髪が毎日出るくらい頭を使っていると脳は「今すぐに米を食わせろ」と言ってくる。糖質制限が流行っている昨今、真逆の世界に今私は移行中だ。
毎日だいたい雑穀米とちょっとしたおかず、具が二種類以上のお味噌汁。
まさに若杉さんというすてきなおばあちゃんが言ってるみたいな食事が多い。あのおばあちゃんの反米精神のパンクさにいつもほれぼれする私…。
私の中年期、食に関するこだわりはたった一点「いろんなものをちょっとずつまんべんなく食べる」。この中にはカップヌードルとか変な色の飴とかも含まれている。そして外食はほんとうに自由に楽しく食べて、家では地味めし。
こんな感じでいいんじゃないかな。それ以上がんばるときは、病気のときや、バランスがおかしいとき。そうなったら、ほんとうに食養をやってみる価値はあると思う。ただ、健康なときの人間はかなりキャパシティが広いから、無理ない範囲でまんべんなく食べるというのが潜在的な力を鍛えるためにもやっぱりベストだと思う。臨機応変がいちばんだ。


綿矢りささんと対談。
かわい〜い人だったけど、頭の中は私と全く同じ「ザ・オタク」。十分以上しゃべると、モテるかわいい人の要素がどんどん減っていく〜。でも、きっと、相手が男の人なら、十年くらいはだましだましいけるはず(はげましているのよ)!
ふたりでゾンビの話が止まらなくなって、編集の方々にはご迷惑をおかけしました…。
まじめな話、作家ってみんな同じ種類の生き物だ。
見た目や話しているその人以外のもうひとりのその人がいて、その人と同時にいろいろ味わってる。
ジョジョで言うと(この比喩がすでに大オタク!)ちょうど「作家」というスタンドをみんなが連れて歩いてる感じ。
私には作家別にそのスタンドの姿さえはっきり見える。
私のスタンドとりささんのスタンドは、本体たち(もちろん仲よしですけど)よりずっと仲むつまじいと思う。
私のように変な視点からものを見ない人たちから見ると、作家というものの持っている独特なダブルの気配は、得体の知れない深みに見える。だからスタンドを育てすぎるとやがて川端先生や夏目先生みたいな立派な妖怪(もちろんほめています)になっていくのじゃよ。
私もちょっとかわいい妖怪になっていけたらいいなと思います。
 
 
変な視点からと言えば、アレハンドロ・ホドロフスキーの自伝がやっと邦訳され、変な人生を送っている私からしたら「なにこれ、全く同じ!仲間だ!」としか思えなかった。ほんものの変人&珍本なのでおすすめはしないけれど、みなさんに元気をあげる作品を書くために私の養分になっているのは彼のような奇人の先人だ。
私は自分の奇人を炸裂させるものも今後は媒体を選んで書いていくだろうけれど、やっぱり普通の毎日を送っている人たちに奇人にしか持てない変な元気を間接的にあげたい。翻訳して、わかりやすくして、この世の秘密のパワーをみんなに届けよう。ひとりでも多くの人が心の自由を取り戻すために、小さく戦っていきたい。
初めに海に石を投げていたらイワシが大漁に打ち上げられた場面、現実と幻想が混じっていると評論していた人がいたけれど、あれは現実にあったことだと思う。宮本輝先生の小説の有名な蟹のシーンくらい現実。
私も何回か同じような体験をして「ど〜しよ〜」と思ったから、間違いない。
ああいうことって、あんまりみんな信じてくれないけど、ほんとうに起きちゃうし、そこが世界の裏側に通じる扉なのでしかたない。一回開けたら、もう元の目ではものを見られない。
全部が非情なまでの因果応報の絶対的な計算で満ちていて、ほんとうにびっくりする。
それを翻訳してわかりやすく書くのが、私の人生の仕事です。


ハワイに久しぶりに行った。もともと時差ぼけな毎日なので、どこが時差ぼけでどこが眠いだけなのかわからなかったままで数時間のトレッキングにも行った。引きこもり執筆生活での体力の衰えを痛感しながらも、緑の濃い中をひたすら足を動かすのは楽しかった。
ワイキキはますます混沌としていて、ホームレスがほんとうに増えた。ワイキキのホームレスは他のどの国よりも色とりどりな備品を持っているのが悲しい特徴です。
学生であるちほちゃんと愛犬モアナちゃんとずっといっしょに過ごしたので、学生で活気づくチャイナタウンなど、普段なかなか行けない犬連れオッケーのすてきな場所にたくさん行けた。アジアの文化の誇るべき点と、大きなアメリカからちょっとはずれちゃったアートな人たちがそっと文化を育てていてとてもよかった。
どんなに薄まっていてもやっぱりハワイに吹いている甘い風と静かな雨は変わらない。
どこにいても自然がこっちを見ているみたいな優しい気配。
だらだらと朝は寝てばかりいたけれど、それもよかったと思う。
静かな雨、ちょっとしたカフェの軒先に集う人々、雨上がりの光。
そんな全てが昔の日本みたいで懐かしくて胸がいっぱいになった。
日本からいっしょに行った、ふだんなかなかいっしょにゆっくり過ごせない友だちと子どもとおしゃべりしながらのんきに歩いていたら、今がいつで、私たちがどうやって知り合ったのか(子どもも含め)忘れてしまいそうになった。別になにをするでもなくいっしょにいられれば楽しいんだ、と思った。
きっとおばあちゃんになってもこんな気持ちになることはあるんだろうなと思うと、すごくのどかな幸せを感じる。きっと犬や猫もいつもこんな気持ち、感じているんだろうな。


スンギさんの小説の仕事、私は彼が出る映画の原作がやりたいというのがほんとうの夢なので、今回は依頼されて突然にやることになったとてもイレギュラーな種類のものだった。
くわしいことは単行本の裏話コーナーに書かなくちゃだからあまり書かないけれど、とにかく、スンギさんの会社の社長がすばらしすぎた。女心に女がほれたって感じで、彼女の会社に属したいくらい(残念ながら部署がない!)。あの人が見てきたたいへんなもの、乗り越えてきたピンチの数々を思うと、ほんとうに抱きしめてオイオイ泣きたいくらい感動した。そしてやっぱり思った。
「この人、知ってる人だ、会ったことないはずがない」
もし前世があるなら、私たちはいっしょにいたことが必ずあるだろうと思った。同じ軍隊の戦士とか、そういう感じで。
彼を通じて私が見ていたものは、あの社長の魂だったのかもしれない。
私が好きなのは「イ・スンギ」という巨大なプロジェクトそして唯一無二の彼の歌声なんだな、と思った。彼個人ではない。でも、もちろん彼の姿でしかそれは実現できない。そこがすばらしい。あんなに若いのによく全てを受け入れて咀嚼したと思う。すごい根性だ。きっと世の中にとってもすごく大きなプロジェクトなんだろう。
私はそのプロジェクトの方向性だけを描いて、この仕事からすっと去ろうと思う。
でも、あまりにも深すぎて社長にもスンギさんにも「僕をどこで見てたの、コワい!」「似すぎててほんとうにスンギが書いたと思われるからフィクションだってちゃんと伝えて」と引かれさえしました(涙)。
でも、ほんとうに、それが作家というもの。魂にひそんでいるその人の声にならない声を代わりに発する仕事。
ananは女子の雑誌だから女子向けに少し高邁にそしてかっこよく描いたけれど、私が彼らから受けとったメッセージはやっぱり素直でまっすぐで強いものだった。
こんな大きな仕事をすることになって、私はあのとき抱いた「う〜ん、この人知ってるなあ、いつか必ずいっしょに仕事するんだろうな」という変えられない直感がほんとうだということを確信した。
これが次にどういう時期にどう出るのか、とても楽しみ。
これから混沌としていく社会の中、アジアの結束、各国の大切な文化の保存、モラルと自由の概念を伝えていく…そんな大きな夢の一部に、私も彼も組み込まれている。なにか大きなものの意志によって。
ひとりでも多くの人が、スンギさんを通じて「健康な人生」の凄味と奥深さを知ってほしいなと思う。
「真実は必ず通じる」スンギさんの会社の社長はきっぱりと、きれいな目で私をまっすぐに見てそう言った。
私もためらわずにその道を行こうと思う。力まずに、鼻歌まじりで。


復興がテーマだったので、久しぶりに講演会的なものをやった。
イベント会社の人たちの一生懸命さに胸打たれながら、来てくださったみなさんのにこにこしたかわいい顔を見ながら、たまにはこういうことしないとなあ、としみじみ思いつつ、やっぱり終了後に本を売りながらサイン会っていうのがあまりにもわかりやすすぎて恥ずかしいなあと思ってしまう。
でも、主催する側にも会場を借りる費用の都合などあるわけだし、そこは協力してあげなくっちゃしかたない。
私は、自分がライブに行ったときもいつもそうだけれど、帰りにみんなでライブのことを話しながらご飯食べたりお茶するのも大好き。
帰りにみんなが近隣のカフェでお茶したりご飯食べながら今日のことをしゃべっているのを見たら、すごく幸せになって、疲れたけどやってよかった、と思った。
よくここまで来れたね、という調子の悪そうな人もたくさんいた。
来てくれてほんとうにありがとう。
で、いっぺんに会ったからこそ、三十代の人たち全般にあるひとつの傾向をとらえた。
今三十代の人たちは、表向きとてもいい人たちだし、礼儀正しく、優しい。でも決定的に洗脳されている点はやはり「ひとりでいても完璧で穏やかで優しくあるように絶対それを目指さなくちゃいけない」というところだろう。時代の風潮なのか、教育がそうだった時期なのか、わからない。ただ、その優しさがなにかあって崩れなくてはいけないようなとき、自分を責めて真逆にふれてしまう可能性がある。そうしたらもうめちゃくちゃにもろいし、とりかえしのつかないことをしてしまう可能性もある。
彼らの秩序ある世界でしか通用しない優しさはもしもほんものの悪(存在します)が勢いよくやってきたら、たちうちできないタイプの優しさなんだと思う。みなさん理屈ではわかっていて「悪ってありますよね、だから自分はこうありたい」と言うんだけれど、そういうものって理屈ではなく空気ごと違うから、ほんとうにたちうちできないと思う。でも、理屈と正論でたちうちできるんだというふうに洗脳されてしまっているから、気の毒だ。ほんものの悪の姿、私だって見たらすぐUターンする。ライオンを見つけたカモシカくらいの速さで。
本能がいちばん大事で、体が逃げたら逃げていいのだってことを、無視するように教育されてしまっている…。
たいていの若いみなさんが「体が逃げるから逃げていいんですよね?」って言ってくるときの「体」は「頭」だ。みんな体の反応を抑えすぎて、体の発言を聞けない状態になってしまっている。
これから少しずつ耳を傾けていっても、取り戻すにはかなりの時間がかかる。
もちろん私だってまだそんな大きな健康さ優しさには到達してないからこそ、単に世代が違うし見てきたものも違うからこそこんなことが言えるのだ。
もうひとつのよく見えるパターンは、巨大なこわいものに触れるくらいなら、こわいからもう絶対自分の世界から出ません、平和でないものには接しません、という人たち。そういうふうに棲み分けがいっそう強固になっているから、自由な空間が足りずに息が詰まっているわけだ。
なにか人生の重みに関わる重大なピンチが訪れると彼ら彼女らは全員こぞって、いっそうストイックになったり、無理な完璧さを自分に課しはじめる。そうすればだれかが助けに来てくれるだろうというふうに。でも助けは来ない。自分しか自分を助けられない。だからこそ、それじゃ体も心もまいってしまう。
フレキシブルにとよく桜井会長はおっしゃるが、まさにそれが必要なんだと思う。
でもこれも国家などが望んだ形なんだろうなあと思うと、まあその中にいるほうが無難ではあるからね、とも思う。私は作家だから冒険して話を持ち帰りますけどね。
ただ、自分の一個しかない体と心はだいじにしてほしい。
握手すると、冷たくて固い手の人がほんとうに多かった。
やっぱり日本人にはあの大きな肝臓や腎臓を持ち体に熱を作りやすい欧米の方々と同じ服装はむりなんだと思う。高温多湿だし。
初めは外から温めたり冷えないようにしてもいいから、だんだんでいい、内側がぽかぽかしている快適さに目覚めてほしい。ストイックにではなくて(ストイックにやると体は硬直するから)、食べ物に気をつけて、冷えにも気をつけて、便秘もしないで、とにかくぽかぽかして気分がいいし、なんだかわからないけど明日が楽しみ、そんな「快適」というものを第一目的にしてほしいなっておばちゃんは思った。
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