人生のこつあれこれ 2012年11月

今年のつらい時期、毎日のようにジョジョシリーズを読んではげまされていたから、ジョジョ展の記念パーティで荒木飛呂彦先生にお目にかかったことはすごいはげみになった。
あの八方ふさがり感&希望がないのに戦う人々の勇気は私にとてつもない勇気をくれたのだ。
自分はインフルエンザ、父のつらい入院と死、姉は病気からよれよれで生還、母の死、親友の死、そのことを乗り越えてくるあいだずっと、ああいう思想のまんががあったおかげさまで「一切希望がなくても歩くんだ」と私は思ってこられた。
あんなすごいまんがをずっとひとりこつこつと描いていらしたことが、原画の全てから切に伝わってきて、ジョジョ展は圧倒的な迫力を持っていた。
それでもご本人はあくまで謙虚で優しく、思った通りのすてきな人だったのがいちばん嬉しかった。
幸せな気持ちでほんわかしていたら、なんとうちの子どもは安孫子先生に、夫はちば先生に、それぞれ勝手にお願いしていつのまにかツーショット写真を撮っていた…!さすが一人っ子たち、自由だ!



韓国の明洞にある混み混みのロッテデパートで友だちが化粧品を買っているのをなんとはなしにうろうろしながら待っていたら、うちの子どもがトランプを切り損ねて床にたくさんばらまいた。混んでいるデパートの狭い通路に、思い切りやってくれちゃった。
「だからこんな場所でトランプ切るんじゃないって言ったのに!」
とふだんだったら思うし、そのときももちろんそう思った。
そのとき、私は別の友だちにつきあってちょっと席をはずしていて、戻ってきたらいきなりその状況だったのだった。
もちろん「人に迷惑をかける場所でトランプを出すんじゃありません!」と叱り、
「自分で拾いなさい!」と言った。そうするべきなのはあたりまえだとも思っている。
でも、そんなてんやわんやの中、化粧品売り場のものすごくきれいなお姉さんがすっとしゃがんでいっしょにトランプを拾ってくれて、ありがとうと言って笑顔を交わしたとき、その場の空気が動いたのを感じた。
思わぬときに思わぬことが起きて、その意外さで空気が動いて、人と心がふと触れ合ったような感覚。
友だちたちも怒りながらいっしょに拾ってくれて、みんなの流れも変わり、ふっと空間に隙間ができた感じ。
そのことをずっと考えていて、次の日みんなできれいな紅葉の道を歩きながら悟った。
きっと、恋って、ああいう瞬間に訪れるんだ。意外で、隙間があって、気を抜いたときに。
だから、集団行動をしていたら恋は生まれにくいし、女の子に好かれる女の子はなにかときっちりつめて考えるから、恋愛に不器用になるんだ。
マイペースで、空気を読めなくて、きちんとしていなくて、隙だらけ…善し悪しはともかくそんな人が異性にモテるのは当然だ。神様がその隙間に魔法をかけるのは当たり前だ。だれもが、余裕が、隙間が、和むのが、意外なすてきなことが、好きなんだから。
この世は全て因果応報である。それは確かなことなのに、なぜか「これをこうしたからこうしてください」が一切通じないのも確かだと思う。
その、インプットとアウトプットがどうしても計算できず、なにがどう出てくるかわからないところこそが人生の妙であり、それがシンプルに見える(願いがすんなり叶うように見える)人は、頭の中も矛盾なく、宇宙との関係が透明&通路が太く通っているだけなのだ。しかし人はその境地までに至っていると「これが欲しい」「あれが叶った」といちいち思わなくなるので、結局同じことなのだと思う。
「私はきちんとしているし、いい人だし、義理も人情も通すし、小ぎれいにしているし、がんばっています。こんなにもがんばっているのです。だから、いい人にめぐりあわせてください」…と昔、私ももちろん思っていた。
しかし自分を観察してみると、恋とはいつも、上下違うパジャマを着ていたり、ひどく転んだり、ギブスして松葉杖をついていたり、道に迷ったり、寝込んだり、ぼさぼさの髪で突っかけをはいて飲みに行ったり…そんなときにしかやってこなかった。
そのことにもっと早く気づいたらよかったのかな、とも思うけれど、私の場合はすべき人と結婚できたし、結果オーライだからまあいいとしよう。
それでも昔から、そしてそのとき韓国で、私はなんとなく思った。
その隙間を愛でることこそが人生の美なんじゃないかな、と。
きれいな空、町中が紅葉でいっぱいの時期の美しい韓国で、二年前までほとんど知らなかった友だちたちと私は歩いていた。不思議な気持ちだった。
もしもなにもかも予想したり、決めたり、自分が有名人だからと慎重に友人を選んだり、フラのときもそう思って線をひいてつんけんしていたら、決してそんな時間はやってこなかっただろう。そのときに好きだと思う人と精一杯過ごしてきたら、この人たちとともに過ごすという結果がついてきた。
悲しいことじゃない意外なことって、いちばんすばらしい。人生の贈り物だと思うのだ。いや、きっと悲しい意外なことだって、ほんとうのほんとうは贈り物なのだろう。死んだ後、きっとそれに私も気づくだろう。

 
 
フラの先輩にJさんというすてきな人がいる。
美人で、ちょっとこわそうで、リーダーシップがあって、踊りもうまくて、舞台ばえして、心意気があって、優しくて…昔、舞台の下から私は彼女に憧れていたものだ。
そんなJさんと、わけあって同じクラスになってしまったとき、私は超ビビった。
この実力で同じ部屋にいていいわけがない、そう思ったのだ。
そう言ったら仲良しののんちゃんだって似たようなものなんだけれど、のんちゃんは同じクラスが長かったのでまだ「この人ってすごい先輩なんだよな」といちいち思わなくてすんだ。
Jさんは私の踊りがあまりにもてきとうなので最初びっくりしたと思う。
それでも優しく話しかけてくれたり、笑顔を見せてくれたりした。
あるとき、私が必死でついていこうとむつかしい踊りを彼女の真横で踊っていたら、Jさんが言った。
「ばななちゃん、アロハの手の持っていき方が少し速すぎる。後はできてる。」
はいっと返事をしながら、私はものすごく感動していた。
私は年もいってるし、腰も悪くて左半分は右よりも回らないし、その上よく休むし、覚えも悪いと来たもんだ、ということで、とにかくみそっかすでなんとか混ぜてもらってるのに、そんなことじゃなくって、普通にJさんがちゃんと見ていてくれたんだ、と思った。
それまでの私は、なんとか逃げたり、笑ってごまかしたり、たとえできるようになりたいときでもあえてやらなかったりしていたと思う(かといって今うまくなったわけではないっつーのがくやしいけど)。
どうしてかというと、女性の集団というのは、それはそれはむつかしいものだからだ。
今同じクラスのトップダンサーたちはさすがに肝が座っているし、一回踊りを見たらもう再現できるくらいの実力を持っているので、とても人に優しい。
しかし、その一つ前のクラスにいたときは、決して目だってはいけない、そういう雰囲気があった。
ただでさえ職業的に目だつ私は「下手なので許して、ふざけてるからだめだと思っといて」作戦でなんとかそこにいられた気がする。
今度のクラスは、もっと上級で、そしてJさんがいて…このように下手でもとにかくいっしょに踊りたいと思うことをみなが理解してくれた。
あの瞬間、Jさんが私に正しいアドバイスを後輩の私に対して分け隔てなくしてくれたときに、私の中のなにかが変わった。私はごまかしたり、にやにやしたり、後ろに下がろうとしたりするのをやめることができた。ほんとうはもうクラスが変わっているのでしなくてよかったことなんだけれど、いつやめていいのかわからなかったのだ。
人を変えるひとことを言う勇気を持っている人はほんとうに美しい人だと思う。
今年は私にとってもJさんにとっても、教えてくれているカプア先生にとっても、大切な人を亡くしたとても悲しい年だった。それでも、この経験をしたのが自分だけじゃないということが、心を強くする。人間なんてそういうものだと思う。
みんなが、仲良く踊りながら、いつかこの波を超えていけることを切に願う。



お父さんと違って、お母さんというものがいなくなったショックは遺伝子的な感じというか、内側からじわじわっとボディーブローで来るなあ、と思う。
体にどうにも力が入らなくって、まだまだクラゲみたいな毎日を送っている。
ある夕方、昼寝(?)していたら、母が私の家の中にいる夢を見た。もうほとんど歩けなくなってからここに越したので、母はうちに来たことがなかった。
「あんた、こういうところに住んでたのね、ふうん。」
と母が言った。まだボケてないし歩けていて、意地悪さがある頃の元気な姿だった。
私は泣いて泣いて、大泣きして、母に抱きつく。
「変な子ね、なに泣いてんの。」
と母は言った。これも照れたときの母の特徴的な態度だった。
そして真っ白い光がいっぱいの階段の上に上がっていってしまった。母が光の中に消えていき、どんどん見えなくなってしまう。
私はまだまだ泣いて泣いて呼び止めた。
そうしたら、母が階段の上から、
「またね!」
と言った。その言い方は、母が人をほんとうに思うときの少しかすれたいっしょうけんめいの発声だった。
起きたとき、私はまだ泣いていて、そして今のはきっとほんとうのことだ、お母さんは今日上に上がっていったんだ、と思った。お別れに来てくれて嬉しかった。急に死んじゃって、その前に会えなかったから。
母は、自分勝手でわがままで子どもみたいで、気が良くてさっぱりしていて粋な人だった。
悪いところも正直に思い切り出し、人に気をつかわず、ありのままに生きて、なにも残さなかった。恨みも弱みも悔いもなにも。
父は違った。父はいろんな人にいろいろななんとも言えないとっかかりをひっかけて去っていった。私の中に潜んでいた、この世の理不尽なことに対する全ての怒りが表に出て来て、怒りで寝られないほどの日々を過ごした。
生きるってなんだろう、人のためになることをするって、どういうことなんだろう。それが報われるとはどういうことなんだろう。
父が亡くなる前に何回か「だいたいわかった」と言っていたのはどういうことなのだろう。
ここには大きく深いテーマが隠されている気がして、私にとって大きな課題になった。これからの人生で、解明していきたい。
謎を解いていきたい。答えを求めるのではなく、人生の謎を掘り下げたい。
それにしても、このきつい経験をしているから、おばちゃんたちやおじちゃんたちはみんな年下の人に優しくできるんだなあ、と心から思う。
「あんたたちもいつかこの気持ちを知るんだよ、それまでせいぜい楽しくやりな」では決してないのだ。
「若いときに若い悩みを精一杯悩んでいると、きっと親が死んだときに乗り越えられるよ、だから応援するよ」という気持ちがいきなり強くなった。
若い人を若いというだけで応援したいような、大きな優しさが私の中に生まれた。
人が年をとるって、淋しく悲しいばかりじゃない、すばらしいことだと思う。



単なる韓流好きの主婦のブログにかなり似ている内容だが…。
去年の夏「僕の彼女は九尾狐」というドラマにはまり、はじめは主役の女優さんシン・ミンナちゃんのファンだったのだが、その流れで男側の主役のイ・スンギさんを見ていたら、なんとも言えない気持ちになった。
「あれ?この人知ってる、絶対知ってる」という気持ちだった。
多くの人が親しみある雰囲気の彼を見てそう思うと思うけれど、あるいは国民的に有名な人…たとえばさんまさんなどを見て、そんなふうに感じると思うけれど、もっともっと、気持ち悪い感情だった。たまにこういうことがある。夫に会う前に彼を雑誌の写真で見たとき、生まれてきた子どもをはじめに見たとき。
それから、幼い頃ダリオ・アルジェントの映画を観たときに「この監督は自分の一部だ」と思い、後にやはり彼ともお嬢さんともつながり、目に見えないコラボレーションをいっぱいするようになったとき。
そんなときにちょっと似ていた。
恋でもない、運命の人でもない、とにかく単に知ってる人だったのだ。
知っているから、応援しなくてはいけない人。
この人が今日もがんばっているなら、私もやらなくてはいけない、そういう人。
自分の人生のパズルの、大きなピースのひとつ。
それから、彼は私の生活の一部になった。
父が死んでいくときも、毎日彼の姿を見て救われていた。
新潟に旅行に行ったときも「華麗なる遺産」を持って行って宿で家族で一本観て、帰りに父の病院に行ったりしたくらいだ。なんて懐かしく愛おしい時間だろう。
父が亡くなった知らせを聞いたときも、部屋には彼の歌が流れていた。
母が亡くなったときもそうだった。彼の歌はいつも私のそばにあった。
彼の演技や歌やたたずまい…つまりその才能には、なにか大きな知性や人を癒すものがある。人間はこういうときにこういう反応をしてほしい、という願いを満たす本質的なものがあるように思う。だから、私たちは家族三人でいっしょに彼のファンになった。みんなで彼の番組を観たり、ドラマを観て、共通の話題ができて行きたい場所も共有できた。友だちがこぞって彼のグッズをくれたり、この話題を通じて新しい友だちもたくさんできた。彼の才能は私たちにとって希望であり、この時期とても少ない楽しいことのひとつだった。
そんな時間をくれたスンギさんに心からの感謝を捧げる。
私の韓国での出版社の人たちはそれを聞いてとても喜び、チケットの手配などしてくれると同時にずいぶんスンギさんの事務所にいろいろ言ってくれちゃったらしく、今回韓国に行くにあたって「面会はむりですから」と前もって事務所から釘をさされたくらいだ。
私は彼に会ったり握手したり写真を撮ったりしたいわけではなくって、いつか彼と大きな仕事をしたいなと思っているだけだったので、全然いいですよ〜!と思っていた。
しかも、旅立ちの前日の夜中に、私はウィルスにやられたらしく、立てないほど熱が出て、吐いて、下痢して、一時は韓国行きを断念したほどだった。
ほんとうに這うようにして空港に行き、飛行機の中で何回もトイレに行き、ホテルについたら倒れ、朝から水しか飲んでいないが水を飲んでも吐くという状態で…私はなんとかライブに行き、
「う〜む、どんなに好きな人のライブでもさすがにきつい」
と思いながら帰って、ひたすらに寝た。
翌日少し回復し、ライブ二日目に行く直前に、
「スンギさんが面会を望んでいる、十分くらいしかないが、終わったら楽屋に来てほしい」
と言われた。あまりにも急だったので、手ぶらで行くのもなんだしと自分の本を買いに行って、ボールペンでサインして、それを渡すしかできなかったほど。
少し回復した私にとって二日目のライブはとにかくすばらしく、今年一年、彼の音楽と過ごしてほんとうによかったなあ、と私は思った。
しかし出版社から派遣された通訳の人がほんと〜にものすごい抜け作で、日本語どころか韓国語もあやしい存在だった。悪気はなさそうだったけれど、とんでもない人だった。
私は、スンギさんのブログを書いていつも快く情報をシェアしてくれるまやちゃんに「もうしわけないが、ひとりなら楽屋まで連れて行ける。ついてきてもらって、お友達に先に行ってもらえないか?」と無理を言ってついてきてもらったのだが、それが幸いした。まやちゃんは韓国語がしゃべれるのだった。
かくして、さんざんなことがいろいろあったあとで、まやちゃんに訳してもらって、ほんの一瞬だがスンギさんに会うことができた。
私の感想は「やっぱりこの人、知ってる人だ」というものだった。
もちろんかっこよくてすてきだったし、今韓国でいちばんホットな芸能人なのでセキュリティもかたく、頭は超小さく、背は超高く…でも、やっぱり思った。
「この人とはいつか、日韓の平和のために、力を合わせるだろう」
ダリオ・アルジェントとつながり、娘さんとつながったように。表には見えにくいけれど、それぞれがそれぞれの現場で人を救うとき、それぞれを励みにするために。
それは自分でどうこうできない、縁であり、運命なのだ。
もし私がたとえグンソクを超愛していても、ねじまげて持ってくることはできないのだ。ダリオ・アルジェントをスピルバーグと取り替えたい!そのほうが予算や得なことが多そう!とたとえ思ったとしても(笑)、できないものなのだ。
みんなで握手したり、写真を撮ったりもしたけれど、それは達成ではない。自然にしているだけで、いつかなにかがつながる。ここは第一歩だ、そう思った。
…で、実はここからが本題です。
まやちゃんのお友達の韓国のおじょうさんふたりと、関西から来たおじょうさんは、お店で待っていてくれただけではなく、私とまやちゃんに、
「スンギさんに会っていたことは、知ってます。でも、私たちがついていったら困るだろうなと思ってました。だから気にしないで、それよりも話を聞かせて。」
と笑顔で言ってくれた。
それは、同じファンとして、ねたましかったり、くやしかったりして、なかなかできることではないのだと思うのだ。
心の中で無理して、えいっと切り替えてくれたんだと思うのだ。
なんてすてきなことだろう、と私は思った。感動したとしか言いようがない。
みんなでごはんを食べて(しかもこっそりとお支払までしてもらってしまった。私がおごるって言ってたのに!)、笑って、昔からの知り合いみたいに過ごすあいだ、私の心はとても温かかった。
同じ人のファンであるというだけで、みんなが元々の知り合いみたいな感じ。
もしも私のファンの人たちが出会ったとき、こんなふうに温かい時間を過ごしてくれていたらと思うと幸せになる。そんな場を創るために、私はいっしょうけんめいに書いているんだなと思う。
 
 
 
おなかがピーピーで、吐き気もゲロゲロであったあいだ、転んでもただでは起きない私は、あることに気づいた。
「私は今、水と野菜と果物と豆とみそ汁しか受けつけない!」
酒も飲めなきゃ、肉も食えない。コーヒーもお茶もだめ。胃液が何回も逆流したので消化管が荒れてるらしく、何が通っても不快感があり、しょうがない状態だった。一日で二キロ痩せた。
「脅威のノロウィルスダイエット」という本を出そうかしら…。
しかしそんな私でも、水と野菜と豆とみそ汁を食べると、正しく栄養が補給されるのだ。
これでは、まるでヴェジタリアンではないか!
つまり、人は野菜と果物と豆とみそ汁(あまり具のないスープ的なもの)以外のものを食べたり飲んだりして消化するのに、そうとうなエネルギーを消費するのだと身をもって知った。
牛丼とかビールとか餃子とか焼き肉とか、なんでもいいけど強烈なもの、それらはよほど鈍いか、よほど元気でないと食べられないのだ。
私はそこで「よし、それなら消化などにエネルギーを取られず、体にいいものだけ食べよう」という方向には決して行かないタイプだし、もしそう思う人はそうしたらいいと心から思うのだが、とにかくヴェジタリアンというものは「最低限の摂取で最高の効率で栄養を取る」という実に現代的かつ合理的な考え方なのだなあ…と感心してしまった。少なくとも原始時代にはなかなかやれないことだっただろう。文明的な生活の中でしか成り立たない考え方なのだ。
どうしてそこで行かないのか?というと、もちろん私のこのすごい食欲や人類がつちかってきた食文化へのリスペクトがいちばん大きな理由なのだが、なによりも私は「なにかのためになにかをする」という引き換え的な感じがあまり好きでないのだ。
こればっかりは好みだからしかたない。
先ほども書いたが、インプットとアウトプットの妙こそが、知りたいことなので、しかたないのだ。
そして好みはだれのどんなものであっても、ある程度優先されるべきと思っている。
それがなくなったら人類はバリエーションを失って滅亡してしまう。
人はみんな同じ、源はひとつだ。そこまでは確信している。じゃあなんで個々があるのか?その存在の意味は、それぞれの好みだけが違うことを表現するため、それでも互いに認め合うことを学ぶためだ、そう思っている。
その好みが殺人とか戦争とか人を傷つけるものであれば、もちろんそれは人類を巨大なひとつの体だと見た場合にはがん細胞みたいなものだから、失くしていく方向に動くべきだと思う。
個人の好みに戻ると、「健康のために」「動物が好きだから」「このところゾンビを見すぎたから」そのどれもが私が持っている、ヴェジタリアンになれるしっかりした理由だけれど(笑)、私がもし肉を食べなくなったら、それは体が弱い私の場合は「これを差し出す代わりに健康をください」という気持ちに違いないからだ。
私はその私になりたくない、そのようになにかとなにかを引き換える計算をして行動したくない、それは私の好みではない、ただそれだけなのだった。
寄り道好き、隙間が見たい、複雑さを見たい心、生きる本能…なんと呼んでもかまわないなにかが、私を今回もヴェジタリアン界に行くことを阻んだのであった。
そうは言っても、外食は自由にしているが腹八分目を心がけ、家では放射能測定検査済みの野菜を食べ、白米は食べないし、肉も週二くらいしか食べず、健康には気をつけているほうだとは思う。そしてその心がけが確実に自分の体調に影響しているのも感じている。それでも、そんな私でも、食べ物のことが必要以上に気になるときは、体調や精神状態にとっては黄信号なのを知っている。なんでもあまり考えずに楽しく食べられるときが、私にとって健康なときだ。
自分のことを自分で知るのが、いちばんだいじなんだなと思う。

 
 
国東半島の飴屋法水さんのツアーに参加した。
大好きなzAkさんや朝吹真理子さんも参加していたので、絶対よいものだと信じていたし、自分のルーツが九州なのですごく行きたかった。
なにが起きたかを詳しく書くことはしないけれど、期待を裏切ることは全くなく、後になればなるほどそのすごさすばらしさがわかってくる。
国東の自然の中で、それぞれがそれぞれの才能を存分に発揮しているさまは、その作風が決して明るくなくても、それだけでとにかく明るい気持ちになるものだった。
おどろおどろしく、禍々しく、悲しく、朽ち果てたもの…その中にある命の痕跡を飴屋さんは常に体をはって表現する。それをどうするというのではなく、ただ眺め、共に存在するのだ。底の底で、いっしょに横たわるのだ。
子どもたちの未来を創る、なんていうととても明るく正しい感じがするけれど、彼のしている清濁併せ呑むようなことこそがそういうことなんだなと思う。
ふだん彼はその性格のとてつもない優しさをあまり表現しない。その優しさはおそろしく残酷な冷静さと表裏一体で、どちらも深すぎて語り尽くせないほどのものだし、それが彼の才能なのだから、しかたない。
しかし今回の彼は、その優しさや和やかさのほうを、いっそう遠慮なく表現しているように思えた。
自然が相手だったからだな、と思う。
そして彼の娘さんは、彼の世界を表現することを手伝うためにあのご夫婦の間に生まれてきたんだな、と思った。その才能はすでに花開いていた。彼女がいるだけでそこは舞台になる。その身体能力は父親に匹敵しているし、そのまっすぐな愛くるしさと強さ、センスの良さは母親ゆずり。
ああ、変わらないものってすばらしい。そして続いていくものってすばらしい。すばらしいけれど、あたりまえのことで、そこに意味はあるようでない。
ただただ、そんな気持ちになった。
飴屋さん、みなさん、ありがとう。
別府に子どものとき以来久しぶりに行ったのだけれど、ある意味すごくさびれていて、ある意味ではまだまだ活気があった。昭和のままの町並み、当時の繁華街の痕跡。
九州の人は、銭湯で意地悪などしあっていてもどこかほんわかしているなあと思う。
そんなのを見て、なんていいところだろうと思った。懐かしかった。
餃子も食べたし、ファンの人たちにも偶然会って話せたし、夜道をのんびり歩いたし、かも吸もちょっとだけ食べて、九州の夜を満喫して、町中に散らばるアート作品も見た。
しかし、あまりにも本気な飴屋さんの作品を見てしまったあとでは、あとのアートプロジェクトが遊びに見えてしまった。そこには自己の掘り下げとか厳しい意味での世界への愛とかが圧倒的に欠けていた。そうか、私があまりいろんなアートを見に行かないのは、欠けているものを見たくないからなんだな、と納得した。
だれもが遊びや軽い掘り下げをくり返してだんだん深くなっていくものだから、ちっとも否定的な気持ちではない。みんながんばればいいと思うし、それぞれの良さがあると思う。
ただ、私の心はそれではなかなか動かないなあ、と正直に素直に思うだけだ。
飴屋さんの作品は私の心を根底からゆさぶる。
ゆさぶられたいから、見に行くのだ。
それがあたりまえのことなんだと教えてくれた飴屋さんを希有な存在だと思う。
  2012年11月 ページ: 1