・小説(単行本) 
・小説(単行本) 
・小説(単行本) 
・小説(文庫本) 
・小説(文庫本) 
・小説(文庫本) 
・エッセイ(単行本) 
・エッセイ(単行本) 
・エッセイ(単行本) 
・エッセイ(文庫本) 
・エッセイ(文庫本) 
・エッセイ(文庫本) 
・自選選集
・自選選集
・自選選集
・その他
・その他
・その他
・電子書籍
・電子書籍
・電子書籍
・ヨーロッパ
・ヨーロッパ
・ヨーロッパ
・中東/アジア
・中東/アジア
・中東/アジア
・北米/南米
・北米/南米
・北米/南米
トップページ
トップページ
トップページ
------------------------------
------------------------------
------------------------------
ごあいさつ
ごあいさつ
ごあいさつ
プロフィール
プロフィール
プロフィール
------------------------------
------------------------------
------------------------------
[著作本一覧]
[著作本一覧]
[著作本一覧]
------------------------------
------------------------------
------------------------------
[海外出版物]
[海外出版物]
[海外出版物]
日記
日記
日記
人生のこつあれこれ 2012年9月

今月はとにかくたくさん仕事をした。
長編をひとつ、中編をひとつ仕上げ、次の長編の下書きをはじめて、細かい仕事も山ほどし、ジョジョの短編も書いて、そのためにジョジョの第四部を涙ながらに読み返し、あいまに藤谷くんとトークショーなんかもしてみたり、三砂ちづるさんと対談をするために三砂さんの書かれたものを読み返し、女のからだについてしみじみ考えたりもして、とにかく働いて働いて働きつくした。
これがまた、特にすごいお金になるわけではないっていうのが悲しいんだけれど、それでもああだこうだ言わないで働いた。
過去にいちばん働いたときでもここまでしぼりこんでやらなかったと思う。
そうしたらなんだかすがすがしい感じがした。
「仕事があるのをただありがたいと思え、とにかく続けろ、それでいいんだ、とにかく人のせいにするな」と今の私なら二十代の弱っちい私に言うのだが、バカ売れしたものだから(そのお金はみんなもう実家や人助けや自分の海外経験に注ぎ込みましたが、全く悔いはないです)あれよあれよというまに忙しさのレールに乗ってしまい、その人気者ぶりは仕事にじっくり焦点をあてるどころではなく、家に帰って落ち着いて座って書きたい!といつも思っていたから、なんでもかんでもストレスにしか思えなかった。
今の私が当時の私のマネージメントをしてあげられたらなあ、と思わずにいられないが、まだ人生時間がありそうなので、今からでも少しずつ経験を生かしていこう。
人生でこれまでに仕事をしたことがバイト以外ない上に、バブル期だから先方も接待の経費をなるべく使いたいわけで、全員が「とにかく会ってみたい」からスタートするので、会う時間から捻出しなくてはならない。一日十八時間くらい人に会っていたと思う。
すごいときは人に会いすぎて疲れすぎ、歩くとめまいがするので全く歩けず、電車に乗れず、ひたすらタクシーを呼ぶしかなかった。
でも今思えば、そのときがむしゃらに作った人間関係の中から残ったものが、今も信頼と共に育っているわけだ。
しかし子どもだった私は、準備もせずに忙しさが来たものだから、いつもむりに働かされているような気がしていた。あまりにも税金が高く印税率が悪いから、ますますそう思っていた。
それからえてして企業と代理店というものは、事務作業の中にもやもやしたゾーンを作り「こういうことを代わりにやっているんですが、あなたひとりでは絶対にむりなことなんですよ。でも具体的にはなにをしているか教えません」と言うものだ。正しい営業だと思うし、助け合えるといいと思っているけど、若いときは相手を選べなかったので納得できないことが特に多かった。
それから、よくもまあこれだけ説教されると思うくらい大人に説教された。
出る杭は打たれるって、ほんとうのことだ。
でも私は決して負けなかった。言うことを聞かなかった。聞きたいと思ったときだけ聞いた。表向き静かにしていたが心は自由だ、と歯を食いしばったときもあるし、あからさまに酔ったふりをしたり、走って逃げ出したり、逃亡のバリエーションも覚えた。
がんばっても仕事がない人もいる、人気がない人もいる。だから謙虚であれといつも言われた。
しかし、私は一回も謙虚でなかったことはない。むしろ色眼鏡をかけて見ているほうが悪いと思ったが、目上の人にそれは言えなかった。今はおばさんだから堂々と言える。
「あなたは私の何を知っているのですか?私の毎日を見たことがありますか?私の生きてきたちゃんとした道を知っているのは私だけです」
さらに、私はいつでも休みなく仕事をしてきたのだから、仕事がとぎれないのはあたりまえだと思った。なにも文章を書かなかった日って人生で一日もないと思うし、純粋に全てを休んだことは二十数年間一度もない。入院してもゲラを読んでいたし、高熱で倒れていても参考文献を読んでいた。
しかし記事には常に「この著者がお金が入ってきて傲慢になる前の作品はよかった」「おごっている」「見るからに調子にのっている」「高い服を着ていた」などとやたら書いてあるのだ。
お調子者で子どもっぽいのは生まれつきなのだが、そういうのはとにかくイメージが悪いのだ。
そこでイメージ戦略をしようというほどの時間もなかったし、それこそ面倒くさい。
しかもそのとき着ていた服の数枚は今も着ている(笑)!
本能的なわがままさやいやなことはがんとしてしない代わりに他をがんばる性格でなかったら、今頃ほんとうに死んでいたかもしれない。 あるときなど新潮社に昼時行って昼飯が出なかったら本気で怒ったもん(恥ずかしい!)。
また、例えば横尾忠則さんがどこでもなんとなく私みたいな子どもっぽい感じなのを見ると、ほんとうにほっとする…そういう子どもみたいなところをだいじにしている年上の人たちにもたくさん助けられた。
横尾先生が「もう立ってるの疲れちゃったんだもん、写真撮影終わりにしてよ」などと言ったり、人の話を聞かずにすごい勢いでとんかつなど食べておられると、自分もこうして生きていてもいいんだという気分になる。私もだれかにそう思われたい。
だいたい、あたりさわりのない、大人っぽい、でこぼこしてない、幅が決まっている小説なんて読みたいだろうか?
完璧に天才で全くブレのない文学作品ならもちろん読みたいけれど、私はそんな柄じゃない。
だからでこぼこしていて幼いけど、謙虚でないのでもないし、大人でないわけでもない。その幼さで常にネタを取りにいっているし、そうでないと食べていけない。
ちなみに海外では「物書きはそういうものだ」とすぐわかってもらえるので、ほんとうにバカを見るような目で見られたのはフランスの一社とアメリカのエリート文学界方面でだけだ。
それが反映されている証拠にフランスとアメリカではあんまり売れない!
相性というものなのでしょう…。
私はとにかく、芸術的に高く評価されるよりも、相性の合う人たちに元気をあげたい。その上で作品が高まっていくのなら、いちばんありがたい。それは後からでいい。
話は戻り、そんな過酷なあれこれも、もしも自分からやると決めてやったことなら、ストレスにならないから倒れないのだということを、五十近くなってほんとうに理解した。
…と言うのは簡単なのだが、家事をしながら育児もしながらトイレットペーパーや卵の補充のこともいつも考えながら、ああ、明日はガス屋さんが機器の取り付けにくるから何時から何時まであけとかなくちゃ、植木屋さんを頼まなくちゃ、旅行の手配もしなくちゃ、おお、そう言ってるうちに明日朝九時には東京駅にいないと、あら、学校のお休み届けも出してない! っていう感じで座るひまもない。ごはんは二食で、家ではいつもほぼ立ち食いだ。
今は夜のシッターさんがいないので、ライブと映画にほとんど行かなくなったが、その分夜家でやることが増える増える。
…みたいな毎日を送っていると、面倒なことが一個でも減ってくれ、神よ、とにかく休ませて!
となるわけで、楽しく働けるはずがない。
しかしそんなときに逃げ腰にならず、面倒がどうしたっていうんだ!それくらいなんだ、みたいな感じでいると、厳密な作業やきっちりした経理などは全然できなくなるが、なんとかなるものだ。
これは、あの凄まじい忙しさをいやいや乗り越え、何回も過労で入院した恐ろしく苦々しい経験がなかったら、そしてそれでも書くことをやめなかった事実がなければ、とても体得できなかったと思う。
あのときは、いつかだれかが助けてくれると思っていた。
しかし今の私はだれも助けてくれないと知っている。だからがんばれるのだ。
そしてそう思うようになったらいきなり、ぽつりぽつりとだれかが助けてくれるようになった。
助けてくれるというのは、好きですとか助けたいとか力になるとか言いながら実は頼ってくることではない。そういう人たちもみんなかわいい子たちで大好きだけれど、助けになるというのとははっきり違う。
そういうのは単に「なぐさめになる」と呼ばれる状態だ。
まわりの人間関係を見ていると、そこをはきちがえている人たちが多いから、みんないつももめているんだろうなと思う。言葉だけ聞いて期待したり、いいことを言い合って納得したり。
子どもも大きくなって今はやめてしまったけれど、昔、山西くんが「ファンですとか、小説をありがとうとかではなく、具体的に助けになることをして助けたい、なにか用事はないか」と言い出したときは、ほんとうに感動した。
そしてベビーシッターをしてもらったんだけれど、いつだって自分のペースで過ごしたい彼、しかも赤ん坊なんてあまり知らない彼にとって、どんなにたいへんなことだっただろうと思うと、今も頭が下がる思いだ。私が事務のバイトをするのと同じくらい、たいへんなことだったと思う。
そして彼の作品は、自分のためだけに時間をつかわないことやほんとうの子どもと過ごすことできっと一回り深く大きくなったと思う。神様はちゃんと返してくれる。
助けるというのは、かなりの人生経験をつんだ強者が、ひとりの大人として生きている人が、時間と体を使って具体的に助けてくれることだ。
このあいだちょっと困ったことがおきて、親友のひとりであるオアフのちほちゃんにメールで相談したら、速攻で心のこもったアドバイスが返ってきた。
でも、ちほはそのとき、一人暮らしだっていうのに家中にねずみが出て、穴をふさいだりふんまみれになった思い出の食器を泣く泣く捨てたり、友だちを呼んだり、大家さんと交渉したり、とにかくすごくたいへんなときだったのだ。
そんなことをひとことも言わないで、相談に乗ってくれた。あとから、実はあのときねずみがいっぱいでたいへんだった、と教えてくれた。
そんなふうな人たちが、少しずつ出てきた。昔、人のせいにしていたときにはなかった現象だ。
やっぱり人生にはきっちりとそういう鏡の法則があるようだ。
 
 
友だちのアイリーンちゃんが台湾でくれた蓮の芯のお茶がある。
安眠できて美肌効果も…なんて言われたので、台湾でさっそく夜中にホテルで飲んでみたら、倒れるように寝てしまった。
ああ、昨日はたくさん歩いたし、疲れていたんだね、と朝起きて思ったのだが、そのお茶を飲むたびにすごく眠くなるし、ちょっと濃さを間違えるとまるで熊になぐられたように寝てしまうのである。
いっしょにもらったのんちゃんとちほちゃんにも同じ現象が確認された。
蓮って…あんなきれいな花を咲かせて、実をおいしく食べることもできて、根っこは煮物に大活躍、葉はごはんを包んで蒸せば最高の香りだしお茶にしてもおいしい。
その上、実の中にある芯にまでそんな力があるなんてなんてスーパーなものなんだろう!
蓮をますます好きになった。
植物が地上に与えている力のすごさを思うと、いつも胸がいっぱいになる。
日本でなかなか買えないんだけれど、台湾ではわりとよく売っているらしく、眠れない人にはおすすめかも。
分けてほしいと言われても、不眠の人に配りまくったからもうないので、なんとかネットなどで入手してみてください。
ただし、車の運転や昼間に飲むととんでもないことになります!
とても責任はとれません!のでこの情報は読んだ方それぞれが判断してくださいね。
 
 
この夏も、あんなに暑かったのにいろんなところに行って、へとへとになるまで遊んだ。外食もたくさんした。夏は外食の軽食がいちばん楽だ。家で作ったものはすぐ痛むのでおそろしい。うちには炊飯器がないので、朝炊いたごはんをおひつに入れてうっかり冷蔵庫に入れ忘れていたら夕方あやしくなっていたりする。
夏のお料理はお味噌汁とおひたしだけ。
外食の塩分と油分で疲れ果てた腎臓のために、今はなるべく家でごはんを作り、スープやお味噌汁には根菜の具をたくさん入れて、ほんわかと胃を休めている。
そして「足もみ力」という本にのっとって、足の裏をひたすら棒で押している。
台湾式の痛い棒マッサージには疑問を持っていたのだが、この本を読んだら懸念は消えた。
著者の近澤さんという方が写真とともに「これは腰痛の足」「これは乳がんの足」などとなりやすい病気と足の相関関係を説いているのだが、まさに私の足は甲状腺が弱くアレルギーと腰痛と首痛の足だった!
あまりにも自分の足が自分の病気を表現していたので、この一ヶ月、続けてみた。
おそろしい吐き気に何回か襲われたのち、じょじょに足の裏がピンクになってきた。明らかに足の裏の相が変わってきたのに驚いた。まだまだ特有の病の傾向は消えていないが、かなりいい色になった。
リフレクソロジーのプロのみゆきちゃんに聞いたら、やっぱり足もみとはそういうものだと言う。足の裏にあるあのプチプチしたものをつぶしているうちに、明らかになにかが改善されるのだと。
もっと続けてみたいと思う。
 
 
夏には海外からいっぱい友だちが来る。
なんで私の友だちの多くは海外にいるんだろ、と思う。
みんなでお茶して、歌って、踊って、ご飯食べて、泣いて笑って…そしてまた帰っていってしまう。再会の喜びが大きいほど、別れは切ない。
だから私の夏は今でも子どもの頃の夏休みの思い出みたいに濃縮されている。
いつかみな、体が動かなくなって、それぞれの国でお互いを思うことしかできなくなる。だから会えるあいだにめいっぱい会っておきたい。
子どもの頃、母の親友と母と父が宴会をしているのを見るのが好きだった。いつも忙しくてきりきりしている人たちが、そのときはリラックスして笑顔になって深い話をしていた。
でも今、母の親友は遠くに住んでいるから、年に二回来るのがやっとになった。
最後に三人が集ったとき、うちの両親はヨレヨレでぼけぼけで、母の親友は少し年下なのでしゃっきりしていて、それでもみんなあの日々と同じ笑顔をしていた。
胸がきゅんきゅんして、たまらなかった。
私の髪の毛も白くなりつつある。もう老年への準備を体がちょっとずつ始めている。だから、今、なるべく足を運んで会っておこうと思う。
 
 
それとは別に、久々にフラについて。
私は今となってはほとんど引退か?というくらいに習い事としてしか出ていないので、上級者クラスにいるのが実に申し訳ないんだけれど、舞台に出るトップの人たちと日常を共にしていると、わかってくることがある。
それはやはり、生まれながらに人前に出る才能がある人がいる、ということだ。
そうでない私だからこそ単に習い事なんだけれど、人前に出る才能がある人たちといると、舞台のほうが彼女たちを呼んでいるのがわかる。
息をするように、そして私が文章を書くように、人前で踊ることに向いている人がいる。
そしてえてしてそういう人たちは、基本的にいい人たちなのである。
人はわざわざ舞台で不穏に閉じた人を見たくないのである。オープンで美しくて世界にとけこんでいる幸せな人を見たいのである。だから舞台のほうがその人を呼ぶのだ。
その人たちといっしょに過ごしていると、あまりのおおらかさ、謙虚さ、自然な自信、こだわらなさに驚くと共に、美しいが故にたいへんな目にあってきたエピソードなどもかいまみえ、面白い。
個性でなんちゃってモテをしてきた人(自分か…涙)とか、美人じゃないけどモテる人だとか、そういうちっちゃな規模の話を吹き飛ばすほど「モテて当然で生きてきた美人」は面白い。いくつになっても面白い。
フラって不思議なもので、いつもいっしょに踊っていると、ふだんでも体が寄っていってしまう。巣の中の動物みたいに体が近いのが心地よい。だからこそその人の本質もだんだんわかってくる。わかってくるとますます思う。クセのある人はいても、性根の悪い人というのはほんとうに少ないものだと。ある一定の安心できる枠の中にいたら、そこから出たくないがゆえに人の心は悪くならないのかもしれない。私もフラの人たちに対しては、ほんとうにいい心だけでしか接していない。それは毎週いっしょに踊っているからだ。なにか同じものを共有しているから。
でも、もしもその人たちがやめていって枠のないプライベートな世界であったら、多分そうはいかないだろうなと思う。
これこそが習い事の本質なのかもしれない。
そんな日々のおかげで、私は湘南の海で夕方漠然とビールを飲んでいると、
「髪が長く露出の多い人」がどれだけいても、フラをやっているかやっていないかなんとなくわかるようになってきた。
フラをやっている人は、世界に対して顔や姿勢がひらいている。
きっとどんなダンスもそうなんだと思う。踊りってやっぱり特定のだれかではなくて、天に向けて、神様に向けて発表するものなんだろう。
  2012年9月 ページ: 1