人生のこつあれこれ 6月

優れたものを持っている人を人々に軽く紹介したり、年下の人にアドバイスを求められたときには自分の知恵をシェアするというのは、年上のものの義務だと思っている。
出版社さんには断ったりすることもあるので借りを作れない。だから自分の作品を守るためにも、出版社に人を紹介することは基本的には一切していない。持ち込み原稿は「同業ですので」とていねいにそのままお返ししている。
あるとすればただこういう自分の持っている場で無償で軽く触れるだけだ。その考え方を大切にしてきた。
ある程度仕事を成し、いろいろな経験をし、今は自分のしたいことに集中し、また人生の後半になにを書くかに向かっているので新しい体験をしたり学んだりもしている、そんな時期に私もなっている。
と余裕をかましているわりにはいつもお金が足りないときゅうきゅうしているが、実家に対する金銭の責任が少し減った今、猛然と引き寄せるぞ〜!お金よやってこい!老後にはビジネスクラスに乗れるくらい(いきなりいやしい&案外小さい夢…)!イギリスにはヴァージンエアで、ドバイにはエミレーツで行けるくらいに!ああ、飛行機しか思いつかない!ホテルは五つ星だと気詰まりだから四つ星で!なんだか小さいよ!
とにかくけちに生きたくない。心だけでもいやしくなく気前よくいきたい。


人生は百年ないと思うけれど、希望をもって百だとしたら、五十になるときってとても大事だという気がする。
私はもうしたくないことをしないことに心から決めた。
したいことのなかのしたくないことは積極的に楽しもうとし、したくないことはしたくないというシンプルな考えを日々実行中だ。
最近、前から顔を出していた宴会に行くのをひとつやめた。
理由は、毎回会計のときにいやな気持ちになるからだ。
私は飲食のお金に対してとてもはっきりしている。自分が年上だったら、多めに出すけれどお金をそれぞれから小額もらう。自分が招待したら、全額出す。されたら素直にごちそうになり、手みやげか後日なにかを送る。お金のなさそうな年上の人には、年下のルールを適用して、話し合いもして、知恵も分けてもらう。それだけだ。
もちろんこれは人それぞれだから、それぞれが合う人と過ごすか、合わない場合はきちんと話し合えばいいと思う。
しかしその会に関しては、全く意味がわからなかった。
多分リーダーがいる会だから、リーダーの意向に合わせる、というのが金銭よりも重要な会だったのだろうと推測している。
はじめから「3000円ぽっきり」と決めてお店に言うとか、お酒を飲んだ人はその分多く出すとか、年上の人は1000円ずつ多く出すとか、なにか決まっていれば自分のルール外でももちろん合わせるのだが、そうではなく毎回いったんはきっちりと人数分で割ってから「でもだれだれさんはお酒を二杯、だれだれさんは三杯飲んだ、ソフトドリンクだけの人は損だよね」とかいう言葉がちらほら飛び交う意地悪い雰囲気になり、気持ち多めに払ってすっきりせずに帰ってくるのだが、そういうのがいちばん嫌いな私はもう行かないことにした。
人は日によって、何杯も飲みたかったり、お茶だけが飲みたかったり、サイダーを二杯飲みたかったりする。
私にとっていちばん大事なのはそのことだ。人に会う目的も、飲み食いしたいからではなく、会うのが目的なので、その人の状態も頼み方で知ることができる。
人間、体調も気分も毎日違う。
お酒を多く飲んでごはんを食べない日もあれば、お酒もごはんもたくさん行きたい日もあるだろう。もし愛があればそのコンディションに合わせてみんなで払う分を決めていくのは簡単だと思うけれど、多分、そこではリーダーの顔色を見ながら人間関係のかけひきをするのがいちばんのルールのようだったので、私にとっては時間のむだだなと思った。
行かない、という選択肢を取るのも人生の醍醐味だと思う。
もう会えないのかもなと思うと、二、三日は淋しいけれど、すぐにその人たちの好きなところやよい思い出だけが残るようになる。
短い人生をそんなことしながら過ごしたくない。気持ちよく飲み食いできない場には、仕事でたくさん行っている。プライベートではぜひ避けたい。


気前のよいということに関して、他にも思うことがある。
人におごられるのはとてもむつかしいことだということだ。
絵でも文章でも、ものを創って生きていくというのはほんとうにたいへんなことで、いろいろな罠がある。ひとつでもひっかかると人生丸ごと階段を転がり落ちていく。
人とは、人にごちそうされたり接待されたりするだけで、勘が狂ってしまう弱い生き物なのだ。もちろん書き物にもやがてはそれが露骨に出る。
バブル時の接待攻撃(今でも取引できる信用できる人たちを見極めることができたのは、宴会地獄を共に抜けて人柄を見たからだと思う)を乗り切ることができたのは私が鉄の胃袋と書きたいものに関して強い信念(わがままとも言う)の持ち主だったからだろう。そうでもなければ、心か体が壊れる、そのくらい、人の金で飯を食うのは恐ろしいことなのだ。
そこでだめになる人がいるのは、仕方ないと思う。
体が弱かろうが、繊細だろうが、やはり私は大勢の人を相手にできる強く「したいこと」がある図太い人間なのだ。
私が人生をかけてしたいことは「こうしたら少し楽なのでは」と少し別の角度から世界を見せること。私の目にはこのようにうつっていてそれがたいていの人とは違うのは知っているが、もし私のような人の目で見たら、少し人生が楽になる人もいるのではないか、そう思うからだ。
どうしてそんなことがしたいのかというと、いろんなきびしい夜に、私の横にはいつも本やマンガや映画やドラマがあってくれたからだ。
もしこれが音楽だったら、私は音楽を志していただろう。物語の力が私をふんだんに、出したお金の千倍くらいの力で救ってくれた、そのことをなにかで返したいという気持ちが私になにがなんでも書かせるのだ。
それなら教師やカウンセラーになったらよかったのでは?そのほうが毎日生き生きと人に接することができるのでは?というふうに言う人もいるがそれは違う。
本ではなく直だと人とは「いつも親切なこの人、いろいろやってくれる、でもその人がこのことはしてくれない、プンスカ」とは思っても、
「でもそのような人がこのことはしてくれないのなら、理由があるはずだor自分が甘えすぎたのかもor疲れているのだろうorそりゃそうだよな、人間だもん、いろんなときがあるよな」
とはなぜか思ってくれないものだ。
それが人間というものの本質と言ってもいいと思う。もちろん察してくれることを期待もしていない。ただ、そのような感想を他人に抱く状態というのはすでに依存であり、自分がしても人がしてもあまり好ましくないなと思うだけだ。
「そのように他人に対して自分を明け渡してしまう人に、直接『こうしたほうがいい』なんて言えるような責任の取れる生き方を私は別にしていない」ということだと思う。
人は人を変えることはできない。ただ、本人がなにかを見て変わるだけだ。
そういうことも考えるとやはり本のほうが私のエゴを抜きにしてしみいっていく気がするのだ。
本は、その人にとって必要なときにそこにあることができる。
必要ないときは静かにしていてくれる。
勝手に接して勝手に得ることができる。
そこが私に合っているのだと思って、今日もこつこつ小説を書いている。
人生は、全てひっくるめて結局は全てが本人の責任。しかしたまに察し合える人同士がいると、そこにはほんもののともだちができる。
私はあらゆる生き地獄をくぐりぬけてきた。そのつどトカゲがしっぽを失うような感覚で痛がりながらなんとかずるずる来たというか。
だから有名になったり、お金が入ってくることのよくない面を痛いほど知っている。
私の近くにいると、私が選んだ小さい冒険を見ることができる反面、少しでも頼ろうという心があればそれははねのけられ、ついでに私のどぎつさや図太さや冷たさを見るはめになる。それらは全て私の「どうしてもしたいこと」を守るために存在している性質だけれど、それはとても伝わりにくい。
たいていの人は新しい体験をするきっかけになった私を恨みながら去っていく。もはや図太いから気にしないんだけれどやはり傷つく。
私が私でいるだけで、私が生きているだけで傷つく人がいる、その事実に傷つくことはもちろんある。
でもそんなこと言われても知らん!で通すしかない。私には私の愛する人たちと私を愛する人たちがいて、それで充分だから。
そんなにリスキーでも私はすばらしい人の情報をシェアすることを、自分の得たものを書くことを、いとわないと思う。もし私の書くものを好む人がなにかに触れるきっかけになり、少しでもその人の良きように、楽になれるように、変わるきっかけになるといいと思うからだ。


そんな私が大勢とシェアしたいすばらしい人のひとりが、やまじえびねさんだ。
彼女のマンガがいつでも大好きなんだけれど、やっと新刊が出た。
「鳥のように飛べるまで」というバレエマンガだった。
彼女の絵はとにかくすてきだし、レズビアンものもすてきなんだけれど、なによりも彼女の作品を読んでいると静かに瞑想しているような気持ちになるのがいい。個人的に、そういう作品がなによりも好きだ。瞑想空間に入っていけるような、よき人々がよき人生のために歩んでいくような静かな世界が。
もちろん魅惑的な美しい人々が出てくるマンガはたくさんあるけれど、彼女の世界の人たちにはちゃんと肉や血がある。セックスをしたり、苦悩したり、疲れ果てたり、嫉妬に苦しむ。なのに、すがすがしいのだ。あのかわいらしい人たちの姿や服装や驚く顔を見るだけで幸せになる。
やはり大好きなチェリーさんや小池田マヤさんもそうだけれど、ああいう変わった才能を大切に抱いているフィールヤングという雑誌はほんとうにえらいと思う。こつこつと自分にしか描けないものを描き続ける人の小さな声、大勢には好かれない強い個性ゆえに消えてしまいそうな世界。でも、この世にはなくてはいけないものだ。


元担当の松家仁之さんが小説家になった。
長い小説でびっくりしたが、内容はすばらしいものだった。
やまじさんに通じる静謐な瞑想のような世界。
軽井沢のいちばんよいところを匂いまで思い出せるような美しい自然描写。
建築評論小説とでも言うべき新しいジャンルのものだったが、いちばんすばらしいと思ったのは、昭和に生きたそんなに声高ではないが世界をひっそりと改革しているようなものすごい仕事を成し遂げ、周囲の人を経済的にも精神的にも守りながら、あくまで人間として生々しくそして上品に生きた世代のあるきらめく局面をきっちりと論じている作品だということだと思った。あまり人が目を向けなかった大きな鉱脈がそこにはある。
華やかな名声や政治家のような富や生活を選ばず、自分の好きなものを妥協なく表現して生きた人間。その人を取り巻く嫉妬や愛情。そういう人たちは自分が死ぬときに全ての後始末をきれいにつけていく、そんなことがこんなふうに語られた小説を書くことができるのは今や彼だけかもしれないなと思う。
そのような優れたテーマを持っている上に何千人の人にインタビューし、美術誌の編集長としての知識も蓄え、たくさんのゲラを読んできた松家さんだから、いいものをたくさん書いてくれるだろう。
そして人としての松家さんの持っていた独特の「ここから先はやりません」感、あれは、人生最後の仕事が編集者ではなかったからなのだな、そして、その上に「ここから先はやりません、なぜならこれ以上考えたとたんに自分が透明になって消えてしまうんです」という彼の優しい人格の特徴がさらに強くあの感じを生み出していたんだ、やっぱり人と作品はイコールなのだな、きっと私も深いところではそうなんだろうな、としみじみ納得した。
主人公は別に本人ではないのに、長〜い時間松家さんと会っていたような気持ちになり、ああ、身近な人は私の小説読んでこういう気持ちになるんだろうな、恥ずかしい!となんとなく思ったりして、それも楽しかった。
前に羽海野チカさんといっしょに新幹線に乗っていたら、チカさんがあのかわいい声で夜の窓辺に寄り、うちのチビに「ほら、目のまわりを手で囲うと、街の明かりがよく見えるよ」と言った。そのとき、突然彼女のマンガの世界が目の前に出現して、その強さと深さにびっくりしたことがある。
松家さんも、そんな感じがよくある人だったので、なるべくしてなったんだと思う。
大好きな人が小説家になるってこんなに嬉しいことなんだと誇らしく思った。


関連してよく思うこと…やまじさんのマンガのように、松家さんの小説のように、静かな心で暮らしたい、そう思う。基本的にはそうしているつもりでいる。
静かな心で暮らしたいと思う人たちがいる場所というのもある。
そういうところに静かな心で行ってみると…どうしてもいつも浮いてしまうのである!
自分が柔道やプロレスをやっている大男で、どんぶりめしを食いながらがははと笑ってちょっと動いただけで皿など壊してしまう、そういう存在になったような気がするのだ。もちろん被害妄想だってわかっているけれど、でも、やっぱりわかる。私などがその空間に足を踏み入れると「なんだかがちゃがちゃしたうるさい波動の人が来た、この人は違う」という彼らの動揺がしみじみと伝わってくるのだ。存在を責められているような気さえしてくる。
それで少し考えてみた。
「町はとにかくうるさいし、おそろしい人たちをたくさん見る。美しいものや静かなものが好きだから、そういうものは不愉快だ。動物を殺して食べるのもいやだし、とにかく自分の内側を大事にしたい、なるべく自然に暮らしたい」
ここまでは全く同じなのだ。そしてこの繊細さを私も一応(一応…)持っているのだ。ヴェジタリアンの友人も多いし、そういう人たちと会うときは野菜をおいしくいただいている。
この間、ハワイに行って瞑想センターのヴェジタリアンランチのブッフェを食べに行った。自然が好き、庭の大きな木が好き、おいしいものならなんでも好き、そんな私とちほちゃんとチビと友達たちと…庭の木で遊んだり、おいしいカレーや豆料理をおかわりしたり、うるさすぎず、興奮しすぎず、ごく普通に過ごしていたのだが、どうも全く違うのだ。雰囲気が…。
来る人たちはみんな静かに微笑み、ゆっくりと食事をし、ゆっくり歩いていた。
しかしそれに比べて私たちは予想がつかない動きをするし、やはりうるさいし、全体的にがちゃがちゃしているのだ。まるでなにかの決まりがあるところでそれをむちゃくちゃやぶっているような、そんな感じ。
いつしか周りの人たちは、私たちに耐えきれず優しい気持ちで笑顔を見せつつもそっと去っていった…。
このあいだも、とても小さな声の優しい人たちがやっているごはんやさんでひとりランチをしていたら、私だけがひとりでもすっごくうるさいのだ。オーダーの声も食器の音も、たくあんを噛む音さえも、他の人たちよりも圧倒的に騒がしい。
とってもよく理解できるのだ。
「この世はとても住みにくいところ、生きていくのはたいへん、だから自分は『限定』することにした。限定して深めていくことにした。だから私たちの場所に来ないでほしい、そっとしておいてほしい」
その気持ち、わかりすぎるほど。自分もそうなんですと言いたい。
しかし、なんだろう、私の中のなにかが野蛮に暴れだしてどうしてもそこには行ききれない。
たとえば色事に関しては私も上記のような「もう終わりました」態度をきっぱり取っているのでほかに関してもできるはずなのに、なぜ生き様はケダモノなのだ!?
そしてそういう人どうしが微笑み合い静かに過ごすさまはまるで会員制のクラブのようで、他の会員制のクラブに比べていっそう厳しい基準がある気さえする。文句を言っているのではない。なぜなら、そういうところにいる友達と会うときはお互いが歩み寄ってなによりも会えることを大事にしているから、不自由がない。
考えさせられるポイントはひとつだけだ。
健康的なものを食べ、地球を愛し、思い切り生を全うしたい、お互いにそう思っているのに、なにが違うんだろう?お互いの情報をシェアする必要はないにしても、そこまで棲み分けなくてはだめなところまで、時代は病んでいるのか?
私のしていることは吉野家に行って「野菜しか食べられないんで、タマネギ丼にしてください」と言ってるのとあまり変わらないことなのか?
ちなみに「昭和の整体系」の人たちとは「ライフスタイルは違うけれどお互いにいいよね」とたやすくなじめます。
さらに同じ話を深めると、私の読者たちには特別なコードがあるともちろん私も思っているが、百作に一作くらいそのコードを持っていない人にも響くものが書きたいと、望んでいたいという気持ちは捨てられない。深めていけば奥底で突然通じる日がくるはずと思わないで書いて生きていくことは、私にはできない。
瞑想、ヴェジタリアン界の人たちの中にも、きっと「肉食の人たちにも『これなら肉はなくてもほんとうに楽しい、おいしい』と思ってくれる料理が作りたい」という人たちはいるし、何回か国内外でそういうレストランに行ったこともある。その人たちの外を向いた心は、私が小説に対して持っている気持ちと同じだという気がする。
この問題はなかなか解決できないけれど、ゆっくり時間をかけていろんな場を見ていきたい。
やまじさんのまんがの中の人たちが、苦悩しながらも自分の生活の美しさを手放さないように、どこにもうまくあてはまらなくても、自分の心の声の変化につど敏感に生きていきたい。
透明になってさりげなくそういうお店に行けるでもなく、個性を貫いて大騒ぎしてこっちのペースに持っていくのでもなく、心をつくしてなるべく理解しあおうとし、むりならそっと去る、そんな、どちらでもあるような道を見つけたい。どの場所でも。


意地悪の話もひとつメモしておきたい。
最近の不景気や政情不安にまつわることで主婦としていちばん気になるのはもちろん経済のことだが、人間としてもっとも気になるのは「日本人にはもともと本音とたてまえ文化な上賢い分意地悪いところがあるのに、今の日本人はほんとうに意地悪い、町を見たらちょっとした無益な意地悪でいっぱいだ」ということである。
日本人って、ここまでだったっけ?と目を丸くすることが多い。
私の心はそういう意味ではニュートラルなので、意地悪に目を向けているから意地悪が見えてるわけではない。観察する私の目はまるで機械みたいに感想を持たない目だ。
…話は戻って意地悪のことだが、そもそも江戸っ子と天草っ子の裏表がない親たちから生まれた私には意地悪っていうものがそうとうに理解できないものみたいだ。双方がいやな気持ちになるし、時間もむだだし、なにも発散されないし、ほんとうに意味がわからない。
昔、アラーキーが飲み屋でたわむれで私の写真を撮っていたので「一枚百万円でプリントしてもいいわよん」とか冗談を言っていたら(そんなの冗談に決まってるでしょ(笑)!)、彼と親しいらしきその日に仕事を頼んできた編集者の女が「はんっ、本気でモデルになる気でいるわ、厚かましい!」と私に直接言ったのでただびっくりしたが、今のおばさんになった私なら「あんた仕事の場でそれはないだろ、オレは今日あんたたちに接待されてやむなくここで飲んでるんじゃよ」と言うだろう…。
まあ、つまり意地悪とはそういうもので、自分が面白くない場に面白おかしそうな人がいるととにかく腹が立つ、とそういうことだ。わからなくもない。
その点、私はすばらしい環境に育ったと思う。下町なので近所の人々には「怒るかごきげん」の二択しかなく、怒っているときはものを投げたりちゃぶ台をひっくりかえしたり大騒ぎだが、朝から夜までこの上なくごきげんに歩いている人がいっぱいいたのだ。
まあ、いずれにしても人とは日々のストレスがすごすぎると、どうしても小さく発散させてしまうものなのだろう…
たとえば駅前で若者たちがわいわい騒いで待ち合わせをしている。祭りのようでたいへんに楽しそう。そんなときにいろんな人が聞こえるように「ちっ」と言って通り過ぎるのである。あるいは「すみません、ちょっと通してもらえますか?」とイライラして通る。特にじゃまなわけでもないのにだ。
また、店でちょっと声高に話している人がいると、すぐ別の席から苦情が飛んで行く。苦情を言った人の意地悪い顔を見ると、よその席にいても食欲が落ちる。
あるいは声高な人たちも尋常ならざる声高さで、まるで叫んでいるみたいだったりする。その顔もたいてい楽しそうではなく、話題も意地悪い。
「少なくとも自分は正しい」にみんながしがみついているみたいだ。余裕がない。
昨日、あるクラシックのコンサートホールに行ったら、開演まであと五分くらいだったので、係の人が私のチケットをもぎとるようにうばって「席にご案内します!急いで!」と言った。私は死ぬほどトイレに行きたかったので、ごめんなさい、二分でトイレに行ってきます、とトイレにかけこんだ。
そしてほんとうに二分で出てきたら、うちの子どもがチケットを持たされてぽつんと立っている。
係の人は他の遅れた人を次々案内しようとトライしていてトイレから出てきた私と決して目を合わせない。言葉もかけない。間に合いましたねとも言わない。
この感じ!よく飛行機の中でも味わう感じ。「日本茶をください」と言うと「少々お待ちください」というが覚えていても二度と目を合わせないで忘れたふりをして溜飲をさげているフライトアテンダントの感じ!
よく誤解されるけど、私は自分がいやな目にあったからクレームを言っているのではない。基本的にはトイレにかけこんだ私が悪い。また、理想社会を夢見てそれを他人に強要しているのでもない。また、ぐちでもない。私は自分の人生を自分なりに満足して生きているからぐちはない。
ただシンプルに「自分は人に意地悪くするのはやめたいな」「なんだか最近空間の意地悪度数が飛行機の中並みだ、つまり、この世が飛行機の中並みに不快なのだろう」と思って、今の時世の特徴としてメモしているだけ。
でも私はもしそのちょっぴり意地悪い人たちがもし困っていたら、素直に助けるし、笑顔を見せる。親切にしてくれたらどんなに意地悪い人でもお礼を言う。そうありたいと思う。ベビーカーを見たらにっこりして、転んだ人にはとりあえず大丈夫ですか?と言う。それがたとえしょうもない酔っぱらいでも。ものを落としたら走って追いかけて届けるし、お年寄りがいたら寝たふりをせず席をゆずる。正しいことだからではなくって、そうしたいから。知らないふりをしたり、気づいてないふりをしたら、胸の中にもやもやがたまって気持ち悪いから。
このあいだ香港にいるときに父が亡くなり、みすぼらしい身なりで実家にかけつけることになり、喪服になりうる色の服をあわてて買わなくてはならなくなり高級っぽい店に入ったらいかにもなお姉さんが私をじろっと上から下まで露骨に見て「金なさそう…まあしかたないから声かけるか」って感じで声をかけてきたが、状況を話していたらだんだん親切になってきた。最後にちゃんとしたクレジットカードを見せたら、お得意さんになりうると思って名刺をくれた。でも、その過程と名刺のギャップはほとんどなかった。あれ、なんだか人と会った感触が残っている、と私は思った。お店では久しぶりの感じだった。
そのくらい日本人は高ストレスの中に暮らしているんだなと思う。
人生は一度しかない、そんなこと、だれだって知っている。
なるべく楽しく幸せにいたい、一度だからもちろんいろんなことを味わいたいけど、よい気分が多いといい。それだってだいたいの人の気持ちだろう。
だったら、起きているあいだはなるべくすっきりして、寝るときはぐうぐう寝て、いやなことはすぐ忘れ、よく食べてよく笑って怒って泣いて、そして全部をすぐ忘れる、そんなふうでいたい。けんかしてたことを忘れて笑顔であいさつしちゃったり、そういうこともあったっけ、でも今特に足が向かないから会わなくていいや、みたいでいい。細かいことはわからないしどうでもいい。
「そんなことむり、だって…だから」と言われたら、「そんなの知らんよ!わしにはわしのことしかわからん!」と清々しく言える自分でいようと思う。


そのことをもっと考えつめてみたら、意地悪というよりは「こずるい」という感覚も私にとっていちばん苦手な感じだけれど、そのふたつは補い合って回っているんだなあ、と納得した。
こずるくて意地悪な中にいると、人はきっとストレスを感じて、常に身構えるようになっていき、そのストレスでまた悪いことを周囲にしてしまい…とあまり健康的ではないと思うんだけれど、悪循環は止まらない。
ストレスフルでない人を見ると「ちっ」と思うような、それが人類の進化だとしたらとても悲しいので、私はストレスフルでない人を見たら、にこにこしてほめようと思う。個人レベルでしか対応できないので、せめてそのくらいはしたい。
たとえば携帯電話会社に契約に行くと、普通に「なるべくおとくに、ふつうに有能な携帯電話をここで契約したい」と素直にやってきた大半の人々が感じる、小さいだまされ感。
大金を払わずには決して解約はできないようになっていて、四百円、五百円の小さい借金を毎月返済させるようなシステム、すごい場合は他の会社の悪口を堂々と言ったりうそをついたりして、さらになにかを買わせてそれを分割で返済することになるが、その場で出すお金が小さいためにあまり負担に思わないようなしばりを課せられるという…いつも途中で「いっそ、もう一生解約できないから観念してください、その分サービスがよくなるようがんばります」って言ってくれたほうが楽なんだが、と思って笑い出しそうになってしまうが、社員はノルマがきつくて大まじめだという…。
社長がどんなにいい人でいくら寄付しようと、そんなこずるい手段で人から四百円、五百円と多くかすめとっているんだから、当然だよなとさえ思ってしまう。
まあ、どの会社も似たようなものだとは思うのだが。
つまり、意地悪&こずるさで人から小額でもお金をかすめとって、他と差をつけて生き残る、というのが今の時代のスタンダードな賢さなのだろう。
こども手当の書類が来て、よく見てみたら、あらゆるひっかけ問題にうまくひっかからないようにしないとこども手当が支給されないという書類で、そもそも契約時にはうんといい話だったはずが「払わないですむものなら、少しでも、軽くひっかけてでも、払わないようにしたいなあ」という話にすり替わっているのを見て、
「まあ、国からしてこうでは、しかたないよな」
と思った。まあ、そうやって生き残っていっても、死ぬときには全部同じになるわけだから、後味よく生きることにしたいなと思うだけで、特に意見はない。
私は自分の本に関しては泣かせる帯でごまかしたり、部数や単価を上乗せしたり、お年寄りや子どもにこびたり、フレンドリーな外見でこすい内面をごまかしたり、サイトもちょっとだけ有料にしたりしない(無料だからスポンサーもいないので好き勝手に書けるし、縦に長いから不便と言われても、サービスしないのがここの心からのサービスですと答えることができる)で、自分にとって妥当なことをしていきたいなあ、とだけ思う。


こんなにはっきりしたどぎついことをぺらぺら考えているのだから、小説なんか書かずにどぎついエッセイでも買いたり講演でもしたら?
とたまに言われる。
あなたの小説はむつかしいけれど、エッセイは理解できるから、もよく聞く声だ。
でも、小説を書くのをやめることはないだろうと思う。
まず、主人公はいつかどこかでこの世にいた人で、その人の切ない思いを聞いて書いてあげているから、その役割を誇りに思っているから。
それから、私の個人的などぎつい好みを語っているときには決して人に伝わらない静かな深い思いが、なぜか寓話の形にすると遠くの人と共有できるようになるから。遠くの人の厳しいつらい長い夜に優しく、私以上の深みを持ってよりそってあげられるから。
どぎつい私個人には全く興味がなくても、私の小説に温泉みたいに入りたい、そういう人がたくさんいてくれたら嬉しいと思う。その中でも特別好みが会う人は、仲間みたいに私個人にも興味を持ってくれたらいい、でも基本的には私自身はどうでもいい、私は小説を書くための天からつながるただの管みたいなもの、エッセイはプロではない、そう思っている。
私のエッセイは、小説の攻略本みたいなもので、いらない人にはいらない、そういうものだと信じている。
でないとこんなに無責任に書けないし!


天草へ姉といっしょにちょっぴり散骨(祖父の造船所跡と、イルカウォッチング船で、ひとかけらだけ父の骨を海にまいた)&ゲリラ墓参り(単に親戚に挨拶もせずにだまって手を合わせてきただけ)というのに行ってきた。
飛行機には乗り遅れそうになるし、姉は船に乗り遅れるし、部屋の係の人がとても変わった人でどうしても話が通じなかったり、とにかく波瀾万丈の旅だったけれど、とても楽しかった。
父は一度も天草に暮らしたことはない。
なのに、父が生涯追い求めたものは天草の風景だった。
姉も天草があまりにも西伊豆に似ているのでびっくりしていた。
父が心の中でいちばん懐かしく思うのは、ああいう風景だったんだなと思う。血の中にひそんでいるなにかは決して消えないのだなと不思議に思う。
こんもりした山、神社、お寺、勾配が激しく、登ればいつもきれいな海と小島が見える。漁船がそっと停めてある磯くさい港たち。湾なのであまり海は荒くなく、人々はのんびり親切で、柑橘類がいっぱいなっていて、不便な場所だからあまり外界のものがなだれこんでこない…そんな場所の風景。
そこを歩いていると自分はまだ小さな子どものようなのに、姉も私もすっかりおばあさんに近い年齢になっていて、とても不思議だった。
チビの中にその旅はどんなふうに残るのだろう。そう思った。
父のお骨をアンダースローで力いっぱい投げたら、大事にしていた数珠がふっとんで骨のちょっと手前にぽちゃんと落ちた。きっとよい供養になったのだろうと思う。
今、愛するそのふたつは遠いふるさとの海にいっしょに眠っている。
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