魔女のみつけたことあれこれ 2

日記の文体になんとなく飽きてきたから、少し変えながらもゆる〜くやっていこうと思います。
 
若い人はたいへんだな…と思うときはどういうときですか?と聞かれることが多くて、たまに考えてみる。
そうするといつも浮かんでくるひとつのエピソードがある。
あまりにもやばすぎるのでところどころ変えて書きますが、うちから少し離れたある場所に人気の飲食店がある。
そのへんにはあまりお店がないから、そのあたりに行くとそこで食べようか、とたまたまなることが二回あった。
一度目はちょっと歳下の女友だちと、二度目は息子と行った。ものすごく新鮮な野菜がふんだんに使われたある料理が有名で、いつも満席か行列ができているか。検索してみたらチェーン店らしいけれど、すごくまじめな若い人たちがいっしょうけんめい時間をかけて作っている。
店員さんたちもみんなほんとうにいい人たちで、細かな気配りがあって、店の中ではみんな楽しそうに話しながら礼儀正しく食事している。
でも…どうがんばってもおいしく思えないのです!
野菜がみんな半生か素揚げで固いからなのか、あまりにも脂が多い料理だからなのか、わからない。でもちょっと食べるとぐっと胸が苦しくなって、思わず残してしまう。
「なんだか苦しいね」というのが一度目のときの女ふたり共通の感想。
二度目のとき、私がもやもやして店を出たら、しばらくして息子がぽつりと言った。
「ママ…もしかしたら、今のお店、あんまりおいしくないんじゃ」
やっぱりそうだよね、と認めるのがつらいくらい、いっしょうけんめい作られている。おいしくないはずがない、と思わないといられないくらい、おいしくないはずがないよね!そうだよね!そう思えないとしたら自分が間違ってるんだよね!という光線が店の中に満ち満ちている。
あんなに忙しく働いている人たちがどうもほんとうには楽しそうでないのは、そのへんに理由があるし、お店の中で食べているお客さんたちもなんだかどこか演技してるみたいに見えるのは、こんなにいい素材をていねいに調理してこんな清潔でインテリアもきれいなお店で食べているんだからおいしいに決まっている、と自分自身に言い聞かせているからなんだと思う。
なんとなくだけれど、この独特の苦しい感じ、近年若い人の多い場所のわりとあちこちで見かける気がする。
一方、下北沢の有名な老舗の中華料理店、昔ハイロウズのヒロトさんがバイトしていたことで有名なM亭では…私がボクシングの帰りに気分は矢吹丈になりながら、ひとりビールを飲んで半チャーハンを食べていたら、調理人の多分まだ見習いのお兄ちゃんが店のお姉さんに言っていた。「なんかさあ、みんな、新しいお店には厳しいっすよね!すぐ悪いことを書かれたりして。新規開店には厳しいのに、うちは古いから、なんか評価が甘くて優しいんですよ。よかった、古くて!」
この店のチャーハンはほんとうにすごいと思っている私は吹き出しそうになりながらも、そうそう、こういうのがいいよ、と思った。
あらゆる意味でヘルシーではないのかもしれないけれど、作っている人の気合いが感じられる絶妙な火加減味加減。その力でヘルシーじゃなさなんてふっとんで、活力がわいてくる味。どこからともなく毎日いろんな年齢の人がやってきて、ただ座って、食べて、満足して帰っていく。過剰なサービスも広告もないし、あえて自慢しなくてはいけないキャッチフレーズもない。
このくらいでいいんじゃないかな。そしてあんまりおいしくなかったら、素材と努力のわりにいまいちだねって、お店の人に気楽に言えるくらいの構えがいいんじゃないかなあ。
昭和の生まれの私は、そう思ってしまうのです。

健康診断で久留米に行った。
下津浦先生の進化したOリングテストを受けながら、ここまで極まると後続の若い人を育てるのはたいへんなんだろうなあ、としみじみ思った。
たくさん来る患者さんを診てあげるには先生が診断するしかないし、それに追われるとあとの人が習えないし、どの業界でもこの問題はむつかしそう。
どんどん優秀でできる人が生まれてきますようにと願うしかないから、いつもそれだけを願っている。
たったひとりかふたりでいいから完全にあの思想と方法を受け継げれば、人類にとって大きな一歩になると思うのに、現代の医学に慣れていて、医者に任せるしかないから検査と治療と入院は苦しいに決まっているし、しかたなく受け入れなくてはいけないと信じ込んでいる私たちの世代にはまだ早すぎてなかなか信じきれないのだろう。
…などと思いながら、久留米でのんびりと検査を受け、自分の生活で改善すべき点を心に刻み、健康になることを誓いながらおいしいものを食べて、博多経由で帰った。
「博多っ子純情」を小学生のときに聴いて、なんていい歌だろうと思った。チューリップの曲の中でいちばん好きな曲だった。心の中で歌詞に出てくる千代町とか山笠とか春吉橋を思い描いては憧れたものだった。
大人になって何回か博多を訪れたけれど、あまりにも歌の頃と今が変わっていないのに衝撃を受けた。ほんとうに夜の女たちが紅をさして男を誘っている!ほんとうに男たちは見栄っ張りで気が強くて海の風に吹かれているぞ!
地理も雰囲気もまさにあの歌の通りだった。
そして、いつかどこか遠い町にもしも行きたいと思ったら博多に来るといい、ひとりぼっちならばポケットに手をさしこみ、背中を丸めて歩くといいんだろうなあ、というその雰囲気までそのままだったからびっくりだ。
博多を歩いているあいだずっとあの歌を口ずさんでいるのは今や私くらいかもしれないけれど…。
鉄なべ餃子(ふたつあるけど、もちろん祇園二丁目のほうの店舗)に行って前菜に餃子を食べてから呼子のイカの活け造りを食べようということになって、家族で歩き回った。ちょっと道に迷ってからイカで有名な居酒屋さんに行ったら、なんとすでに売り切れていた。そのタイムロスが大きかったようだ。それなら、とイカの生簀があったお店に戻ったらすでにさっきまでたくさんいたイカは空っぽになっていた。生簀や水槽があるお店ならホテルの近所の商店街であと二軒くらい見かけたよと思って、タクシーでホテルの近くまで戻ってみた。
運転手さんにいいイカの店を知りませんか?とたずねたら、
「市場がおやすみだからあまりいいイカは望めないし、僕も行きつけの店がこのへんにないからねえ…」
と言われた。私たちがしょんぼりしていると、
「でも、それだけ願っていれば、必ず食べることができます、がんばって!」
と彼はきっぱり言った。
なんだかそんな気がしてきて、元気よくタクシーを降り運転手さんと別れた。
そして商店街を歩いていたら、さっきまでイカだらけだった水槽のある店たちの水槽には、全くもうイカがいない。売り切れ続出。なんていうことだ、このへんのイカ事情を知らなかった!と思いながら、歩いた。水槽に死にそうなイカが沈んでいるところや一匹だけだけれど水がにごっていてイカも動いていないところなどしか発見できず、さらにしょげてあきらめようかと思ったけれど、運転手さんの妙にはっきりとしたあの声が耳に残っていたので負けずに歩き続けた。
最終的に私たちは、
「もしも東京でこの居酒屋を見つけたら絶対にはずれだと思うような、元カラオケボックスを無理に居酒屋にした店」みたいな店の水槽に生き生きとしたイカを発見した。
入ってみると、やっぱり、このお店がおいしかったらもうこの世のどんな店だっておいしいよ、というような内装のお店なのに、板前さんもまた生き生きとしていて料理はおいしく、イカも最高。胴体はおさしみで、ゲソとミミとワタはバター炒めにしてもらって、私たち家族はついにおいしいイカにありついて、幸せな気持ちになった。
そしてそのような内装の店でも最高レベルの素材でおいしいものを出す博多の食のレベルの高さに衝撃を受けた。
でもなにより、人の心のこもった言葉があんなにも他人に影響を与えるなんて…。
最近、リスクを考えてあまりはっきりとしたことを言わない人々に慣れていた私は、あの運転手さんのあり方にかなりの感銘をうけたので、ここに書いて覚えておこうと思う!
  2014年11月 ページ: 1