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朝、なんだか自分でもわからないくらいに急に飛び起きてしまったら、あんのじょうその瞬間金先生から電話があって「夢を見たよ、いっしょに魚釣りをした。海は静かで、風があったけれど、魚が釣れた。その前は果物を拾いました」と言われたら、ものすごくいい感じの映像が浮かんできて、ぽわんとなった。そういう暮らしがしたいなあ、今すぐにしよう。 母の容態が厳しくて思うことは、人はその人以外の人にはなれないから、いつでも今ここから(いつもここから!?)、自由になれるということだ。うまくは言えないが。いつか小説で書けるといいが。あと、大事な人はそう多くはないから、大事な人をうんとひいきしてもいいんだな、ということも思った。私はちょっとまじめに平等すぎて、身近な人を泣かせ、どうでもいい人にわかってもらおうとしすぎた。これは職業病だと思う。

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ついに十年間住んでいて、事務所にもしていた場所を出るときがきた。 泣いた泣いた、そして大家さんにごあいさつにいって、大家さんも泣いた。 でも、思ったよりも、悲しくなかった。もう、最後の一滴まで、味わい尽くしたから、旅立つときなんだな、と思ったのだ。また会いに行くときは、楽しく行けると思う。 穴八幡、茜屋さんの新春早稲田コースを幸せにめぐり、本もいっぱい買った。叶恭子さんの本を読んで、鼻血ブー。やっぱり目が離せない、あんな人、日本にいるなんて面白すぎる。それから「ちゃっちゃんの遊園地」という本を読んだ。ゆみる出版というところから出ていて、書いているのは京大の医療工学の教授である富田直秀さんという人だ。 ものすごく変わった文章なのだが、なぜか、私の心の中の痛いところをぐさぐさとついてきて、癒しの涙としかいいようがない涙が出てきた。 そして・・・なんとなくだが、そして本人たちは怒ると思うが、叶恭子さんとこの人の描く「自由」というものの質は似ていると思った。なので、今日の読書はとてもいい読書だった。

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「チビちゃんのお部屋に行ったね、雪があったね。はじめ牛乳がなくて、あとから牛乳と、トマトジュースと、飲んだ。ごんあん(まんが日本昔ばなしのこと)見たね、それで、よーこもお風呂入って、お風呂でもテレビ見た。雪で遊んで、寝た。朝起きたらママいなくなってた、チビちゃんえ〜んえ〜んって泣いたの」 旅の思い出、全て合ってるですごい記憶力!と思うのだが、なんであの立派なお宿の部屋が「チビちゃんの部屋」なのか、そこだけが謎だ・・・。 転んでしっかりねんざしたので、びっくりした。大人になってもこんなことあるのね!

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何の予備知識もなく道を歩いていたら、前から天狗とか烏天狗とかなんだか華やかな七福神みたいなものがぞろぞろと豆を蒔きながら歩いてきたら、そりゃあ、びっくりするでしょう。そう、天狗祭りだったのに全然忘れていたのだった。 しかもお茶して買い物してたら、全然違うところでまた行列がやってきた。 二度目は心の準備があったので、びびらずに見物した。となりには太鼓の音におびえるよその家のゴールデンレトリバーがいた。そうだったなあ、太鼓がなると押し入れに入ってしまったなあ、とラブ子を思いだして涙ぐむ。 でもゴールデンを触りながら、豆をまかれるのはなんとなくめでたかった。

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ボーイジョージの音楽の舞台を撮った映画を観にいった。若き日のボーイジョージをやってた人が、尋常ではなく女装したアレちゃん(見たことないけど、絶対に!)に似ていた。アレちゃんに会いたくてしかたなくなった。 夜はスイセイさんの展覧会に行く。 スイセイさんの作品は、なにもかもが彼自身から出てくる、彼の世界なので、すばらしい。うそがない文章のような感じだ。展覧会に行って人生観を見るって、考えてみたら当たり前なんだけれど、それをより無骨にぐいぐいと感じてかなり感動してしまった。その人の人生が宇宙、でっかいもの、誰に恥じることもないすばらしいもの。 みーさんとスイセイさんにやっとチビを見せたのでほっとした。 高橋みどりさんとか岡戸さんとか松長さんとか、とにかく食界の重鎮が全てその場にいたので「おお!今時代を動かしてる人達じゃ!」と思ってものかげからじろじろと見た。岡戸さんの声が大好き。ものすごくいい声。まっすぐな視線そのものの声。 そしてチビは、シッターで来てくれた優しいTさんを野郎だからという理由であっさり振り切ってみーさんにじょじょにもたれかかってにやにやしたり、フード界のアイドル松長さんのケツをなでなでしたり、やりたい放題だった。 あこがれの人と初めて言葉を交わしたのが「すみません!今ケツを触ったのはこのチビです」というものだった、この哀しみ。 そして、あたりまえだが、そこにあった食べ物は異様においしかった。考えられないほどに・・・。

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